第15話 1冊の本

 図書館フェスティバルも終わり落ち着きを取り戻した図書館で、今日も僕は正午からカウンターに座りながら、午前中回収した公民館図書室などに返却されていた本の整理をしていた。


「あの……すいません」

 図書館で、たまに見かける白髪の老人の男性が、僕に声を掛けてきた。

「はい、どうしました?」

 僕は、作業を止めて応対した。

「以前、この図書館にお勤めになっていた家田さんが亡くなられたと伺ったんですが、本当ですか?」

 はい、と僕は頷いてから、

「残念ながらこの間、お亡くなりになられました」

 と答えると、老人は俯いて、

「そうですか」

 と残念そうにつぶやいた。僕が黙ってその老人を見ていると、

「……実は以前、お世話になった事がありましてね」

 と、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「あ、そうでしたか」

 僕は深く頷いた。

「毎年この時期に、無理を言って本を借りてたんです。……毎回、同じ本をね」

 僕は、それを聞いた瞬間、以前除籍の話をしていた時に、家田さんがそんな話をしていた事を思い出した。

「家田さんが、この図書館をお辞めになる頃に、聞いた事があります。あっ、少しお待ちください」

 僕は、老人の話が家田さんに関する事だったので興味を持ち、内線を鳴らして吉岡さんとカウンター業務を代わってもらった。


「地下1階にお話しができる部屋がありますので、そちらで伺ってもいいですか?」

「あーそれは、どうも」

 老人は微笑みながら、頭を下げた。

 そして、僕は地下1階のミーティング室に老人を案内して、温かいお茶を湯呑に注いでテーブルに出した。

「いや、ありがとうございます。私は……権藤と申します」

「私は長谷川です。この図書館に来た時に、1から10まで全て家田さんに教わりました」

「あー、そうでしたか。……良い方にお声掛けしたみたいですね」

 老人は一口お茶を飲むと、微笑みながら言った。僕も微笑んで頷く。

「昨年、うちの家内が亡くなりましてね」

 権藤さんは湯呑を両手で抱えるように持って、それを見ながらゆっくりと話し始めた。

「それまで長い間、アルツハイマー型の認知症でね、それは大変でした」

 僕は黙って頷いた。

「……うちの家内は、中学の先生を昔やってましてね、理科の先生でした……。頭を使い過ぎたんでしょうなぁ、学校を定年で辞めたとたんに発症しました」

「そうでしたか……」

 そして、少しの沈黙があって、権藤さんは、

「あー、すいませんね、余談が過ぎました」

 と言って頭を下げた。

「いえ」

 僕は小さく頭を左右に振る。


「それでね、家内は全然記憶に無いはずなのにいつもこの時期になると、同じ本を読みたがりましてね。読むって言うか見るだけなんですけど、それが……理科の本なんです。何か余程深い思い入れがあったんでしょうな」

「あー、それで、毎年同じ時期に……」

 僕は、納得したように頷いた。そして、家田さんに言われていた事を思い出した。

 湯呑を見ながら話をしていた老人は、頭を上げて僕を見ながら、

「そう、そうなんです。買おうと思って本屋を探し回ったんですが、絶版になってたみたいでね……。家田さんには毎年、無理を言いました」

 と、当時を思い出しながら話している様子だった。


 ――理科系の本と言うのは新しい発見等があると、古い本というのが情報的に使えなくなる為、除籍対象になりやすい。権藤さんが借りに来ていた本も、除籍の対象として随分と前からリストに載っていた。家田さんは、毎年借りに来てくれていた権藤さんの為に、この本を閉架に残していた。


 そして、僕は家田さんがこの図書館から辞める時に、この1冊の本を引き継いでいる。


「それで、今年の家内の命日に仏壇に添えてやろうと思いましてね、お借りできればと思って、今日伺った次第です」

「はい、分かりました。ちょっとお待ちください」

 僕はそう言って席を立つと、閉架書庫に入って行き、奥にあった家田さんから引き継いだ1冊の本を取り出した。そして部屋に戻って、

「この本、実は何年か前に、もう除籍処分がされてまして……、もし、権藤さんが借りに来られたら差し上げてくれって家田さんに言われてました。……どうぞ受け取って下さい」

 と言って、机の上に置いた。

「えっ……。あの人はそこまで……」

 権藤さんは、本を手に取ると、目から涙が流れ始めた。僕はその姿を見ながら静かな口調で話し始めた。

「……僕も、この本を読ませてもらったんですけど、理科の難しい用語をこう説明すれば分かり易くなるというような事が丁寧に書かれた本でした。おそらく奥様は少しでも多くの子ども達に理科を分かってもらおうと常々、考えていらっしゃったんでしょうね」

「うんうん、そうですか。……家内は、本当に真面目で責任感の強い女性でした。今度は、ありがとうございました。長谷川さん」

 権藤さんは両手で僕の手を握って、お礼を言った。

「一度、家田さんのお墓にもお礼に行ってきます」

「ええ、そうしてあげて下さい」

 僕は微笑みながら権藤さんに言った。


 こうして、僕が家田さんから引き継いだ、1冊の本を紡ぐ物語は終わりを迎えたのである。





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