第16話 生涯学習部 間野部長

 今日僕は、遅番時間の11時に出勤すると、待ち構えていたように、すぐに吉田館長に呼ばれてミーティング室に入った。


「昨日、間野部長と話したんだけど……、来年度から町の施設を順次、民間の委託にしていく予定らしくてね。鳴滝町だと、図書館、公民館、歴史博物館を今のパート体制を止めて民間の委託にしていきたいらしいんだ」

「でも、……図書館の委託については、実施している全国の図書館でも賛否あるみたいですけどね」

 僕がそう言うと、吉田館長は、

「うん、図書館運営の立場だといろいろ問題はあるけど、役所の立場からしたら概ね、成功してるっていうイメージがあるみたいだからね、まあ……費用的にだけどね」

 と言った。

「そうですね……。安くなれば良いってだけですからね。役所的な考えだと……」

「うん、まぁ、こないだ話したみたいに新図書館の計画もあるから、まだどうなるか分かんないけどね……。それで、近々ヒヤリングあるかもしれないから、情報を集めといてくれないか?」

「はい、分かりました」


 その日の午後の休憩時間、

「ダメに決まってんじゃんね」

 開口一番吉岡さんは猛反対している。

「もうそういう方向みたいだよ」

「それにしても……、パートさんどうするの? 今年採用してる人もいるし……」

「うん……、そうだよね」


「あの……」

 カウンター業務をしていた、馬場さんが2階から下りてきた。

「どうしました?」

「なんか、業者の方がご挨拶したいって……」

 馬場さんが預かってきた名刺を見ると、業務委託の会社の人だった。

「こっちに来られても困るよね」

 そう言うと、吉岡さんは腕まくりをするような仕草をしながら1階に上がって行った。

「あんまり、きつく言わなきゃいいけど……」

 一緒に休憩していた横田さんが薄ら笑いを浮かべながら呟いた。

「業務委託にするの?」

 馬場さんが様子を窺う感じで訊いてきた。

「いや、まだこれからどうするかって感じですよ。……僕らもまだ詳しく知らないんです」

 僕は、心配をかけないように軽い感じで答える。

「そうですか……」

 そう言うと、馬場さんは1階に上がって行った。

「でも、パートさんに辞めてもらうってのもね……、気の毒だよね」

 馬場さんの後ろ姿を見ながら横田さんが小声でぽつりと言った。

「そうですね……」

 僕も頷いた。

 そして、吉岡さんが鼻息荒く1階から下りてきて、「追い返してやったわ」と言った。



 その日の晩、僕は京子と隣町の杉戸町にあるイタリアンレストランで食事をしている。

「この鯛のカルパッチョとってもおいしい。少し食べてみる?」

 京子は、自分のフォークの上に一切れのカルパッチョにカラスミをつけて僕の口に近づけた。僕は口にそれを入れて食べると、

「うん、おいしいね。旨味が凄く出てる」

 と、微笑みながら言った。

「ねっ」

「僕のも食べてみる?」

「いや……、実は私、モッツァレラチーズとトマト両方だめなの」

 彼女は申し訳なさそうな顔をしている。

 この時、僕の頼んだ料理は『水牛のモッツァレラチーズと丸ごとトマトのカプレーゼ』と言う料理で、彼女にとっておそらく一番苦手な組み合わせの料理だ。


「そう言えば、お父さんに言ったの? 僕達の事」

 食後に出てきた紅茶を、一口飲んでから京子に訊いた。

「まだ言ってないの。お母さんが、父さんに先に匂わしとくって言ってるから……」

「そうか……。まあ別に慌てる事でもないけど、2人でいる時に、どこかでバッタリ会っちゃう前に、先に挨拶しておきたいなと思って……」

「びっくりするかな、お父さん」

 彼女は楽しんでいるかのように話した。

「するだろうね。いきなり怒られたりしてね」

 僕が心配そうに言うと、

「大丈夫だと思うよ。外ではいつもムスっとしてるらしいけど、家では全然違うから」

 と京子は言った。

「へえ……、そうなんだ」

 僕が少し驚いた顔をすると、

「うん。私には甘いの」

 と言って微笑んだ。



 翌日、僕は遅番の11時に出勤すると、図書館の空気がいつもと違っていた。

「――びっくりしたわよ、彼女がスプーンに載せた料理をパクッて食べてさ、あれは相当進んでるわね。今年か来年中に結婚まであるかも……」

「へー」

 パートの浅田さんの興奮した様子で話す声が聞こえてくる。小声で話そうとしているが丸聞こえだ。

「おはようございます」

 僕が、事務室に入る前に作業室をのぞいて、そこにいた馬場さんと浅田さんに挨拶をすると、浅田さんが慌てた様子で、言葉を止めてから、

「――あっ、お、おはようございます」

と言った。


 一瞬気まずい空気が流れたが、馬場さんが足早に近付いて来ると、小声で、

「おめでとうございます」

 と言って、満面に笑みを作っている。

 その瞬間、僕は嫌な予感がして、周りを見渡すと、みんな意味ありげに僕を見ながら微笑んでいる。

 昨日の京子との食事を見られたか……、すぐにそう思い、「はあ、どうも」と素っ気なく答えて、事務室に入った。

 事務室に入っても、明らかに落ち着きがない空気が漂っている。そして、田中副館長が含み笑いをしながら小声で僕の耳元に話しかけてくる。

「昨日、君達が杉戸町で夕食を食べていたイタリアンレストランで、浅田さんが家族で食事していたらしいんだ」

「あっ、……そうでしたか」

 僕は努めて冷静さを装った。その時、作業室から1階に上がる浅田さんと目が合い、彼女はぎこちなく笑いながら頭を軽く下げた。。

「……君も隅に置けないね。スプーンでパクって……。ああー、うらやましい」

 そう言うと、田中副館長は意味ありげに微笑んでから、事務室を出て行った。

 僕はやれやれと思いながら、少し気が重くなった。



 午後の休憩を終えて事務室へ戻ると、吉田館長が話しかけてきた。

「長谷川君、これから用事ある?」

「いえ、外のポスターを張替えようかなと思ってたくらいです」

「間野部長がさ……」

 吉田館長がその名前を出した瞬間、田中副館長の肩がピクッと反応したのを気づいていたが無視をして、はい、と頷く。吉田館長も田中副館長をちらっと見て様子が気になったようであったが話を続けた。

「昨日の委託の件で、司書としての君の意見を訊きたいって言ってるから、一緒に役場へ行ってくれないかな?」

「はい、いいですよ。行きます」


 そして、持参する図書館の業務委託についての資料を整理していると、

「お父さんにはもうご挨拶してるの?」

 田中副館長はぎこちない笑みをしながら訊いてくる。

 僕は聞こえてないふりをして無視をした。

「あの……」

 なおも、田中副館長は諦めないようだ。

「はい、何ですか? 今から役所に行かなくてはいけないんで……」

 僕がやや強い口調で言うと、

「いや、……いい」

 と言って、閉架書庫に歩いて行った。

 その光景を見ていた吉岡さんが僕に近づいて来て、あきれた様子で話した。

「大変ね、一番見られたらいけない人に見られちゃったね。私なら黙っててあげたのにね」

「うん、そうだね」

 僕も苦笑いをしながら言った。

「でも、まだ挨拶してないなら、早く言っとかないと……、この調子だと間野部長の耳に入るのも時間も問題よ」

 吉岡さんは、閉架書庫の方角を見ながら、心配した様子で僕に話した。

「……そうだね。さて、準備するかな」

「がんばって、民間委託から死守してきてね」

 吉岡さんは右手でこぶしを作った。

「まだ、そこまでの話じゃないでしょ」

 そう言って、僕は席を立った。



 そしてプライベートの充実とは裏腹に、鳴滝町立図書館の司書としての僕には、これから困難が待ち受けるのである。そして……、その始まりとなるのがこの日の午後の生涯学習部でのヒヤリングであった。


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