第10話 閉架書庫の番人

「そういえば……、家田のおじいちゃん、体調崩してしばらく入院してたけど、ちょっと危ないらしいよ」

 ある日、僕が早番の仕事が終わり帰り支度をしていると、休憩室の奥のロッカーで馬場さんと日下部さんが話をしていた。

「――それ本当ですか?」

 突然聞こえてきた話に、僕は驚いて事務室から顔を出して訊いた。

「う、うん……そうみたいですよ」

 突然の僕の声に、少し驚いた表情をしながら、馬場さんは答えた。

「どこに入院してるんですかね?」

 そして、僕は少し声を落として馬場さんに尋ねる。

「……確か、玉井病院だと思うよ」


 家田さんは、僕が図書館司書として鳴滝町立図書館に勤務する以前、この町に図書館が出来た当初から図書館司書として勤務していた言わば、初めての鳴滝町立図書館の図書館司書である。

 僕と入れ替わりで定年となり職員としては退職したが、その後3年間嘱託職員として僕を教育してくれた。厳しい人であったが、本に対する愛着はひとしおで、僕も尊敬していた。

 そして、家田さんは他の職員からは、『閉架書庫の番人』と言われていた。


 閉架書庫――ほとんどの図書館には、利用者が直接に書架から本を探して手に取ることができる開架という場所と、貴重な本、古い本やあまり使われていない本が置かれている閉架という場所がある。閉架書庫には一般の利用者は基本的には入れない為、ここの書庫にある本は通常カウンターで申請しないと読むことができない。鳴滝町立図書館では、利用者が見れる開架に8万冊、閉架に12万冊の本があり、実際は直接見れない本の方が多く、これはうちに限った事ではなく、ほとんどの図書館はこんな感じだ。


 家田さんは開架に限らず、閉架書庫の本まで1冊1冊どこにあって、どんな内容なのか分かっていたほどであった。

 彼は、鳴滝町に初めての図書館が出来る2年前に図書館司書として鳴滝町の職員になり、図書館の設立準備から携わっていた。

 開館当時は、10万冊であった鳴滝町の収蔵図書の管理も、当時はまだ行っていた図書原簿や資料台帳の手書きによる作成もほぼ1人でやっていた。図書館システムを導入した今でも、その図書原簿と資料台帳はテープで何度も補修されながらまだ残っている。

 

 家田さんは寡黙な人で、司書として本の説明や、資料の提供と言った利用者に対するレファレンス業務的な仕事はほとんどしなかったが、本の管理や整理等の裏方的な仕事では、本当に頼りになった。



 そして……、実は家田さんとの出会いは、僕が図書館に勤務する以前の子供の時まで遡る。僕は子供の頃から本が好きだったので、学校が終わると、そのままこの鳴滝町の図書館に来て本を読んでいた。


 そんな夏休み中のある日、僕は朝の開館と同時に図書館にやってきた。小学校の夏休みの課題で、48都道府県の昔話を1話ずつ調べようと考えていたからだった。

 前々から、母親を通じて図書館にはお願いしていたので、家田さんが対応してくれる事になっていた。正直、初めて家田さんを見た時、子供心に怖い感じがしていて、内心僕はずっと緊張していた。そして、無口な家田さんにどう話していいか分からず、ずっと黙ったままだった。

 すると、家田さんの方から僕に話しかけてくれた。

「君、名前は?」

「長谷川洋介です」

「ふむ、どんな昔話が知りたいんだい?」

 僕と目を合わせようとはしなかったが、口調は穏やかだった。

「あっ、はい、……48都道府県で1つずつ昔話を知りたくて……なるべく有名な話を」

「ふむ……」

 家田さんは考え込んでいるようだった。そして、

「よし、じゃあ作業室でやろうか、じゃあ一緒についてきて」

 と言うと、階段を下りて行った。何度も来ている図書館ではあるが、職員の事務スペースである地下1階には、今まで行ったことが無かったので、未知の世界に踏み込む感じがして、僕はこの時、心がすごく踊っていたのを覚えている。

 

 ……そして家田さんは、地下1階にある作業室の扉を開けて僕を手招いて、

「長谷川君、そこに鞄置いて」

 と指示をすると、何も言わずに地下1階の奥にある薄暗い閉架書庫に一緒に入って行き、大きな書架がたくさん密集して並んでいる場所の書架の1つの前に立った。そして、慣れた手つきで書架の前面についている丸いボタンを押すと、その書架と隣の書架が左と右に動き出して、真ん中に通路が出来た。そして、その通路の奥にある壁の上部の小さな窓から洩れる光りが、通路を照らしている。

 僕はそれを見た時、以前読んだ「アリババと40人の盗賊」で、アリババが「開けゴマ」と唱えると、岩の扉が開き、中から盗賊の隠した宝物が出てくるシーンを思い出していた。

「……ここで待ってろな」

 家田さんは、僕にそう言うと、通路の奥にブックトラックを持って入って行った。

「はい。……これ、凄いなあ」

 僕は、初めてみる書架の形をした電動式の機械に驚いて、思わずつぶやいた。


 その通路を家田さんが歩いて一番奥まで行くと、書架に並んでいる本の内、20冊くらいをブックトラックに載せて戻ってきた。そして、

「よし、作業室へ戻ろうか」

 と言うと、ブックトラックを押して作業室へと戻った。


 僕はこの時、普段のんびりした様子の家田さんが、閉架書庫の中で書架から本を取り出す時の手際の良さに、とても格好良く見えた。


 そして、作業室に戻ると1冊ずつその本の内容を簡単に説明してくれたのだが、それはまるで全ての本を読み尽くしているような感じがした。

「じゃあ、長谷川君」

「はい」

「2階の学習コーナーに、ブックトラックに載せてこの本を運んどいてあげるから、そこでこれを読みなさい」

「はい、分かりました、ありがとございます」

「ふむ」

 家田さんの目は優しく笑っていた。僕はその時、初めて家田さんの笑っている顔を見て、なんだかとても嬉しかった事を覚えている。


 そして僕の夏休みの課題は無事に終わり、完成した物を図書館に来て家田さんに見せた。

「うん、良く出来てるね。……君は図書館は好きかい?」

 家田さんはじっくりと僕の課題を見てから、初めて僕の目を見てそう言った。

「うん、大好きです」

 僕は、にっこり笑って家田さんにそう言った。

「そうか……、大好きか。それは良かった」

 家田さんは嬉しそうにそう言うと、背を向けて事務室に戻っていった。


 カウンターにほとんど入らない家田さんとはその時以来、あまり会う事はなかったが、たまに図書館内ですれ違って僕が挨拶をすると、無表情だが、右手を上にあげてくれた。


 そして、僕は社会人になって家田さんと再会することになるのである。


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