第11話 恩師

 子どもの時に出会った家田さんは、僕にとって、とても輝いて見えた。僕が図書館司書を目指すきっかけになった方だと言ってもよかった。


 その後、僕は大学を卒業してこの鳴滝町町立図書館で図書館司書として働くことになる。それも、定年を迎えた家田さんの後任としてであった。

 僕は当時、その事にすごく運命的なものを感じていたのを覚えている。


 2010年4月1日、僕は町役場での入庁式が終ると、すぐに図書館に来て、当時の浜垣館長に挨拶をした。

「長谷川です。これからよろしくお願いします」

「うん、頑張ってね。私も今日からなんだよ」

 浜垣館長は3月まで鳴滝西小学校の校長をしていたので、僕と同じく図書館では新任であった。


 ……そして、家田さんを探したが見当たらなかったので、作業室で製本をしていたパートさんに尋ねると、

「今日も、閉架じゃないですかね?」

 と言われたので、閉架書庫に向かった。

 閉架書庫に入ると、奥から本を整理する音が聞こえてくる。

 子供の時に見た電動式の書架はとても大きく感じ、そのイメージが頭の中にあったが、今日見る書架は大学の図書館にあった少し背の高い書架に車輪がついているくらいにしか思わなかった。


「家田さん、いますか?」

 子供の時のなつかしさで親しみをこめて呼んでみたが、返事がなく作業を止める様子でもなかったので、僕は通路が開いている書架の間を覗いてみると、すっかり白い髪が疎らになった家田さんが黙々と作業をしていた。


「家田さん、ご無沙汰してます。長谷川です、長谷川陽介です。今日から図書館に勤務になります。よろしくお願いします」

 家田さんは作業する手を止めて僕を少し見て軽く頷くと、また作業を始めた。

「小学校の時に夏休みの課題で童話を集めるのに手伝ってもらいました。覚えてますか?」

 家田さんにそう話しかけると、彼は小さい声で、うん、と言った。

「僕は、あの時の家田さんに憧れて、司書になりたくって……」

 僕がそう言うと、家田さんは作業している手を止めて、しばらく何かを考えている様子だったが、ぽつりと、

「俺なんかに憧れて……?」

 と言うと苦笑して、また作業を始めた。

「……では、これからまた色々と教えてください。よろしくお願いします」

 僕はそう言って頭を下げた。


 そして、翌日から図書館司書としての仕事が始まった。家田さんは1年更新の嘱託職員として僕への仕事の引継ぎとフォローが主な役割だった。家田さんは相変わらず無口であったが、仕事は丁寧に教えてくれた。ただ本に対する愛着はひとしおで、扱い方が悪いとひどく怒られた。特に除籍作業については慎重で、除籍するかどうかの検討は時間を掛けてやっていた。


 ――除籍作業とは、ある程度の期間の経った本や、利用頻度の極端に低い本等を、管理する図書原簿といった台帳から消して、図書館の所有物として除去する作業の事を言う。その後、処理された本は廃棄したり町民に無料で配布したりする事になる。


 期間の定めで除籍することが自然と決まっている本は良いのだが、ある程度の判断が必要な本の場合は、家田さんは徹底的にその対象となっている本を調べていた。

 その作業にかかる時間や労力などを考えて、今までの館長から廃棄を勧められても家田さんは頑として首を縦に振らなかった。しかも除籍する本は毎年減らす予定の冊数より大幅に少ない為、慢性的に本の冊数は図書館が収蔵する能力を超えていた。

「また、新しい館長とも衝突しそうだわ……」

「そうね」

 パートの人たちのコソコソ話が聞こえてくる。


 僕が図書館で勤務し始めてしばらく経ったある日、昼の食事を終えて作業室を見ると家田さんが、除籍対象の本の確認作業をしていた。

「家田さん、僕も手伝いましょうか?」

 僕は作業室の中央にある作業台にあるパイプ椅子に座って、家田さんに言った。

「いや、……いい」

「でも……」

「――家田さん」

 浜垣館長が突然作業室に入って来て言った。

「あっ、館長」

「今度、前の竹中市長からの寄贈図書を500冊受け入れるから、スペースを確保しなくやいけないからね……、そんなに悩んでちゃあ間に合わないよ」

「……」

「長谷川君に手伝ってもらって一気に片付けちゃってよ」

 そう浜垣館長が言うと、

「――図書館の本はそんなに簡単に片付けれるようなもんじゃない」

 と、家田さんは作業を止めることなく、本を見たまま答えた。

「ん? なに」

 浜垣館長の言葉は明らかに怒気を含んでいる。

「あっ、いや……、館長、家田さんと相談して、僕も手伝いますから」

「……うん、そうだな。長谷川君頼む」

 僕にそう言うと、浜垣館長は家田さんを厳しい目で見ながら作業室から出て行った。


 しばらく、僕も家田さんも黙ったまま時間が過ぎていった。僕は家田さんが本を確認しているのをじっと見ている。


 すると、家田さんが小さな声で、独り言のように話し始めた。

「俺は、40年以上ずっとここにある本を見てきた……」

 ……はい、僕は静かに頷いた。

「毎年数千冊の本が入って来ると、それを1冊1冊目を通してな……。ほら、ここには司書は俺しかいなかったし、何が正解かも分からなかった」

 家田さんはうっすら笑みを浮かべた。

「……ただ、読者とは違う司書の立場で何冊も本を読んでると、その内に本1冊1冊に作者の思いが込められてるのが分かるんだよな。本の内容に興味がある無しに関係なく」

「なるほど……」

「そうすると、読まれないような本でも、なんとか作者の思いが1人でも読者に伝わんないかなって思っちゃうんだよな。……本に情が移るっていうのかね」

 家田さんはこの時、珍しく多弁であった。

「……そういう気持ちにもなるんですね」

「うん、それと……、全然借りられてないような本でも、毎年同じ人が、この季節になるとこの本借りに来るな、っていうのもあってな……」

「へえ……、そうなんですね」

「そんな事、1冊1冊考えてやってたら、除籍なんて出来ないし、確かに効率悪いわな」

 家田さんは自虐気味に話した。

「家田さん」

 僕は、決意を込めて家田さんに言う。

「ん?」

 家田さんはこの日、初めて僕の目を見た。

「除籍する本の家田さんなりの基準を一度、ノートにまとめてくれませんか?」

「……」

「それが、この鳴滝町立図書館の歴史だと思うし、僕もしっかり守っていきますので……」

 それからしばらく沈黙してから家田さんは、

「……うん、分かったよ、それを作るからこれからは一緒に作業をしよう」

 と言った。僕にはこの時、家田さんの目元が一瞬、緩んだ気がした。

「ありがとうございます」


 それから、出来上がったこの除籍作業における鳴滝町立図書館の基準として、僕達の間では、『家田基準』と言うものが出来上がった。

 今でも毎年、多少の修正は入れながらもこの基準は守られている。




 僕は近々、家田さんが入院している玉井病院にお見舞いに行こうかと考えていた矢先、家田さんが、お亡くなりになったという連絡が図書館に入った。


 僕が図書館司書を目指すきっかけになった方だし、この図書館に勤務してからも育ててくれた恩師であった。


 有り難うございました、家田さん……。安らかにお眠り下さい。



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