第19話 本の保存

 今日は、鳴滝町の図書館が、年2回実施している蔵書点検の日。――蔵書点検とは、図書館の本があるべき場所にあるかどうかを確認し、行方不明のものがないかを点検する作業の事で、この日は通常の休館日とは別の日に、整理休館日として、図書館の職員とパートさんがほぼ全員出勤して作業をする。


 図書館にある約20万冊全ての本を確認していくわけなので、なかなかの重労働だ。

 さすがに1日で終わらせるのは困難なので、平日の開館中から少しずつ作業を始めて、整理休館日の今日、全員朝9時から出勤して、17時までに全て終わらせる。


 事前に担当の場所を決めて始めていくので、今日はみんな、自分に割り当てられた場所で朝から黙々と作業をしている。


 年2回の職員のいる休館日なので、蔵書点検の他にも、館内の清掃、図書館システムの更新や家具の補修、新品への入れ替え等で業者の出入りも多くなっている。


 僕は、自分の作業の担当を持ちながら、全体の進捗状況の確認や、出入りする業者との打ち合わせ等もやらなければいけないので、今日は、図書館内を動きっぱなしの状況だ。


 今も、昼から来る業者との電話での打ち合わせを終えて、1階への階段を上がって行く途中で、閉架書庫にいたパートの日下部さんに呼び止められた。

「あのー、ごめんなさい。長谷川さん」

「――あっ、はい」

「なんか、半年前に見た時より、本に着いた粉みたいなのが増えてる場所があるんですけど……」

「えっ、……それはまずいですね。どこですか?」

 僕は1階に上がりかけていた途中から、もう一度地下に戻って、日下部さんと閉架書庫の奥に入って行った。


「この書架を空けた奥の下の方の段ですね……」

 そう言って、日下部さんは電動式の集密書架のボタンを押すと、書架が左右に動き始める。そして、2人で開いた書架の間の通路を奥に進んでいくと、一番奥から2番目の書架までの範囲で本に粉のようなものが大量に付着している場所があった。


「これは、カビですね、範囲が広がるとまずいので、とりあえず怪しい本をダンボールに入れましょうか」

「はい。……すぐやりますか?」

 そう言って、日下部さんが、書架に入りかけた所で、

「――ちょっと待って下さい。確か……、去年買ったマスクとビニール手袋あったはず……」

 と言って、僕は事務室へ取りに行き、壁面キャビネットの中を探した。

「あった、ありました。……ちょっと待ってくださいね」

 事務室から日下部さんに、少し大きな声で言うと、閉架書庫から日下部さんの返事が聞こえる。

 そして僕は、カビの除去などを行う専門業者に電話をかけると、夕方には様子を見に来てくれる事になった。

 

 僕は、閉架書庫に戻ると日下部さんにマスクとビニール手袋を渡して作業を始めた。

 そして、書架の段数で12段分を持ってきたダンボール箱に入れていく。後で、戻しやすいように1段に2箱ずつ使用して、番号を振っていくと箱は24箱になった。


 元々うちの閉架の湿度は高いが、集密書架の奥の方は、こもってしまって更に高く感じる。しかも、湿気は下の方に溜まるので、今回カビの生えた本は全て書架の下の段であった。


 以前も、同じように本にカビが生えた事があった。まだ、図書館に来て間もない僕が、ある朝、それを発見したのだが、僕は慌てて家田さんに報告した。

「そっか、今年はカビが生えちゃったか……」

 家田さんは、落ち着いた口調でそう言うと、事務室からスーパーで使うビニール袋を持って、閉架書庫に入って行った。僕も付いて行った。


 そして、ビニール袋に入ったマスクとビニール手袋を取り出すと、僕の分を手渡して、自分は手袋とマスクをつけた。そして、慣れた手つきで、カビの生えた本を1冊ずつ選別し始めた。

「長谷川君、作業室からダンボールもってきてくれるかい」

「あっ、はい」

 僕は、家田さんが、手際良く選別する様子に見入っていたが、、作業室にダンボールを取に行った。


 そして、選別が終わりダンボール箱にカビの生えた本を詰め終わると、それを台車に載せ、

「ちょっと、水分が多くてしっとりしてる本あるから、一度外で乾燥させてから、後でエタノールでカビを拭きとろう」

 と言って、家田さんは図書館の裏の空き地に箱を運び、持って来たビニールシートの上にそれを並べて、

「今日は、天気良いから夕方まで乾燥させておこう」

 と言った。


 そして、閉架書架に戻ると、

「長谷川君、せっかくだから教えてあげようかな」

 と、家田さんは言った。

「はい、お願いします」

「書庫の湿度ってどれくらいが適当か分かるかい?」

「あまり今まで意識したことないけど、50パーセントくらいですか?」

「うん、まあ、それでも正解だけど、大体60パーセント以下だな。それで、温度は25度以下で、温度は安定させる事が大事だ」

「そうなんですね」

「ここはね、この書架と奥の壁に全然、隙間がないだろ?」

「はい」

「奥の壁に触れてきてみな」

 僕は、書架の間の通路を進み、奥の壁に触れるとしっとりした感触だった。

「なっ、それが結露って言うんだ」

「そうか、これが……」

「ここは、建物の壁が1つしかないから、外の寒い外気が壁に伝わって、中の暖かい空気で結露になってしまうんだよ。……逆もあるよね。外が暑くて、中は冷たい」

 僕は、黙って頷いた。

「それで、書架との距離も近いし、湿気が籠ってしまう」

「そうなんですね」

「そんな危ない状況で、今みたいに冬だと、職員がいる間は暖房つけて、帰る時に切るから、温度の変化でカビが活性化しやすくなってしまう……。まぁここは、たいした除湿対策もしてないから、年がら年中いつ起きてもおかしくないけどね」

 普段とは違い、この日の家田さんは、この時、笑みを浮かべながら話していた。


「さて、今、空中にもカビの胞子が飛んでるから、この辺の棚をエタノールを含ませたペーパータオルで拭いていこう」

 そう言うと、家田さんはペーパータオルを手に取って、僕の分を渡すと、自分も棚を拭き始めた。


 後から、気づいた事であったが、家田さんは、『文化財虫菌害防除作業主任者』の資格を持っていたそうだ。当然、役所から費用が出る筈もなく、自己負担で3日間の講習と試験を受けて所得したと聞いた。


 昔、図書館でカビが生えた時、1人でいろいろな本を読んで研究しているうちに取ってみようと思い付いたらしい。

 だからこの時、僕に説明していた時の家田さんが熱心だったのも、今までこうした知識を教える相手がいなかった寂しさもあったのかもしれない。



 その時、家田さんから、換気をよくする為に集密書架の通路を均等に広げたり、扇風機をサーキュレーター代わりにして、通気を良くすること等も教えてもらって、今でも実行している。


 僕は作業をしながら、家田さんとのやり取りを思い出していた。本を取り出して、空になった棚を一段ずつ消毒用のエタノールを含ませたペーパータオルで綺麗に拭いてから、カビの生えた本を入れたダンボールを、外の空き地に運んだ。


「日下部さん、一旦このまま置いといて、後は業者さんと相談します」

「はい、じゃあ後はよろしくお願いします」

「はい」

 今は、図書館のカビの問題も役所に認知されて、本の保存対策費用として年間の予算が付いているので、業者にお願いすることが出来た。


 でも、家田さんの頃は、自分1人で資格まで所得してやっていた事を考えると、改めて家田さんの苦労を偲んだ。















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