5.早帰りデー

 そんなこんなで、あっという間に一週間。

 あれ以来草壁さんと出くわすこともなく、私の毎日はせわしなく過ぎていった。



 五時半。終礼が鳴った。


「お先に失礼します」


 フロアに残っている総務や経理の人たちに声をかけると「お疲れ様でした」と返ってくる。

 今日は水曜日。早帰りデーだ。

 急ぎの案件がない限りは定時で退勤することになっている。残業は割増賃金が発生するのでそれをアテにする人も少なからずいるが会社にとっては人件費の増額につながる。総務は会社の代弁者であり従業員のお手本なのだという。よって早帰りデーに率先して帰るのも総務の大切な役目なのだ。


『総務の席って受付も兼ねているじゃない。そこに電気がついていると他の社員も『仕事していていいんだー』って思っちゃうものなのよ、心理的にね』


 前職では仕事をすればするほど昇進につながると思っていたけど、定時で帰れる安心感は強い。


「あ、依子ちゃん。明日はわたし検診でお休みだからよろしくね」


 更衣室で着替えていると遅れて入ってきた川嶋さんが声を掛けてきた。

 そうだ。明日は初めて川嶋さん抜きで仕事をしなくちゃいけないんだった。


「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫。他の人たちにもなにかあればよろしくと伝えてあるし、今後のことも含めていい練習になるでしょう」


「は、はい……」


 総務には主任や課長、部長がいる。でも私が話をするのはもっぱら川嶋さんだけだ。主任はいつもムスッとしていて近寄りがたいし、課長は忙しそうだ。部長に至っては挨拶以外口をきいたことがない。


 どうか何事もありませんように。

 そう願うしかない。


 ほんの少し憂鬱な気持ちで社員用の通用口へ向かうと、


(で、でた)


 扉の外に、どどん、と大きな背中。草壁さんだ。


 外は小雨が降っているので軒下でぼんやりと雨垂れを見つめている。

 彼は田舎では必需品の車を持っていないためタクシーで通勤していると聞いていた。きっと到着を待っているのだろう。


「……あの、すみません」


 後ろから声をかけた。振り返った草壁さんは自分が通行の妨げになっていたことを悟ったらしく、さっと横にずれる。無言のまま。

 感じ悪いなーなどと思いながらタイムカードを切り、出口近くの傘立ての中を探った。たしか予備の傘を置いていたはずだ。


「あれ、ない」


 置き傘の山をいくら探しても自分の傘が見つからない。開きっぱなしや折れて壊れたものが無造作に突っ込まれているだけだ。仕方ないので駐車場にある車まで走っていこうと思ったのに、突然雨脚が強くなる。空はうっすら晴れているのにタイミングが悪い。


 そのせいで草壁さんと肩を並べて雨宿りすることになってしまった。


「この前は悪かったな」


 ぽつりと、悪びれた様子もなく事務連絡のように謝られた。


「べ、べつに、気にしていませんから。私も悪かったんですし」


 そう答えたものの内心は腸煮えくりかえっている。ケーキくらいおごってもらわないと気が収まらない。

 のだけれど、そんなことを言えるはずもなく。


(気まずい)


 会話が続かない。

 雨は一層強くなるばかり。


「松井」


 反応が遅れた。急に名前を呼ばれたせいだ。


「松井はどうして総務になったんだ?」


 一体なにを聞いてくるんだろう。そんな当たり前のことを。


「どうして……って、配属されたからですよ。私は海外部門を希望していたのに空きがなかったみたいで。こんなに大変だなんて知りませんでした」


「なるほどな。本心では納得してないわけだ」


 びっくり、した。

 心臓を射抜かれたような。

 ハンマーで殴られたような。

 そんな衝撃だった。


「俺、前の会社で総務だったことがある。新人研修の一環で、ほんの数ヶ月だけだけどな」


 唖然とする私をよそに草壁さんは淡々と語り出す。


「最初はバカにしてた。総務なんて雑用係だろ誰でも出来ることで給料もらってるお荷物だろって舐めてかかって、あまりの忙しさに吐きそうになった。やっていることは電話や来客の応対したり書類を準備したりだけど量が半端ない」


「そう……そうです、ほんとに大変で。でも川嶋さんは普通の仕事だけじゃなくに私のOJTまでしてくれているんです」


 初めての妊娠で大変なのに私の物覚えが悪いせいで残業させてしまってる。本当に頭が下がる。


「目に見える結果を残さなくちゃ評価されないのが会社だ。だけど総務の仕事は良くも悪くも地味だし利益につながることはほとんどない。他部署からは鬱陶しがられる。それでもあの人たちがいたから会社は回ってたんだと思う。尊敬してる。……もうみんないなくなっちゃったけどな」


 そうだ、三九二製作所の総務は解体された。草壁さんが尊敬した人たちはもういないのだ。


「総務がなくても会社は回る。最適化される。だけど俺はここに総務があって少しだけ嬉しかったんだ。ひとり心配な奴がいるけどな」


 ニヤリと笑って私を見る。


「私へのイヤミですか?」


「そんなことは言ってない。足を引っ張らないといいなって思ってるだけだ」


「ほらイヤミじゃないですか!」


 本当にヤな人だ。

 いつか見返してやる。がんばってやる。


(そうだ、がんばらないと)


 気持ちが高ぶったのかじわりと熱いものがこみ上げてきた。ここのところ涙腺が緩くてたまらない。


(ええい、泣くもんか)


 ごしごしと目元を拭う。

 社会人たるもの、こんなことで一々泣いてどうする。


「なんだ、また泣くのか?」


 草壁さんが半笑いで問いかけてきた。私はついムッとして言い返す。


「泣きません!」


「へぇ、根性あるじゃん」


 がさっと音がした。握りこぶしが差し出されている。なんとはなしに受け取るとパイナップル味の飴だった。


「……ま、がんばれよ。総務の松井」


 そのとき後ろから大勢の話し声と足音が近づいてきた。四ノ宮くんと製造部門の人たちだ。


「あれ草壁とよりちゃん。二人ともどうしたの?」


 草壁さんは途端に無表情になる。


「なんでもねぇよ。タクシーが来たな。じゃあお疲れ」


 タイミングよく滑り込んできたタクシーに乗り込んで行ってしまう。私の手のなかにはパイナップル味の飴玉が二つ。


「あれ、よりちゃん目が赤いよ。草壁になにか言われたの?」


 慌てて目元を拭う。


「ううん、なんでもない。これ一つあげるね」


 一つを渡し、もう一つを自分の口に放り込んだ。うん、甘酸っぱくて美味しい。


 徐々に雨脚が弱くなってきた。

 きっともうすぐ晴れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます