第38話 そして俺は、最低な願いで言葉を紡いだ。
◇◇◇◇◇
「……ッッ――」
今、なんて言った? 日向が、俺のことを好きだって言ったのか?
「な、成海!」
声もなく走り出した日向を佐藤が呼び止めるが、それでも彼女は止まらない。もうどういうことなのかさっぱり分からない。
確かに俺は告白をされる覚悟を決めて、それを断る決意を胸にここへやってきた。
でもそれは佐藤に、だ。
日向が俺のことを好きだったなんて聞いていない。今、佐藤をここに残して日向を追いかけていいものなのかどうなのか、何もかもが分からない。本当に頭の中がごちゃごちゃだ。
いや、あんな日向を見るのは初めてだということだけは分かっているか。
「佐藤。悪いけど、話はまたでもいいかな?」
「やっぱりさすがに気づいてるよね……うん。私は大丈夫だから追いかけてあげて」
「ごめん、絶対にあとで時間作るから」
やっぱり佐藤は大人だ。こんな状況になっても自分以外を優先できる、いい奴だ。
俺は何度も謝りながら、小さくなっていく日向の背中を追いかける。急な階段を滑り落ちるように下って、下って、下る。
日向がつい最近まで陸上部だったということもあってか、全力で追いかけているというのになかなか追いつかず、そんな自分が情けなくなる。
「おい日向! 待てって!」
「なんで追いかけてくるんだよ!」
「なんでってお前――」
時折、前を走る彼女は汗ではない水滴を飛ばしていた。
俺の知る限り、今まで一度も泣いているとこなんてみたことのない日向が、だ。
『――わたしだって小春よりずっとずっと前から、水瀬のこと好きだったよ!』
彼女はそう言っていた。
小春――佐藤よりずっとずっと前から、と。
でもそれはいったい、いつからだ?
部活をやっていた中学ぶりなんじゃないかというくらい走り続けているのに、なぜか視界はゆっくりと流れる。頭がいつもよりもよく回る。
海の家でたまたま行き会ったときから?
それともかおりと再会して、でも俺は彼女のことを思い出せなくて、体育倉庫での件でそっけなくされたところにふと現れ、半ば強引に俺の相談にのってくれた、そのころから?
はたまた中学時代、かおりに黙って転校されて落ち込む俺をあの手この手で元気づけようとしてくれた、そのずっとずっと前から?
もしそうだとしたら、それはすごいことだと思った。
俺には想い人が違う人と仲良くなって、付き合うようになったことをおめでとうだなんて祝えないと思った。
『そっか。良かったじゃん。末永くお幸せに』
かおりと付き合うようになったことを報告した俺にそう返信したとき、彼女は何を思っていたんだろう。
ひょっとしたら俺は、とてつもなく
ふと寒気を感じて、それを振り払うように足を動かす。
いくら俺よりも運動をしているからといっても、男の俺の方が歩幅は広いんだ。すぐには追いつけなくても何十メートルと走り続けていれば――。
そして。
「やっと……追いついたぞ」
「ひゃっ」
やけに女の子らしい声をあげて、彼女はやっと足を止めた。
「みっ、水瀬。あれは冗談っつーか、嘘っつーか――」
「――悪かった」
本当に今日は、今まで知らなかった日向の一面がいくつも表れる。
あわあわと目を逸らしながら弁明しようとした日向を遮って出た俺の一言目は、心からの謝罪だった。
「な……なんでお前が謝るんだよ」
「いや、なんていうか、そうしなくちゃいけない気がして」
俺の言葉で、しばらくの沈黙ができる。汗が風にさらされて、体温が下がる。
「――日向」
「なんだよ……」
俺はこれから、今までよりももっと惨いことを言う。
ただ断って、それでおしまいなら良かった。でも日向はかつての親友で、今でもかけがいのない友達で、俺はこれからもそんな関係であってほしいと願っている。
だからこれは、エゴだ。
醜い欲求の押し付けで、相手のことなんてなにひとつ考えていない、傲慢なのかもしれない。
それでも――。
日向には、俺の本心を伝えたかった。本気の気持ちを、ありのままを返したかった。
「俺はずっと、かおりのことが好きだったよ。ずっと昔から。きっとかおりのことを忘れていた間も」
急になんだ、と日向の表情が曇る。
「中学のころ、俺を励まそうとしてくれたことにも、最近になって相談にのってくれたことにも、日向にはめちゃくちゃ感謝してる」
きっと言われていて、複雑な心中だろう。そんな思いをさせて、今までずっとさせてきて、申し訳ないと思う。
「なぁ」
「……なに?」
大きく、でも静かに息を吐く。
「俺はこれからも、お前と友達でいたい」
「……うん」
「中学時代の親友だったし、今だって日向ほど気の置けない女友達は他にいないと思ってる。だから――」
だから。
そもそも、あれは告白でもなかった。俺に伝えようとした想いじゃないのは、分かっている。
だから。
これは告白への返事でもなんでもない。ただの俺の惨くて酷い、最低なお願いだ。
だから。
「――これからもずっと、友達でいてくれるか?」
俺はそんな最悪な本心で、言葉を紡いだ。
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