ストーカーとベランダ①

 お兄さんとのベランダでの会話の翌日、火曜日。


 学校にあんな怪文書が届いたのに、私はひとまず土曜日までは通常通り登校することになった。


 ただし、条件として怪文書や写真のことは他言無用。


 この高校の生徒が援助交際をしていると、学校の外にバレるのがまずいらしい。だから先生たちは、これ以上外に広がらないように犯人を探しているみたいだ。


 怪文書と写真は学校のポストに直接投函されたようで、まだおそらく外には漏れていない。これがバレると、多分私はすぐに処分を受けることになってしまうだろう。


 私は、考えた。この学校を退学にならず、お兄さんにも迷惑をかけないで済む方法。私が土曜日までにできることは、全てやろう。


 それで結果が変わらないかもしれないけれど、やらないよりきっとマシだ。まず、犯人を探すこと。名探偵ナノハ、参上!!


 犯人の目的。思いつくのは私、もしくはお兄さんへの嫌がらせ。だとしたら私たちどちらかに恨みのある人間。


 学校への嫌がらせの可能性もある。それに私が利用された、というパターン。でも多分ないだろう。


 だったらひっそりとポストになんて入れないで、もっと世間にわかりやすく門や建物に貼り付けたり、いくらでもやりようがある。


 誰にも気付かせずにポストに入れたのは、学校内で解決させたかったから?


 多分私への恨み、その線が濃くなってきた。


 それと、私の名探偵ぶりも良くなってきた。えっへん。


「は、花咲はなさきさん、昨日は大丈夫だった?」


「あっ、堀川ほりかわくん。うん、まあなんとかね!」


 お昼休み、脳内で一人探偵ごっこをしていた私に堀川くんが尋ねてくる。


 今日、学校に来てから色んなクラスメイトからなにがあったのか聞かれたけれど、口外するわけにもいかず、なんとか誤魔化していた。


 だから堀川くんにも言うわけにはいかなかった。


「どんな話だったの?」


「どんな……」


 他のクラスメイトは察してすぐに引き下がってくれたけれど、どうやら堀川くんはまだ気になるみたいで、引き下がらない。


「ごめん、なにも言うなって言われてるから」


「そっか。僕でよかったらなんでも聞くから、いつでも話してね」


 堀川くんは優しい。


 一年生の頃から私をよく気にかけてくれていた。


 堀川くんになら、一緒に犯人を探すのを手伝ってもらうのもいいかもしれない。彼は頭もいいし、きっと私では導き出せないヒントのようなものを見つけてくれるかもしれないし、むしろ犯人を見つけてしまうこともありそうだ。


 でも、誰にも言うわけにはいかない。


 言ってしまって、もしそれが学校の外に漏れるようなことがあったら、お兄さんにも迷惑がかかる恐れもある。それだけは、絶対に避けたい。


 私が学校を退学になったって、どうなったっていい。


 でもお兄さんが辛い思いをするのは嫌なんだ。


「ありがとう堀川くん」

 

***


 七葉なのはが俺の家に来なくなって二日経った水曜日。全ての処分が決まるのは土曜日。猶予はあと少ししかない。


 七葉には、迷惑をかけろなんて言ってかっこつけてしまったが、どうしよう。


 未成年淫行で捕まるなんて嫌だぞ。実際なにをしたわけでもないし、あいつが勝手に俺の家に来ていたわけだし……、でも追い出さない俺も悪いか……、腹立つけど。


 それにしても、一体どこのどいつが俺たちのことを学校に密告したんだろうか。


 そんなことをして得する奴なんて、果たしているんだろうか。


 七葉は土曜日に校長先生と話をすると言っていた。だったら、俺はその結果報告をただ待っているだけでいいのか、いいわけない。


 俺は自分を守るためにも、七葉を守るためにも、なにかできることをしないといけない。


「せんぱ~い、難しい顔してどうしたんですか~?」


 何故かまた家に夕食を食べにきている森下もりしたが、机に突っ伏して言う。


「なんもねぇよ」


 この件はあまり誰にでも言っていいことではないだろう。


 広まればきっと、七葉が更に不利になってしまう。俺のせいであいつに迷惑はかけたくない。


「先輩なにか隠してますね? 私にはわかりますよ」


「なんもねぇよ」


「ほらぁ、行ってくださいよぉ」


 どんどん詰め寄ってくる。ご飯中なのに、行儀の悪い奴だ。


「なんもねぇって」


「先輩のウソつきぃ……」


「バカっ! 近ぇよ!」


 気付けば森下の手が、俺の胸に触れていた。そんな距離で、耳元で囁くようにそんなこと言うんじゃない。


 俺が森下の肩を持ち、突き放す。


 そうでもしないと、このままでは押し倒されてしまうのではないかと感じるほどの距離だった。


 いつかの七葉を思い出す。


「ちぇっ、先輩のケチ」


「ケチでいいよ。別になんもねぇからな」


 どうやら夕食を食べ終えたらしい森下は、食器を洗い場に持っていったあと、何故かベランダに出る。


 後ろ姿がまるで拗ねた子供だ。


 俺も食べ終わったので、食器を洗いにいく。


 森下が来たから三人前作らないと、と無意識に七葉がいることになっていた。


 もう今は居ないのに、あいつがいることは俺の中で当たり前になっていたんだな。


「先輩」


「なんだ」


 食器を洗う俺に、森下がベランダから声をかけた。


 森下の声は、心ここに在らずという言葉がよく似合うトーンで。


「なんかいます、外。七葉ちゃんの部屋めっちゃ見てます」


「なに?」


 森下の言葉で俺はすぐに手を拭ってベランダに出る。


 その瞬間、俺のドタバタという足音で俺たちの存在に気づいた人影は、その場から走って逃げていく。


「なんだあいつ」


「七葉ちゃんのストーカー?」


 言われて、思った。


 もしかして、あいつが今回の密告者なんじゃないか、と。


 理由は、はっきり言って直感だった。


 でも、もしもあいつがそうだとするのなら。


 あいつは七葉が好きでストーカーしていた。そこに現れたのは俺。そして嫉妬のあまり俺たちの関係をかき回すために……。


「あいつ捕まえてくる!」


「えっ、先輩!?」


 アパートを飛び出す。


 ジャージにサンダル、すっげぇ走りにくい。


 でも逃げ出したあいつもどうやら足はそう早くないみたいで、まだ背中は見えている。


 間に合え。間に合えば、あいつを捕まえれば、写真の件は解決するかもしれない。だから、走れ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 学生時代はいつもなにかしら部活に打ち込んでいた。でも、もう会社員になって二年は経ってる。


「おえっ」


 思ったより、俺はおじさんだったのかもしれない。


 もう息は随分あがっている。久々にちゃんと走ったもんだから、頭がぐあんぐあんと音を立てながら揺れる。


 もう、無理か。そう諦めようとしたとき、背後から走ってくる森下が俺を追い抜いていった。


「先輩ほんとおじさんですね! 私に任せてください!」


 森下はぐんぐんと速度をあげて人影を追跡する。


 人影は遅いが、中々体力のあるやつだ。さっきから全然速度がおちていない。


 そして森下は、五秒もしないうちに速度がゼロになる。つまり、止まってしまったわけだ。


「はぁ、はぁ、先輩……運動不足じゃ、ないです……か」


「お前もだよ!」


 結局、七葉の部屋を覗き込む怪しい人影は捕まえられなかった。


 でも、収穫はあった。


「これ、あいつが落としていきました。メガネ、ですね」


 森下が拾ったのは、シンプルな黒一色のウェリントンメガネ。


 持ち主は真面目そうだな、という印象を受けるメガネだが、落とし主はストーカーだ。


「先輩つけます?」


「なんでだよ」


「それにしても、あの人なんだったんですかね?」


 本当に、俺も知りたいよ。


 あいつがもしもそうなのだとしたら、いやそうじゃなくても、このことは七葉に言っておかなければならない。


 俺はあの日、七葉と月を見た日。七葉とLINEを交換した。


 だから、早速そのトーク画面に文字を打ち込んだ。


『後で話せるか? ベランダで待ってる』


 別にLINEで話せばいいんじゃないかと送信してから思ったが、今七葉が元気にしているのか、声を聞けば少しはわかる気がして。


 元気にしてるよな? それが確認したいんだ、お隣さんとして。


 森下は夕食も食べたし、すぐに帰ってもらった。


 あいつだって明日も仕事だから、そんなに長居するつもりはなかったらしく、すんなりと帰ってくれた。


 そして、もう一度七葉にLINEを送る。


『今から、出てこれるか?』


 既読はすぐにつき、返事はこないが、代わりにベランダの方から窓を開けるカラカラカラという音は聞こえた。


 だから俺も、同じように窓を開けてカラカラカラと音を鳴らす。


「聞こえるか?」


 ベランダのバリケードに体を隠すように屈んだ。


 さっきまでここをストーカーが見ていたんだ。もしかしたらまたいつ戻ってきて写真を撮られるかわからない。


 七葉は察しのいいヤツだからすぐに俺の意図に気付いて、同じようにバリケードに体を隠した。


「うん。聞こえるよ」


 毎日一緒の部屋で、一緒の釜の飯を食っていたのに、こうしてベランダ越しに会うのはなんだか不思議な感じがする。


 それは俺だけじゃなく、七葉もそうらしく、お互いに緊張しているようなぎこちない会話で。


「元気か?」


 そんなこと、聞かなくても声だけで大体わかる。伊達に毎日一緒にいたわけではない。


 なのにそんなことを聞くのは、緊張のせいなのか。俺はなんで、緊張なんかしてるんだ。


「うんっ、元気だよ。お兄さんは?」


 緊張しているのは、俺だけじゃない。


 七葉も同じ。ぎこちない喋り方から緊張が伝わってくる。


「お前のせいで一人前の食事作るのが下手になっちまったよ。いつもちょっと多くてさ」


「そっか、じゃあ早くお兄さんのお家行かなきゃだね」


 そうだよ。早く来いよ。


 俺はお前がいないと、なんだか調子が狂っちまうんだよ。


「ばーか、来んなよ」


「そんなこと言って、ほんとは私がいないと寂しいでしょ?」


「うるせぇな、お前はほんとに……」


 話したいことはたくさんある。


 そのどれもが、日常のどうでもいいような話。


 たとえば、今日会社で森下が俺の机に座りやがったとか、スーパーで卵が割引されてめっちゃ安かったとか、そんなくだらない話。


 前はどんなことを話していたんだろう。


 前は、どんな気持ちで話していたんだろう。


「ねぇ、お兄さん」


 夏なのにやけに冷たい夜風が頬を撫でる。


 七葉はちゃんと風邪をひかないように温かくしているだろうか。


 お互いがバリケードに身を隠しているこの状況ではなにもわからない。


 いつものあいつのニヤニヤした笑いも、風に揺れる繊細な髪も、いつも俺といる時はほんのりと赤い頬も。


「私、早くそっちに行きたいよ」


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