第8話 本の力で

 鳴滝町立図書館では、月曜日が休館日の為、火曜日を週始めという事にしている。その為、毎週火曜の朝11時から12時迄の間、図書館職員による会議が行われている。

 今日、僕は遅番であったが、会議があるので少し早めに出勤している。


 今回の議題は、先週、図書館に来た車椅子の男性が、段差のある玄関の入り口で、入り難くなってしまった事についての話し合いであった。

 その為、役場の建築課から、建物施設の管理の担当者が2名来て、先程から説明をしている。

 

「……18年前に購入した段差解消用のエレベータが図書館にはあるんですけど、なかなか操作して動かそうとは思いませんよね、時間もかかるし……。操作方法も周知されてないですしね」

 担当者の1人がそう話すと、図書館職員の何人かは、大きく頷いている。

 さらにもう1人の担当者が、建物の該当箇所の写真を見せながら説明する。

「しかし、スロープにしても高さが足りません。これだと……、滑り止め加工がされた点字ブロックのある斜面を、コンクリートでしっかり作った方が良いですね。但し、斜面の角度をなだらかなにしようとすると、長さがいるからスペースが必要になります」


 ひと通りの説明を聞いてから吉田館長が、

「――そうなると、別に車椅子の利用者専用の入り口がいるって事?」

 と尋ねると、

「出来れば……」

 と、役場の担当者は答えた。

「うーん、それは難しいな」

 吉田館長は、腕を組んで困った顔をしている。。

「今2つある階段の内、駐車場側の階段を車椅子優先にして、コンクリートで斜面作るしかないんじゃないですかね。優先マークにしておけば、車椅子の方いないときは、一般の方も斜面を歩けばいいですし……」

 僕が、そう提案すると、

「ちょっとはみ出すけど、それなら無理ではないな」

 と、建築課の担当者は言った。

 吉田館長も頷いてから、

「じゃあ、その方向で1回考えてみてよ」

 と言った。

「はい、分かりました」

 そう言って、建築課の担当者は役場に戻って行った。


 彼らを見送ると、

「施設のバリアフリー化が、鳴滝町は遅れてるから、町長も来年度から予算をつけてしっかりやっていくつもりなんだよね」

 と、吉田館長は言った。

「へえ……、そうなんですか」

「さっきの段差解消のような通路対策とか、視覚障害の方の点字ブロックのような物理的な対策だと、図書館では他にどんな事が必要だろうね」

 吉田館長が、周りを見ながら尋ねると、

「以前、図書館に関するフォーラムで聞いたんですけど、視覚障害のある方だったら、文字を大きく見せる拡大読書器や読み聞かせ室を設けたり、車椅子の方だったら、書架間の通路の幅の確保や専用の机、それにカウンターにも前に寄せれるように工夫が必要だって言ってましたね」と、僕が答えると、吉岡さんも思い出したように、

「――そうだ、多目的トイレも必要ですね」

 と言った。

 吉田館長は、なるほど、と頷いて、

「でも……、なかなか難しい問題だね。トイレなんて本当は優先度高そうだけど、直ぐには無理だよね」

 と言った。

「そうですね」

 田中副館長も頷く。

「今の中で、出来そうなのをいくつか見積もりを用意してもらおうかな。そのうち役場からも言われそうだし……」

 吉田館長は、僕を見てそう言ったので、はい分かりました、と答えた。



 そして、朝の会議は終わり、そのまま、お昼休みのパートさんとの交代でカウンター業務を始める。

「昼から雷雨の可能性があるらしいから、傘立てを出しとかなくちゃね」

 カウンターに座っている僕にそう言って、田中副館長は倉庫に向かって、階段を降りて行った。

 僕がその様子を見ていると、赤いワンピースのスカートを着た女の子が、絵本をカウンターに置いて、

「本を貸してください」

 と言った。

 僕はその姿が、今入院している弓子にとても似ていたので少し驚いたが、すぐに、

「はい、ありがとうね。じゃあ貸し出しの処理するから図書館利用カード持ってる?」

 と、女の子に訊くと、ポケットから自分のカードを取り出した。それを受け取り、貸し出しの処理を済ますと、カードと本を女の子に手渡す。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 女の子は、笑顔で手を振って帰って行った。


 僕は女の子を見送ると、弓子の事を思い出していた。母親からは、弓子はもう図書館へは当分行けないと言われ、確かにそれ以来、見かける事は無くなっていた。

 しかし、好きな絵本の新書が出たら持って行くと、入院している弓子と約束をしていたが、ちょうど先週その新しい本が出ていた。

 僕は悩んだが、弓子が入院している北埼玉総合病院に行ってみることにした。


 翌日、僕は各地の図書室を周った後に、そのまま北埼玉総合病院に車を走らせた。

 そして、病院に着くと脳神経外科の病棟に向かい、前回同様、ナースステーションにいた看護師に弓子の病室の番号を伝えると、この間来た時と病室が変わっていて個室になっていた。看護師が母親に連絡して、僕は病室まで案内された。

 病室の前に立っていた母親に挨拶すると、彼女は、

「何度も来ていただいて……」

 と恐縮していた。

「いえ、新しい絵本が出たら持って来るって弓子ちゃんと約束してたので」

 僕は、微笑みながら答えた。

「それで弓子ちゃんは?」

「うん、元気ですよ。ただ……独り言が多いので相部屋だと他の患者さんに迷惑かけるからって個室にしてもらったの」

「そうでしたか」

「うん……。あっどうぞ」


 そう言うと母親は、弓子の病室の扉を開けて手招きした。中に入ると、弓子は外を眺めている。

「弓子ちゃん、元気だったか?」

 僕は微笑みながら弓子に声を掛けた。

「あ、ああー」

 弓子は嬉しそうに声を上げた。すると、母親が僕にパイプ椅子を持ってきて弓子のベッドの傍に置いたので、その椅子に座って、

「今日はこないだの絵本の、新しいのが出たから持ってきたよ」

 と、僕は本を取り出しながら言った。

「わっ、あー」

 弓子は両手を上げて喜んでいる。

「じゃあ、お兄ちゃんが今日も読んであげようかな」

 そう言うと、弓子はうれしそうに大きく頷いたので、今日は時間をかけて、1冊分の絵本を読んであげた。

 その間、弓子は興味深そうに目を輝かせながら聞いている。

「……おしまい。弓子ちゃんどうだった?」

 弓子は満足そうに何度も頷いた。

「じゃあ、お兄ちゃん、今日はこれで図書館に帰るね。また来るから」

 と言うと、弓子は一瞬寂しそうな顔をしたが、彼女なりに我慢をしているのだろう、笑顔になって頷いていた。


 病室の扉の前で、弓子に手を振って廊下に出ると、一緒に出て来た母親に、

「すいませんでした。長居してしまって……」

 と頭を下げた。

「いえ、本当に弓子が楽しそうに……」

「では、今日はこれで。また新しい本がでたら来ます」

 そう言って廊下を歩き出そうとした時に、

「あっ、あの……長谷川さん」

 と、母親に呼び止められて、僕は振り返った。

「実は……先生から言われて、少しの間、家に帰っても良い事になったんです」

 母親は、少し微笑みながら言った。

「えっ、それは良かったです」

「まぁ、ただ……病状がすぐに良くなることは無いようなので、一時的なものですけどね」

 彼女は、少し伏し目がちに話したので、僕も黙って頷いた。

「歩くのも、今は難しくて、車椅子なんです……」

 それを聞いて僕は、

「――今、ちょうど図書館を改修して、車椅子でも入り易くするんですよ」

 と言った。

「じゃあ、図書館にも行けるかな」

 母親は、少し明るい顔なった。

「近々、大きなイベントもあるので、ぜひ、来て下さい」


 そして、僕は病院を出て、駐車場に向かう道中、弓子のいる病室が見える場所で立ち止まり、彼女の病室の窓を眺めながら、本の力で、少しでも弓子を元気づけれればいいな、と心の中で願っていた。

 


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