第三十六話 囚われの罪人

 僕は『目覚まし時計アラーム』を仕掛けて、眠りについた。地球人がパスティア・ラカーナに転送されて来て、通信機器を使用した時、目覚まし時計のベルが鳴る。


 僕は……地球人を排除する為に目覚める。



 そうしてある日、ベルは鳴り響いた。


 対象者は四名。壊れかけた地球からの避難民ではなかった。僕が想定していた時代よりも、ずいぶんと過去の人だ。それに、僕は思っていたよりも、ずっと長い間眠っていたようだ。


 通信機器の使用をアラームの条件としたのは、僕が通信衛星の専門家だった事もあるけれど、地球人が弱いからだ。この地の人のように、牙や爪を持っていない。速く走る事も、高く跳ぶ事も出来ない。


 僕と、同じように。


 通信機器すら持っていない耳なしは、脅威にはならない。街へたどり着く前に、動物に襲われて死ぬだろう。


 そう思ったからだ。



 対象者は家族だった。夫婦と思われる男女と、子供が二人。母親らしき女性は、ひとりだけ遠く離れた地に飛ばされてしまっていた。


 子供は男女の兄妹で、男の子は僕が地球に連れ戻された時と同じくらいの年頃だった。母親を呼んで、不安そうに辺りを見回していた。


 あっという間にほだされた。


 幼い二人なら、しばらくすれば地球の事は忘れるだろう。ワクチンを使用しなければ、すぐにこの地の人々と同化する。


 僕は、子供を殺さなくて良い理由を見つけて、胸を撫で下ろした。


 では、大人はどうする?


 地球の知識を持った耳なしだ。パスティア・ラカーナにとって良くない思想や文化、武器を作り出せるかも知れない。だが――。



 僕が……この僕が、子供たちから親を奪うのか? 嫌というほど、その痛みを知る僕が?



 答えを出せないまま、その家族を見守り続けた。


 言葉を覚え、お金を貯めて、父親と男の子は旅に出る。母親を探しているらしい。通信内容を確認したら『絶対に迎えに行く、諦めるな!』と、言っていた。


 家族を隔てた距離は、二千五百キロを超えている。何の情報もなしで、辿り着ける距離ではない。



 いつしか……僕こそが、家族が再会する事を望んでいた。


 僕の両親も、耳なしに連れ去られた僕を探して旅をしたらしい。何年も何年も、耳なしの船を追って……耳なしの情報を求めて。


 とうとう母さんが病気になってしまって、故郷の村に戻ったところを、耳なしに襲われた。


 もっと……もっと早く戻れば良かったんだ。勉強なんかしていないで、逃げ出して、どんな手を使ってでも、早く帰れば良かったんだ!!


 僕は自分の出来なかった事を……自分の家族が叶えられなかった再会を、この耳なしの家族が実現させる事を望んでいた。


 見当違いの場所へと旅立てば、そっちじゃないと教えてしまいたくなり、怪我をすれば叫び声を上げ、病気になれば心配で、画面の前をウロウロと歩き回る。


 下の女の子が獣化した時は、家族のあり方が何ひとつ変わらなかった事に安堵して、目頭が熱くなった。


 僕にはもう、この家族を排除する事は出来ないだろう。そう思い、もう一度眠りにつく事も考えた。だが、たったひとりでこの地下施設で眠る選択がどうしても出来ない。


 それは、ひどく寒々しくて、つらいものに感じられた。



 少しでも関わりが欲しくて、ドローンを操作し、ミンミンの街へ向かう。



 僕を裁いて。僕を罰して。僕に償わせて。


 僕を……僕を見て。




 僕も、許される事ならば。この地で、あなたたちと一緒に生きて……死にたい。



▽△▽



 正直俺は、話がここまで大きいとは思わなかった。さすがにクロルが抱える罪を『もう忘れちまえよ!』の一言で片付けるのは難しい。


 自分の決断が、一体どれだけの行き場のない避難民を死なせたのか。


 その想いは、クロルの心を暗く蝕んだ。黒猫の英雄として、直接手を汚した殲滅戦よりも、重く。


 それでも、自分の決断は間違っていないと思うほどに、地球人に絶望していたのだろう。


 クロルの耳なしに対する憎しみは、防御本能だ。憎んでいなければ、罪の意識に潰れてしまう。

 



「ねえ、にーたん。にーたん、ぴーさんなの?」


 いつの間にか目を覚ましていた、ハナが声をかける。なぜ『ぴーさん』は言えるのに『兄さん』は言えないのだろう?


 そして、空気をまるっきり読まずに行動する、ハナの存在に救われる。


「ハナちゃん……。うん、黙っていてごめんね。僕がぴーさんのふりをしていたんだ」


「でもってぇ……にーたんは、クロルなの? 耳なしクロル?」


「あ……うん、そう。僕の名前はクロルだよ」


「よかった! しっぽ、はえたんだね! えほんといっしょだね!」


「えっ?」


 耳なしクロルの絵本。この地に伝わる昔話では、クロルは、戻って来ない。黒猫の両親が空飛ぶ船を追いかけ、クロルの悲痛な叫びが風に流されるシーンで終わっている。


 だが、うちにある絵本には続きがあるのだ。


「ぼくがつくった。クロルは耳と尻尾がはえて、帰ってくる。折り紙で、三ページ分、つくったの」


 そう。俺が背景を描いて、ハルが黒猫の折り紙を折った。


「ハルくん……ありがとう。耳なしクロルに、耳をくれたんだね? 幸せに、してくれたんだ」


「つづき、見せてあげる。まだ、おわりじゃないよ。もっともっと、つづき、いっしょにつくろうよ。折り紙、おしえてあげるから」


「ハルちゃのおりがみ、しゅごいよ! だいすき!」



「うん。僕も、ハルくんの折り紙、大好きだ……」





「ぴーさん……クロルにーたん、帰ろうよ!」


 ハナがトテトテと歩いてゆき、クロルに手を差し出す。


「マスター……」


 クロルが泣きそうな顔で、俺に助けを求めるように言った。そうか……マスター呼びは、俺に保護者的な役割を求めていたのか。


 兄貴ってガラじゃない気もするが、引き受けてやるとするか!



「ハナはぴーさんが好きなんだよ。つまり、キミのことが好き。手を握ってやれよ」


「僕は……その資格を持っていないでしょう?」


「キミが手を握ってあげたら、ハナは喜んで笑うぞ」



 クロルが恐る恐るといった様子で、ハナの手を取る。ハナが『えへへ』と言いながら、にぱーっと笑顔になる。


「ハナを……俺の家族をどうにかされたら、俺も地球を滅ぼしてしまうかも知れない」


「ヒロくん、魔王!!」


 ナナミがツッコミを入れる。


「俺が魔王にならずに済んでるのは、止めてくれる人がいるからだ」


 まあ、魔王になるには力不足だけどな。


「次は、俺が止めてやるよ」



 クロルがひざまずき、ハナをそっと抱きしめ、肩を震わせる。呻き声が徐々に大きくなり、やがてその声は、無機質な施設の壁を叩く慟哭どうこくとなって響いた。




▽△▽



「ぼく、ぴーさんに、あやまらないといけないことがあって……」


 ハルがしどろもどろに言う。右手をハナ、左手をハル。二人に両手を握られたクロルが、ガチガチに緊張した様子で、ギクシャクと歩いている。


「あのね、ぼくぴーさんのぎんいろタマゴに、ハチミツこぼしちゃったの。あとでキレイにしようと思ってたらいなくなっちゃったから……」


 ごめんなさい!


 ハルがペコリと頭を下げ、チロリと様子を伺うように視線を上げる。


 ハルの言っていた『ぴーさんに話がある』って、この事だったのか。なにか深刻な話なのかと思っていたら……!


 俺とナナミは、顔を見合わせて吹き出してしまった。



「うん……ベトベトだったね……。蟻がたくさん、たかっていたよ」


 クロルが泣きそうな……困ったような笑顔を浮かべた。



 そう……そんなで良いんだよ。笑うのに、資格なんて要らない。


 普通に、笑うために。もう一度、人を好きになるために。



 その笑顔は、クロルが踏み出した最初の一歩に相応ふさわしい、控えめで不器用なものだった。

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