6.お弁当がない!

 川嶋さんが不在の翌日、不安を抱えつつも昼前までは問題なく過ぎていった。

 けれど11時45分。事件が起きた。


「川嶋さんいらっしゃる?」


 不安そうな顔で事務室に顔を出したのは営業部の宮下さんだった。飲み会のときとは違ってウソみたいに言葉遣いが丁寧だ。私は立ち上がって応対する。


「川嶋さん今日は検診でお休みなんです。どうしましたか?」


「あぁ松井さん。今日頼んでおいたお客様用のお弁当だけれど、まだ配達されていないみたいなのよ」


「まさか、そんなハズは」


 ここで話していても埒が明かないので急ぎ食堂へと走った。

 正面の入り口の机にお弁当屋さんの名前が入った箱が置いてあり、そこにおかずが。奥の保温庫にはご飯が入っている。ざっと見た限りだと数もあっているようだ。

 けれど宮下さんは「ちがう」とばかりに首を振る。


「今日のお客様ドバイからいらっしゃるの。適切な方法で調理されたハラールじゃないと駄目だって先週お願いしていたはずだけど」


 その言葉を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走った。




「――――ごめんなさい。忘れてました!」




 先週。そうだ。確かに言われていた。言い訳のしようがない失態だ。

 最近は外国の方向けにハラールに対応したお弁当も用意されていて、一週間前までに業者に個数を連絡するよう川嶋さんから言われていたのだ。


 私はすぐさま事務室に戻り、震える手で業者に電話をした。

 どうにかすぐに配達してもらえないかと頼んだけれど手間ひまがかかることから難色を示された。仮に受け入れられたとしても、いまから配達では遅すぎる。


 様子を見守っていた宮下さんの顔がどんどん曇っていく。

 そこに浮かぶのは困惑と失望。


「なんとかします、なんとか」


 宛てなんかひとつもない。すがるように川嶋さんの携帯に電話した。けれど病院にいるからだろうか、十回以上コールしても応答しない。

 時間切れ、とばかりに宮下さんは深々とため息をついた。


「上に相談します。気持ちは嬉しいけれど具体策がないのでは意味がないから」


 まったくもってそのとおりだ。

 いまからハラールに対応しているお店を手当たり次第あたっても時間という問題が生じる。大切なお客様を腹ぺこで待たせるなんてありえない。


 時間を惜しむように事務室を出て行く宮下さんを見送り、目の前がまっくらになった。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 不安でたまらない。


 ふらふらと椅子に座りこんで絶望に打ちひしがれる。

 なんてタイミングが悪いんだ、と嘆いた。川嶋さんさえいれば、とも思った。


 吸い寄せられるように電話機に手を伸ばす。相手は川嶋さん。いまコールすれば出てくれるかもしれない。


(ちがう。私、かばってほしいと思ってるんだ)


 やれることはやったと言い訳して宮下さんにとりなしてもらおうとしているんだ。


(こんなことじゃ川嶋さんは安心して産休に入れないよ)


 新人の私が「知らない」「できないの」は当たり前だ。

 けれど「やる」と「やらない」は全然違う。


 いまやるべきことは。


「どうした、なにかあったのか?」


 声を掛けてくれたのは雉谷きじや主任だった。縁の細い真四角の眼鏡をかけている主任はいつも難しい顔をしていて近づきがたい。けれど私がパニックになっているのを悟って声をかけてくれたのだ。

 私は藁にもすがる思いで叫ぶ。


「き、雉矢主任。この近くでハラールに対応しているお店知りませんか!?」


 あんまりに声が大きいので主任はびっくりしたような顔をしていた。しかし事情を聞いてしばし考え込む。


「すぐには思い浮かばない。だけど技術部の面子なら知っているんじゃないか? ほらインドに出張していたりするから」


「聞いてきます!」


 バタバタと足音を立てて技術棟に走り込んだ。


「廊下を走るな」


 扉を開けた先で出くわしたのは草壁さんだった。タクシーで通勤している草壁さんなら知っているかも、そんな直感が働いた。


「草壁さんお願いがあります!」


「なんだよ」


 ただ事ではないと分かってくれたのか足を止めて私を顔をちゃんと見てくれた。


「お願いします! ハラールに対応しているお店教えてください。近くで! すぐに行けるところ! お客様が待ってるんです!」


 頭を下げた途端、視界がぐるんぐるんと回った。

 あぁ倒れそう。

 でももう少しだけ耐えて私の三半規管。


「……ちょっと待ってろ。たしかあそこが」


 心当たりがあるのか自分のスマホを取り出した。さして迷うことなく電話をかける。


「あぁ草壁です。突然すいませんが、そちらはハラールの対応をしていますか? あぁやっぱりそうですよね。いまドバイからお客さんが来ていて、これから連れて行ってもいいですか? あぁ、はい、ありがとうございます。それではのちほど」


 どきどきしている私を見て、空いている方の手で小さく丸印をつくってみせた。もう片手を社内のピッチに持ち替える。


「宮下さん、草壁です。ハラールの対応しているお店探しているんだって? いま総務の松井から聞かれたんだ。うん、葵町のジャイプール知ってます? あ、なんだそうですか。ええはい、社有車で向かってもらえますか? お願いします。あとこの件で松井をあんまり叱らないでやってください、こいつ泣き虫なんで。それじゃあ」


 通話を切ったあと私に向き直る。


「宮下さんもジャイプールにあたりをつけてこれから向かうところだったってさ。松井が慌てなくてもその手の情報は営業部内では共有されてるだろ。だから――ってオイ」


 私は見事に膝から崩れ落ちていた。


 考えてみれば当たり前のことだ。

 遥々日本にいらっしゃったお客様がお昼だけ食べて帰るはずがない。夜に接待することだってある。当然それ相応のお店がリストアップされているはずだ。


 私はみんなに迷惑かけて、ひとりで大騒ぎしていただけなのだ。

 なんて恥ずかしいことを。

 草壁さんだって設計にあてるはずの時間を私なんかのために使わせてしまって。


「でも、ま。気にするな」


 短く、そして優しく、草壁さんが肩を叩いてくれた。


「一生懸命なのは悪いことじゃないだろう。赤ん坊だって迷惑かけながら成長していく。新人だって同じだ。やれることをやらないよりよっぽどいい」


 優しい言葉をかけられたせいだろうか。


「おい松井?」


「よがっだぁあああーーーーー」


 安堵感から涙と鼻水が一緒に出てきた。


「きったね」


「し、しがだないじゃないですが、ほんとにもうだめだどおもっで」


「やめろ、そこに垂らすな、ティッシュティッシュ!!」


 その日のことは『ハナミズ事件』として語り継がれることになる。



 ※



「昨日は大変だったわね」


 定時後川嶋さんに連れて行かれたのは再びの「ジャイプール」だった。


 川嶋さんは店の名物であるの激辛カレー「第四」を完食したところだ。私は一口味見させてもらっただけで舌が焼けるように熱くなりギブアップ。いまは辛さゼロのバターチキンカレーに舌鼓を打っている。


「前も思いましたけど妊婦さんなのに辛いもの食べて平気なんですか?」


「適量なら大丈夫よ。我慢するほうがストレスになるじゃない」


「ハハハ、なんたって七菜子は第六のカレーまで制覇した勇者ダカラネ」


 笑い声を上げながらチャイを運んできてくれたのは見るからに現地の方ぽい人だ。独特な香水のにおいがする。


「あ、アジャイさんこんばんは。この前はいなかったね。この子、前に話したウチの新人の依子ちゃん。依子ちゃん、この人はお店のオーナーのアジャイさん。十年以上日本に住んでいるから日本語ペラペラのくせにわざと片言で喋るの」


「よろしくですねー、次世代を担うエースだってきいてるよー」


「とんでもないです。昨日のお昼はご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」


「なんのなんの。ウチは大歓迎よー。どんどん来てねー」


 人懐こい笑顔にホッとする。


「新人さんは迷惑かけるもの。七菜子チャンも昔はここに来てよく泣いてたネ」


「ちょっとアジャイさん、人の恥ずかしい過去をバラさないでください」


「なにが恥ずかしい? くやしいくやしいっていつも泣いてたネ」


 川嶋さんはムッとしたように頬を膨らませていたけど、手元にあったナンを引きちぎって口に運んだ。


「わたしが新人だった頃にめちゃくちゃ厳しい課長がいて、なにしても怒られてばかりだったの。新人だから失敗やミスで周りにも迷惑かけていたけど、その度におまえは小学生かって怒鳴られた。当時はまだパワハラって単語もなかったからね。わたし唇を噛んで耐えていたけど帰りにこのお店で鬱憤を晴らしていたの」


「なんだか想像できません。川嶋さんでもそんなことがあったんですね」


「でね、これはもう時効だからいいと思うんだけどミスを隠ぺいしようとしたことがあったの。もう怒られるのがイヤで。でもすぐにバレちゃって迷惑をかけてしまった。『また怒られる!』ってびくびくしていたら課長はわたしのところに来て『ミスに気づかなかったのは上司である自分の責任だ、悪かった』って頭を下げてくれたの。そして一緒に謝りに行ってくれた。わたしも素直じゃなかったなと反省して、それからはどうすればミスしないで済むのかを考えるようになったの」


 人間だからミスをする。失敗する。間違いもする。

 けれどその時にどうリカバリーするかが大事なんだ。


「その課長も定年退職しちゃったけどね。何度も辞めようと思ったけど、いまにしてみれば笑い話。がんばってきて良かったなって思う」


 苦しみを乗り越えて総務を続けている川嶋さんの目が活き活きしている。


「わたしはこの仕事が好きなんだ。古いとかダサイとか言われても、誇りに思っている。だから否定されると怖いし不安なの。できることなら一生続けていきたい」


「川嶋さんはいつも楽しそうですもんね」


「うん。たのしい。だけどひとり占めできるものでもないって分かっていて、だから依子ちゃんには感謝しているの」


 そう言って愛おしそうにお腹を撫でた。


「妊娠が分かったとき仕事か子どもか、どちらかしか選べないと思っていた。育児休暇の取得率なんたらって国は推し進めているけど、しわ寄せは現場にいくでしょう。本当にギリギリまで悩んだの。でもいまはホッとしている。依子ちゃんは本当に頑張ってくれているもの」


「――……はい。私、もっともっと頑張ります」


「うん、それでこそ総務の松井依子ちゃんだね!」


 いつかなれるだろうか。

 川嶋さんのような総務の一員に。


「わたしの代わりだなんて言わない。依子ちゃんは依子ちゃんなりに頑張ってみて。きっと見てくれている人がいるはずだから」


 自分がやっていることは会社にとって一円のプラスにもならないけれど、誰かの役に立てるのならそれでいい。そうだよね。


(――あれ、どうして草壁さんの顔を思い出してしまうんだろう)

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