2.はじめてのおつかい

 ダルマ工業株式会社。

 従業員数は約二百人。資本金は三十億。地方都市にある中小のプラスチック製品メーカーだ。海外にいくつもの工場や支社をもち、田舎にいながらグローバルに事業を展開している。

 都会に比べればお給料は安いけれど近隣レベルで見れば格安というわけでもない。住宅手当もでる。Iターン就職の先としては悪くない。


 ――と、ここまでは四季報や会社のホームページを見ればいくらでも調べられるのだけど。



「依子ちゃん、お弁当は注文したの? 九時五分がタイムリミットだけど」

「はい、いま個数確認しています!」

「依子ちゃん、今朝もらった仮払金の伝票は経理に回してある? 急ぎだって言われてたよね」

「あ、すぐに!」

「依子ちゃん、頼んでおいた文房具は発注しておいてくれた? 物品購入願が出てないみたいだけど」

「きゃあ忘れてました!」

「依子ちゃん……」



 最悪のデビューを飾った入社式から二ヶ月。


 暦の上は六月になったというのにいつゴールデンウィークが終わったのかと思うくらい総務生活は大変だった。


 八時半の始業から前日提出された伝票のチェック、お弁当の注文、役員室の掃除といった分刻みの業務に加えて受付としての電話応対、来客対応、お茶だしといったイレギュラー要素がバンバン飛び込んでくる。

 目が回るような忙しさとは正にこのことで、時間の感覚を失うこともしばしば。一時間程度の作業をしていたはずが昼休みのチャイムが鳴ってビックリすることもある。


 総務の朝がこんなに忙しいなんてどこにも書いてなかった!


「……はい、お弁当の個数は以上です。よろしくお願いします、失礼いたします」


 大仕事をひとつ終えてホッと息をついた。


 お弁当注文。

 決して派手な仕事ではないけれど、近隣にコンビニひとつないこの職場ではお弁当の有無は死活問題だ。毎月渡されるお弁当のメニュー表を自席に貼って楽しみにしている者も多い。万が一誤ろうものなら最低一週間は恨み節を聞かされる。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。


「うん。個数、注文方法とも合格。もうわたしのチェックなしでも大丈夫ね」


 二ヶ月にわたってダブルチェックしていた川嶋さんが免状のかわりに引継書にスタンプを押してくれた。通称ダルマ印と呼ばれ、会社のトレードマークでもあるダルマを模した絵柄の真ん中に姓名が刻まれている。


「私も早くハンコが欲しいです」


「試用期間が終わったらね。名札、名刺、制服と並ぶウチの従業員の証よ。夏休みのラジオ体操じゃないけど、がんばってスタンプ集めてね」


 手渡された引継書は百ページを超える大ボリュームだけれど引継済みの印鑑があるのはまだ三つ……受付、電話応対、お弁当注文だけだ。前途多難。


(海外部門を希望していたのに、なんでこんなことしているんだろう)


 けれどため息をついても仕方ないのだ。いまはとにかくひとつでも多く仕事を覚えなければ。なぜなら川嶋さんはあと数ヶ月でいなくなってしまうのだから。


「よーりちゃん、お疲れっすー」


 よく響く声とともにパーティションの向こうから現れたのは髪の毛が伸びた四ノ宮くんだ。相変わらず笑顔が幼い。

 来客の受付カウンターに面した私の席は机の上を覗き見されないようパーティションで仕切ってある。彼はそこに顎を乗せて覗き込んできた。


「工場で油引っ掛けちゃってさ。新しい作業着ちょーだいちょーだいちょーだい」


「あぁちょっとパーティションを揺らさないで、大事なメモが落ちちゃう。いま出してくるから」


 壁面に組織図や内線簿や重要なメモをベタベタと留めてあるのを見て「テレビドラマで見たことある。できない社員がよくやってる」と彼にからかわれたことがある。


「いぇーい。もう臭くってさ、我慢できないよ」


 製造部門に配属された四ノ宮くんは自分の何倍もある大きな機械に潜り込んで金型の微調整やメンテナンスをしている。入社式の写真では空色のまっさらな作業着で臨んでいた彼も、いまではすっかり油まみれの姿が似合うようになった。


「今月もう三着目じゃない。忙しいんだね」


 奥の倉庫から新品の作業着を取ってきて手渡すと四ノ宮くんは誇らしげに胸を張った。


「いま海外からの受注が絶好調でさ、オレみたいな下っ端も問答無用で駆り出されるんだよ。来月には先輩と初めての海外出張に行くんだ」


「え、どこに?」


「シンガポール」


 と口からなにか発射している演技を見せる。マーライオンかな。


「そっくりー」


「いやいやそこ突っ込むところだから!」


「でも入社二ヶ月で海外出張ってかなり凄いんじゃない?」


「まぁそうでもあるさー。単に人手が足りないだけなんだけどね」


 謙遜する四ノ宮くんだけど、胸ポケットから顔を出しているヨレヨレのノートがその頑張りを表している。


 ノートは会社で支給しているもので、時には体を折り曲げて機械の中に入る製造部門の人たちは持ち運びしやすい手のひらサイズのノートを好む。肌身離さず持ち歩き、現場で見聞きしたことをノートに記して自らの糧にしていくのだ。ノートの汚れは頑張った証拠、勲章と言ってもいい。

 すごいなぁ。私がハンコを三つしかもらえない間に同期の彼は海外に行ってしまうなんて。なんだか眩しく見える。


「でもさ、よりちゃんもすごいよね。まだ二ヶ月しか経ってないのに総務の主力として頑張っているじゃん。この前の電話の取り次ぎ? 前に課長がいなくてオレが代わりに出たことあったじゃん。なんだか慣れててプロっぽかったよ」


「それは、ほら、学生時代にバイトで電話応対していたから。それだけ。専門的な知識はまったくないし、廊下ですれ違っても顔と名前と社員番号が一致しない人ばかりで」


 電話応対ひとつにしても、ここは代表電話。ありとあらゆる用件の電話がかかってくる。配送中のトラック運転手からの「迷子になった」、取引先から「請求書の金額が違う」など。だれがどこの部署でなにを担当しているのか、それを把握して速やかに電話をつながなくてはいけないのに、まだ隣の川嶋さんに訊いてばかりだ。彼女が産休でいなくなったときのことを考えると恐怖でしかない。


「でも間違ったり失敗したりしてもいいじゃん。新人なんだし。オレはよりちゃんすごく頑張っていると思うよ」


「四ノ宮くん……」


 思いがけない言葉に胸が熱くなった。

 そんな優しいことを言われてしまったら。


「そんな風におだててもお給与はあがりませんからね」


「そこはほら、ちょこっと数字をいじってさ――ってンなわけないだろ!」


「冗談冗談。励ましてくれてありがとう」


 社会人である以上甘やかして欲しいわけではないけれど胸の奥がむずがゆくなる。嬉しいのと恥ずかしいの、両方の気持ちであふれそうになる。


 ――そんないい人たちにウソをついているのが、つらい。


「ねぇよりちゃん」


「ん?」


「良かったら今度さ」


 今度。なに。

 四ノ宮くんはハムスターのようにくりくりした目を忙しなく上下させていた。やがて意を決したようにこちらを見る。


「二人で――」


「はい、ちょっと失礼」


 するっと割り込んできたのは川嶋さんだ。


「依子ちゃん昨日作ってもらった伝票の金額が違うけど」


「ホントですか!? すぐ確認します」


「四ノ宮くんも、同期と楽しくお喋りするのはいいけどそこにいるとお客さんにお尻向けていることになるからね。気をつけて」


「やべっ、んじゃオレ現場戻りまーす。よりちゃんがんばー」


 そそくさと立ち去る四ノ宮くん。姿が見えなくなった直後どこからともなく楽しげな話し声が聞こえてきた。この声は製造部長かな。彼のいるところはいつだって笑い声にあふれている。


「あぁなるほど、ここの数字を間違えたのね。訂正して出し直してくれる?」


「はい、すぐに」


 急いでパソコンに打ち込んでいると、ぼそ、と耳打ちしてきた。


「同期の子たちに言ってないんだっけ。例のこと」


「――……はい。言いそびれていて」


「べつに今時珍しいものでもないと思うけどね、第二新卒だなんて」


 第二新卒。一度就職したものの理由があって数年以内に転職する人間のことを指す。

 私は短大を卒業と同時に就職したものの一年で退職。一年の就職活動期間を経て大卒組と同い年で就職した中途入社なのだ。

 もちろん履歴書にはありのままを書いた上で内定をもらったけれど、前の会社のことは正直思い出したくもない。


「プライバシーに関わることだからわたしがペラペラ喋るつもりもないけど、早めに言っちゃった方が楽だと思うなー」


 私もそのつもりだった。新人懇談会でお酒が入ったときに暴露すれば笑い話で済むと思ったんだけど、同じ中途の草壁さんの印象が悪すぎて(特にさっちゃん)酔えなかったのだ。


「まぁいいけどね。それにしても四ノ宮くんは依子ちゃん狙いか……ちょっと意外」


「狙い?」


「だってさっきの雰囲気、絶対にあやしかったもん。知ってる? 社会人で付き合うカップルの半分は同期なのよ」


「ま、まさか。そんなわけないじゃないですか。同期だからですよ、同期だから気軽に誘ってくるんです。どうせ飲み会ですよ」


「どうだか」


 胡乱げに見つめられると冷や汗が出てくる。


「――あ、電話が鳴ってますね。三コール以内にとらないと」


 川嶋さんはまだ目を細くしていたけれど急いで受話器をとった。三コール以内に出るのは新人の務め。助かったー。誰が誰を好きだの誰と誰が付き合っているだのの社内恋愛に巻き込まれるのはもう懲り懲り。


「はい、ダルマ工業松井でございます」


 元気よく応答する。相手は大手取引先で設計部門への用件だった。


「課長の村上へのご用件ですね。ただいま出張中ですのでこちらから折り返しお電話いたします」


 連絡先を聞いて電話を切った。

 設計部門は総務や経理がいる事務部門とは建物が別になっている。向こうにも事務の人がいるのでそこへ電話して用件を伝えるのが普通だけど、隣でパソコンをにらんでいた川嶋さんが思い出したように口を開いた。


「そういえば依子ちゃんって向こうの建物にあまり行かないよね?」


「はい。電話は事務の古田さんにお願いしているので設計の方たちとは朝と夜の出退社か食堂で見かけるくらいですね」


 入社初日に会社内を案内されたので当然場所は知っている。ただ男性ばかりがパソコンとにらみあっている怖いイメージしかない。


「わたしも用事あるんだけど、いまの件も含めてちょっと行ってきてくれない? 顔と名前を覚えるには実際に会うのがいちばん近道。分からなければ古田さんに聞けば教えてくれるはずだから」


 そう言って差し出されたのは面談リスト。十人ほどの名前が羅列され、その中の数人に二重丸がついている。


「これはなんですか」


「産業医面談の対象者。三六協定っていうのがあってね、うちは残業が四十五時間超過した月が三回続いたら産業医と面談することになっているの。二重丸ついている人がそれ」


「うわ、八十時間も残業している人がいる。とんでもないですね」


「残業や休日出勤とかでね。受注が増えればどうしても多くなっちゃうのよ。中には手当だけで基本給の半分に到達する猛者もいるし」


 いくら手当がでると言っても八十時間も残業したら頭がおかしくなってしまいそうだ。


「そのリストを設計部門の部長に渡してきて欲しいの。メールで送ってもいいんだけど、そろそろひとりでもお使いできるでしょう?」


「もちろん! お任せください」


 電話メモとリストを手に立ち上がる。本音を言えばちょっぴり心細いけれど怖がっていては前に進めない。


「うん意気込みはばっちりね、行ってらっしゃい。――とその前に、制服の支給表書くの忘れてなぁい?」


 作業着は一着につき千円の自己負担があり給与から控除することになっている。社員に支給する度に備え付けの用紙にメモすることになっていて、うっかり忘れると不公平になってしまうのだ。


「わ、忘れてました!」


「素直でよろしい。次はよろしくね」


 川嶋さんはひらひらと手を振って笑顔で見送ってくれる。私こんな調子で大丈夫かなぁ。

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