第18話 弓子

 今日は、月曜日の休館日で図書館は休みの日。僕は午後になってから、父親から頼まれた荷物を車で久喜市にある親戚の叔父の家に届け、家までの帰り道の途中で、少し道を入った所にある北埼玉総合病院に向けて車を走らせていた。


 この用事を済ませた後に、北埼玉総合病院に入院している弓子のお見舞いに行こうと考えていたので、今日はあらかじめ弓子の母親にも事前に連絡をいれてある。


 県道をしばらく走っていると、右側に、北埼玉総合病院が見えてきた。僕は、通り道にあるスーパーで、弓子が好きだと言っていたキウイをおみやげに買い、隣の本屋で動物の話が出てくる絵本を買ってから病院へ向かった。


 弓子の病室を訪ねるのも、今回で3回目であった。今日は連絡をしておいたので、そのまま弓子の病室に行き、扉をノックした。

 しかし、しばらく待っても返事がなく、ゆっくりとスライド扉を開けて部屋の中を見ると、誰もいなかった。

 僕は、ナースステーションに戻り、看護士に弓子の所在を尋ねた。

「今日弓子ちゃんに、電話で連絡してから訪ねたんですけど、見当たらなくて……、どこに行かれたか知りませんか?」

「あぁ、弓子ちゃん。さっき、ちょっと吐いちゃって……。今、先生に診てもらってるんです」

「そうでしたか……」


 僕は、待合室で、心配しながらしばらくの間、座って待っていると、弓子の母親がやってきた。

「ごめんなさいね、長谷川さん」

 申し訳なさそうに、母親が頭を下げている。

「いえいえ、すいません。こちらこそ。弓子ちゃん、大丈夫ですか?」

「う、うん……」

 弓子の母親はためらいがちに頷いた。


 僕は、母親のその様子を見て、

「今日は、失礼した方がよさそうですね」

 と言って、席を立とうとした。すると、母親は僕を見て、

「――いえ、……今日は弓子に会ってあげて下さい」

 と言った。

「えっ?」

 僕は、普段とは違う母親の必死な様子に少し驚いていた。

 すると、母親は、首を横に振って、

「いいんです、今日はぜひ……」

 と言って手招いた。


 病室に入ると、弓子は人工呼吸器をつけて眠っているようだった。

「多分、まだ眠ってはいないので……」

 横目に僕を見てそう言うと、母親は弓子に近づき、

「弓子、洋介お兄ちゃんだよ」

 と、目をつむっている弓子の耳元でささやくと、彼女は目を開けた。

 そして、僕に気づくと嬉しそうに笑っているが、笑い顔に今までのような元気さは無く、顔も白く感じた。

 僕は、その様子を見て、一瞬かけるべき言葉が何一つ思いつかず、微笑んだ状態のまま無言になってしまった。

 そしてしばらくの沈黙の後、僕は穏やかな口調で弓子に声をかける。

「弓子ちゃん、がんばってるね。おりこんさんだ……」


 弓子は、期待を込めた眼差しを僕に向ける、本を読んで欲しいんだな、と察した。

 僕は、母親を見ると彼女は静かに頷いた。

「じゃあ、今日買ってきたのを読んであげるね」

 弓子は、嬉しそうに頷いている。


 そして、僕はいつもよりゆっくりと本を読んでいる。……静寂な病室に僕の声だけが、響き渡っている。


 途中、ふと窓の外を見ると、病院の隣の小高い丘は、積もった落ち葉のじゅうたんで敷き詰められている。まるで、間もなく訪れる冬の準備を始めているような景色だ。

 本を読み終えると、弓子は突然手を、弱々しく叩き始めた。弓子なりの僕に対する感謝の気持なのだろう……。



「今日は本当にありがとうございました」

 弓子の病室のある8階フロアのエレベータの前で母親は、僕に頭を下げる。

「いえ、弓子ちゃんは……」

「うん……、本当はもう少し待ってからと先生と相談してたんだけど、容態も良くないので手術することにしたの。来月……」

 母親は、目に涙を溜めながら僕に言った。

「えっ……」

 僕は絶句した。

「……でも成功すれば、弓子はこれから大好きな本をいっぱい読めるようになるから」

 母親は涙目になりながら、静かに笑った。

「そうですね」

 僕は頷いた。

「では、長谷川さんも弓子の手術の成功を祈ってあげて下さい」

 そう言うと母親は、もう一度深々と僕に頭を下げた。



 母親からの話を聞いた後の僕は、弓子が握ってくれたあの小さな手を思い浮かべて、彼女がこれから迎える過酷な試練に胸を痛めながら、ただ……、祈っていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます