4.火曜日の女子会

「それパワハラじゃないですか?」


 ナンを千切りながら眉をひそめたのはさっちゃんだ。

 ここは会社近くにあるインド料理店「ジャイプール」。川嶋さんが教えてくれたお店だ。薄暗い店内にはサリーを思わせる華やかな布がいくつも垂れ下がり、エスニックな香りが漂っている。


 今日のことを話したくて「夜に女子会をしたい」と提案したらさっちゃんが真っ先に応じてくれた。他には川嶋さんと、もうひとり――。


「いやいやパワハラっていうよりモラハラじゃーん、精神的ないじめの度合いが大きい気がする。そんな人放っておいていーの? 総務の七菜子ちゃーん」


 独特の間延びした喋り方をするのは営業部の宮下亜子みやしたあこさんだ。髪は短くてボーイッシュ、トレードマークの赤い眼鏡をかけている。営業部のヨーロッパ地域担当で川嶋さんの同期。仕事中は流暢な英語で喋るけどオフモードになると素の話し方に戻るそうだ。


「亜子ったらもう酔っぱらってるの?」


 飲み会のおじさまみたいに肩を抱いてくる亜子さんの腕を面倒そうに振り払い、川嶋さんが唇を尖らせた。耳元のイヤリングがきらきらと揺れる。女子会なのでみんな私服だ。地味なシャツにださいカーディガン姿の私とは違い、川嶋さんはダークグレーの無地ワンピースをネックレスなどでお上品に着こなしている。

 

「なんでぇ? まだ一杯しか飲んでないよ? すみませーんハイボールお願いしまーす。ロックでー」


「くぅ、わたしがお酒飲めないのを知ってて! 悪魔か!」


 会社ではまず聞くことのない川嶋さんの暴言はちょっと新鮮だ。


「かっかっか。悔しかったら早く出産して戻ってくるんだねー。あ、でも授乳中はお酒飲めないかー。かっかっか」


「このー!」


 ふたりの楽しげ?な会話に流されてしまいそうだけど、なにを隠そう川嶋さんはいま妊婦さんなのだ。

 この冬に出産を控えている。だから私が後任として選ばれたのだ。


「お楽しみのところ水を差すようで申し訳ありませんか、後輩がハラスメントの被害を受けたのに総務としてなにもしなくていいんですか?」


 一枚目のナンを食べ終わって追加を頼んださっちゃんが川嶋さんに喰ってかかった。これはまずい、かなり怒っている。

 あまりの気迫に慌てて私も口を挟んだ。


「私も悪いの。個人情報が載っている裏紙を使ってしまったから」


「だからといって威圧する必要はないですよね。それだけじゃなく技術部の皆さんが聞こえるところで叱責したんでしょう。悪質ですよ」


 さっちゃんの正義感は嬉しいしありがたいけど大事おおごとにはしたくない。軽々しく言うべきじゃなかったと反省した。

 どうしようどうしようと悩んでいると川嶋さんがふぅと息を吐く。


「そうね……。草壁くんの態度もよくないけど、個人情報および裏紙の扱いをちゃんと教えなかったわたしが全面的に悪いです。ごめんなさい」


「ちょ、川嶋さんが謝ることじゃないですよ。私が悪いんです」


 姿勢を正して競うように頭を下げ合う。まるで丹頂鶴のようだ。


「ほらほら森本ちゃん、ふたりに免じて今回のことは水に流してあげよーよ。許す・許さないは松井さんと草壁くんの問題だし第三者がカリカリしたって仕方ないでしょうー。いまこうやって悪口言っているのだってある意味モラハラだよ?」


 さっちゃんはなお険しい顔をしていたけど宮下さんに取り成されて息を吐いた。


「……分かりました。大騒ぎしてすみません」


 と身を引いてくれた。ちょっと気が強いけど、さっちゃんは友だち思いのとても優しい人だと分かっている。私のために本気で怒ってくれるのは嬉しいことだ。

 ともあれこの件は一旦横に置いておく。


「それにしてもあの草壁くんがねぇ」


 川嶋さんは目の前にあった容器を手にとると自分のカレーにふりかけはじめた。唐辛子だろうか。茶色い大地に粉雪が降り注ぐがごとく、赤黒いカレー畑はみるみるうちに真っ赤になっていく。


「三九二製作所からの転職なんてびっくりしたけど、見た目と違って結構人間らしいところあるのね」


「んー? 七菜子ちゃんは彼をなんだと思ってんの?」


「めちゃくちゃ奇特な人。あるいは変人」


 楽しそうに会話する間も川嶋さんのカレーはどんどん赤くなっていく。

 妊婦さんだよね? 大丈夫なの?


「だって三九二ってウチの競合先よ。ふつう退職後何年間かは競合先には転職しないって覚書やら誓約書を書かされると思うんだけど、前日までライバル会社の社員だったのにコロッと寝返ったの。前職の源泉徴収票を見たけど給料は三ヶ月で百二十万。信じられないでしょう? ウチはそんなに出せない」


 つまりこういうことだ。

 ものすごくお給料のいい会社を捨て、一日の間も置かずにライバル企業に転職してきた。しかも格下の中小企業へ。


「即戦力としてすでにいくつかの設計にも関わっているって聞くけど、本人は無愛想で仕事以外の話はしないし、設計の一匹狼って揶揄されてるんだって。仕事も人間関係もドライで感情的になっているところなんて見たことない。彼が怒るなんて初めて聞いた」


「じゃあ、彼に怒られた初めての人間が私ってことですか?」


「虎の尾でも踏んじゃったのかな」


 ところでそろそろいいんじゃないかな。元のカレーの色が見えなくなってきたよ。

 ヒヤヒヤする私をよそに宮下さんは別の話題を口にする。


「そういえばー、最近聞いた話だと三九二製作所は業務効率化のため『総務』って部門そのものを解体したらしいよー。外部委託を進めた結果、十人近くいた総務はいまでは一人で事足りるんだとか。ドライな草壁くんのことだからきっと総務の存在自体が必要ないと思ってるんじゃないーあ、すみませんハイボールひとつ、あと枝豆も」


「確かにね、個々の能力に依存していた業務をアウトソーシングすれば平準化・効率化できるもんね。人員を減らせばそれだけ人件費が安くなるし。総務は頑張れば頑張っただけ人件費を増やすことになるから利益を出すにはウチ以外の部門に頑張ってもらうしかないのよね。草壁くんの言う『非生産的』な部門はド正論」


 なおカレーを赤くしながら川嶋さんが項垂れる。


「だからそういう大変な人たちを裏でサポートするために頑張っているのに、それを否定されると……悲しくなっちゃう。悲しいけど、どうしたらいいのか分からないから悔しい。悔しいけど、見返す方法がないから悲しい。なんだか堂々巡りだね」


 川嶋さんたちは総務が「非生産的」な部門であることをピックアップして議論している。

 でも私はそうは思わなかった。草壁さんの意図も別のところにあるように思えた。


 だってそんなに目障りな存在なら、どうして会社に存在するの?

 人間は部品じゃない。感情がある。黙々と忠実に仕事をこなすだけではないのだ。メンテナンスや潤滑油になる部署が必要なのではないだろうか。


(だから草壁さんはあんな言い方をしたのかな)


 気をつけろ。

 会社の足を引っ張るな、と。


「「……あの」」


 思いきって口を開いた瞬間、さっちゃんと丸かぶりしてしまった。私がどうぞと譲るとさっちゃんは恐ろしいものでも見るように川嶋さんのカレーを指し示す。


「カレー、真っ赤ですけどいいんですか?」


「カイエンペッパーね。平気平気。もう十ふりくらいかな。森本さんも使う?」


「いらないです。というか粉チーズ並みに盛られてて気持ち悪いです」


「かっかっか。七菜子は舌がバカだからね、これくらいしないと辛さ分かんないんだってー。あ、すみませーん日本酒ロックでお願いしまーす」


 こうして初めての女子会はぐだぐだのうちに閉幕した。



 ※



「あぁ遅くなっちゃった」


 買い物をして「コーポ木蓮」の駐車場に車を停めたのは九時前だった。八時を過ぎると割引シールが貼られるのでそれを目当てにスーパー巡りをするのだ。

 ずしりと重い買い物袋を両手に提げて階段をあがる。一段一段が随分遠い。


 前の会社は自宅から通勤できる場所だったので実家暮らしに甘んじていたけど、いまはなんでもひとりでやらなくちゃいけない。仕事でくたくたのまま帰宅してからの夕飯の準備やお風呂の支度は正直つらい。


 でもいまの会社を選んで良かった。

 草壁さんのことはともかくとして川嶋さんは優しいしさっちゃんは頼りになるし四ノ宮くんはフレンドリーだ。問題は川嶋さんがあと半年ほどで産休に入ってしまうという点だけど。


 階段をあがりきったところでふと空を見ると満月だった。どうりで明るいわけだ。


「なんかダルマみたい」


 ダルマにまつわる諺。

 ななころびやおき。


 ダルマは何度転んでも起き上がる。

 ただしそれは熟練した製作者が重りの位置をきちんと見定めているからだと聞いたことがある。素人が造ったら転がったまま起き上がれないかもしれない。


(――私はいま、どっちなんだろう)


 歯を食いしばって必死に起き上がろうとしているのか、

 なにもかも諦めて転がったまま惰性で揺れているだけなのか、

 どっちだろう。


 どっちでもいいけど、もうだれかに倒されるのはイヤだなぁ。


「あぁいけない」


 考え事をしていたら二〇二号室を通り過ぎてしまった。

 都会とは違い九時を過ぎると辺りはシンと静まり返り、時々バイクや犬の鳴き声が遠くに聞こえるだけだ。都会の騒々しい夜に慣れていた依子もこちらのほうがよく眠れることに気がついた。

 とは言え付き合いの少なさは都会も田舎もあまり変わらず、近隣住民と顔を合わせれば型どおりの挨拶はするものの名前も勤務先も知らない。

 特に二〇一号室はいつ行っても不在だ。この時間になっても帰宅していないらしく室内は暗い。

 入居の挨拶をしようにもあまりにも遭遇しないので、仕方なく挨拶状と洗剤を郵便受けに入れておいた。


 あれから二ヶ月。特に反応はない。

 ――ま、いいか。


 気を取り直して二〇二号室に入った。

 私を待ち構えているのは実家から引っ越す際に第三オーディションまでやって選び抜いたダルマたちである。

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