第6話 遠足

 2015年9月24日、この日の朝礼当番は吉岡さんだった。

「今日の天気予報は雨なので、おそらく桃山保育園の遠足は図書館になると思います。その場合は、2階の一般閲覧室の利用は不可としますので、利用者へのアナウンスをよろしくお願いします」

「はい」


 ――毎年、この時期に行われる町内の幼稚園や保育園の遠足では、天気が晴れると鳴滝第一公園になるのだが、雨だと図書館か体育館になる。こればかりは、ある程度の予測は出来るが、その日にならないと分からない。

 たくさんの園児たちが、突然図書館に来ると、普段通りに図書館に来た人からの苦情が多くなりやすいので、いろいろと事前準備が必要となる。


 今にも雨が降り出しそうな空を見上げながら、僕は桃山保育園の遠足の準備を進めている。

 1階の児童コーナーにある絵本200冊分をブックトラックに載せて2階の閲覧室へ運んで行く。こういう機会だから図書館司書としては、園児たちに出来る限り本と接してもらいたい気持ちになる。


 田中副館長は、今日も紙芝居の準備に余念が無い。おそらく今日はずっと紙芝居を読むつもりなのだろう。前回好評だったのでかなり気をよくしているようだ。さきほどから、この間羽織っていたビニール製の衣装に、一生懸命、何か新たな加工を施している。おそらく今、天気が悪くて喜んでいるのは彼だけだろう。


 ただ、今日は田中副館長の存在はありがたい。単調に絵本だけ読んでいても園児はすぐに飽きてしまうだろうから、面白いおじさんがいたほうが良いだろうな――と僕は思っていた。


 横田さんは、1階の玄関の所に傘立てと、園児の遠足をする場所が図書館になっている事を伝える案内用紙を案内板に貼って準備をしている。図書館に入ってくる時に案内すれば、利用者からの苦情も少なくなるだろうといった吉田館長の発案だった。


 天気予報通りに雨が降り始めて、図書館で遠足をする事が決定し、桃山保育園の園児は、朝11時にバスで到着した。もちろん京子さんも来ている。


 僕は、園児たちを2階に案内して、閲覧室の壁際に敷いたブルーシートの上にリュックを置くように指示をすると、

「2階にある本以外を読みたい子は1階に下りて本を持ってきてもいいですよ。ただし、1階では静かにしてねー。階段を下りるときもゆっくりだよ。ほかにも図書館に来ている人もいるからねー」

 と、僕は優しい口調で、ゆっくりと園児たちを見渡しながら話した。

「はーい」

 園児たちはみんな、手を上げて元気に返事をしている。



 田中副館長は、既に紙芝居の準備が終わり、笑顔で待ち構えている。園児たちの何人かは彼に気付くと、振り返って大喜びだ。僕はたいした人気だな――と、感心していた。


 それから遠足は始まり、僕も今日は少しでも子供たちに本に触れてもらおうと積極的に読み聞かせをしたり、絵本の紹介をしていた。京子さんは、優しい眼差しでその光景を見ている。


 そうして、正午になり、園児たちは持参したお弁当を食べるため、僕は2階の閲覧机を端に寄せてスペースを作り、そこにマットを敷いた。園児たちは、そのマットの上で楽しそうにお弁当を食べている。 


 その間、僕は事務室に戻って昼食をとっていた。すると……、しばらくして京子さんが事務室にやって来た。

「あの……ごめんなさい、お昼時に」

 彼女は、申し訳なさそうに事務室の扉の前で立っている。

「京子さん、どうしたの?」

 僕は食事をしている手を止めて、立ち上がって訊いた。

「園児が、一人体調悪いみたいで……」

 僕はすぐに、「――両親は?」と訊いた。

「さっきから電話してるけど繋がらなくて……」

 京子さんは、困っている様子だった。

「じゃあ、病院に連れて行こうか。僕が車を出すよ」

 そう言って僕は、食べかけの弁当を片付けてから、壁に引っ掛けてある車の鍵を取った。

「うん、ありがとう。じゃあ私も行く」


 そして、京子さんと事務室を出て2階に上がり、具合の悪そうに横になっている女の子を抱き抱えると、図書館の裏にある車の後ろの座席に布団を敷いて、そこに女の子を寝かせた。京子さんは後ろの席に座り、女の子の様子を見ている。


「ここからだと久世小児科が近いから、そこ行くね。あそこの先生だったら昼も診てくれるから」

「うん」


 そして、僕は車を出してから5分くらいの所にある久世小児科病院に着いた。今は診察時間外なので、病院の隣にある久世先生の自宅の門にあるインターホンを押した。最近、久世先生の子供が、よく図書館を受験勉強に利用している為、夜に迎えに来る先生とは顔なじみになっていた。


「はい」

 インターホン越しに久世先生の奥さんの声が聞こえる。

「あっ、図書館の長谷川です」

「あら、どうしました?」

 久世先生の奥さんからは、親しみを感じる声が聞こえる。

「うちの図書館に来ていた女の子が、急に体調が悪くなって……」

「それは、大変ね。あなた、急患よー」

 インターホン越しに、奥さんが久世先生を呼ぶ声が聞こえる。

「病院の方を開けるから、そっちに周ってください」

「はい、わかりました」

 僕がそうしているうちに京子さんは、女の子の母親と連絡が取れたようだった。

「加奈ちゃんのお母さん、今からここに来るって」

「うん、よかった」

「うん」

 僕も京子さんも、同時に頷いた。


 病院の扉が開いて、女性の看護師が1人中で待っていた。加奈の様子を見ると、看護師は眉をひそめて、

「あら、かわいそうに……すぐ体温を測りますので、そこの処置室まで運んでくれますか?」

 と言って、処置室の場所を指差した。

「はい」

 僕は加奈を抱いたまま処置室に行き、ベッドに寝かせた。


 そして、僕と京子さんが処置室から出ると、奥から眼鏡をかけて口ひげを生やした久世先生が、小走りでやって来た。

「すいません、先生。お昼時に」

「いやいや、これが仕事だからね。それに図書館さんには、いつもうちの子が世話になってるしね」

 微笑みながらそう言うと、久世先生は加奈の様子を診る為、処置室に入って行った。僕と京子さんも、久世先生の後に続いて処置室に入り、しばらく心配してその様子を見ていると、久世先生は、

「風邪だね、喉が真っ赤だわ。これだと、ちょっと熱はまだ上がるかも知れんな」

 と言って、看護師に指示を出している。

「そうですか」

 京子さんが、心配そうに言った。


 すると、病院の前に車が停まった音がして、加奈の母親が病院に入ってきた。僕と京子さんが待合室まで行くと、母親は頭を下げて、

「すいません先生。ご面倒おかけして」

 と言って、京子さんに謝っている。

「いえいえ」

 京子さんは、右手を左右に振った。

「ちょっと、今日は朝から様子がおかしいなと思ったんですけど、娘が遠足にどうしても行きたいって言うから……」

「楽しみにしてたから、しょうがないですよ」

 京子さんが優しく言うと、

「すいません。ではちょっと見て来ます」

 と言って、母親は処置室に入って行った。


 そして僕と京子さんは、診察している加奈の様子を心配しながら、消灯された誰もいない待合室で、二人で座って待っていた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます