第4話 本を好きな女の子

「長谷川さん、ちょっといいですか?」

 ある日、作業室で雑誌の製本作業をしていると、1階のカウンターから馬場さんが下りてきて、階段の途中から下を覗くようにして僕を呼んだ。

「あっ、はいはい」

 僕が返事をして階段を上がって行くと、カウンターの前には、泣いている女の子と困っている様子の母親が立っていた。

「どうしました?」

 僕は泣いている女の子をちらっと見てから、馬場さんに小声で話しかけると、

「これ……、本が破れちゃってて、2ページ分」

 と言って、馬場さんは破れてしまっている絵本のページを、僕に見せた。

「すいません、持ってくる時に、気づかなくて……。娘が机の上で読んでいて落としちゃったみたいなんです……」

 母親が、申し訳なさそうに僕を見て頭を下げる。

「あっ、はい、そうですか……」

 僕が、破れたページを確認しながら返事をすると、

「ごめ……さ……い」

 と言って、女の子は泣きながら謝っていた。彼女は、少し言葉が不自由なようだった。

「うん、大丈夫ですよ。僕がこの絵本を直しますから。でも、これからは気をつけようね」

 僕は、女の子に微笑みながら頭を撫でた。

「うん、あり……がと」

「うん」

 僕は、屈んで女の子と同じ目線になり笑顔で頷くと、その姿勢のまま母親を見て、

「なんとかしますから、大丈夫ですよ」

 と言った。

「すいません、本当に……」

 母親は、恐縮した様子で謝っている。


「いえ、あっ……そういえばこの本、今週新しいシリーズ出てますよ」

 僕は立ち上がり、児童コーナーに行ってその本を取り出すと、女の子に手渡した。泣いていた女の子は、嬉しそうな表情に変わり「あり……がと」と言った。

 そして僕は、口を大きくして、女の子に伝わる様にゆっくりと話す。

「お名前は?」

「かと……うゆみ……こ」

 女の子は、笑顔になって名前を言った。

「加藤弓子ちゃんか……また来てね。じゃあね」

 僕が手を振ると、弓子は貸出処理された絵本を持って、元気よく手を振って帰って行った。


「でも、これ……交換ですよね」

 馬場さんが、本の破れたページを見ながら困った顔をしている。

「……うん、まぁしょうがないです。僕が払います」

「まあ、お給料良くないのに……。また、無理しちゃって」

「それは余計ですよ。馬場さん」

 僕が、苦笑いをして言うと、

「あら……ごめんなさい」

 と言って、馬場さんはバツが悪そうにブックトラックに本を並べ始めた。


 それから弓子は、毎週のように図書館に来てくれるようになり、僕を見つけると、笑顔で手を振ってくれた。僕も彼女の笑顔を見ると、とても嬉しくなった。

 そのうちに、僕は弓子の好みが合いそうな本を事前に探しておいて、彼女が来ると「この本はどう?」と言って見せるようになった。弓子は児童用の机に座ってそれをしばらく読んでから、興味があれば借りていった。

 時間がある時は、僕が読み聞かせをしてあげたりもした。その時の弓子は、目を輝かせて聞いてくれた。それを繰り返すうちに僕は、弓子の好きな本の傾向が少しずつ分かる様になっていた。



 そういう弓子との交流が2か月程続いた後、彼女は急に図書館に来なくなってしまった。

 僕はしばらく気になっていたが、図書館に来ていた人が引っ越し等で急に来なくなることはよくあることだったので、少しずつ忘れ始めていた。


 ある日、僕が作業室で仕事をしていると、隣の休憩室で話している馬場さんたちとの会話が聞こえてきた。

「……そう言えば、前によく来ていた言葉が不自由な女の子いたでしょ」

「うん、加藤弓子ちゃんだっけ」

「うん、そうそう、弓子ちゃん。……こないだ北埼玉総合病院に、知り合いのお見舞いに行ったら偶然会ったのよ。寝間着を着て車椅子に乗ってたから、入院しているみたいだった」

「へぇ……」

「脳神経外科の方から来たから、やっぱり脳の病気なのかしらね」


(そうか、入院してたのか……)


 ある日、僕は午前中の図書室の周回が終わると、大村公民館の駐車場で、助手席に置いてある弓子に渡そうと思って買っておいた3冊の絵本を見ながら、ここから20分くらいだから行ってみようかな、と思いついて、北埼玉総合病院へと車を走らせた。


 病院に着いて駐車場に車を停めると、僕は病院の案内サインを確認してから、脳神経外科のある病棟に向かった。

 そして、脳神経外科の病棟にあるナースステーションで看護師に尋ねた。

「あの、すいません。ここで入院している加藤弓子さんにお見舞いに来たんですけど……」

「あー、はい。弓子ちゃんのご親戚?」

「いえ……、弓子ちゃんが、よく利用してくれていた図書館の職員の長谷川と言います」

「では……、お母さんに訊いてみますね。ちょっとお待ちください」


 そして、看護師は母親に確認に行き、しばらくしてから戻って来て僕に言った。

「お母さんが今、ここに見えますので少しお待ちください」

「ありがとうございます」

 看護師にお礼を言って、しばらく待っていると、弓子の母親が廊下の向こうから歩いて来た。

「すいません、突然来てしまって……」

 僕が頭を下げると、

「いえ、よく分かりましたね」

 と言って、母親は微笑んだ。

「ええ、たまたまこの病院で、弓子ちゃんを見かけた人がいましたので……」

「ああ、なるほど」

「それで、弓子ちゃんは……」

 そう言うと、弓子の母親は少し顔を曇らせながら、

「……生まれた時から脳に異常があるんです、あの子」

 と話した。

「そうだったんですね、すいません」

 僕が謝ると、弓子の母親は笑顔になって、

「いいんですよ、弓子が大好きな人ですもの、喜びます。どうぞ病室まで」

 と、右手を通路の奥に向けて招く仕草をした。

「あの……弓子ちゃんって今、本とか読めるんですか?」

 廊下で歩きながら、僕は弓子の母親に訊いた。

「疲れない程度なら、大丈夫ですよ。それに……今あの子から、本まで取り上げたら何にも楽しみ無くなっちゃう」

 母親は、下を向いて寂しげに話したが、次の瞬間には表情を緩めていた。


 そして、エレベータで8階まで上がり、廊下を歩いた先にある弓子の病室に入った。

 彼女はベッドで横になって、天井を見ながら何か独り言を言っている。

「弓子、図書館の洋介お兄さんが来てくれたよ」

「ほ……んとう?」

 弓子は、嬉しそうに言って僕を見た。

「元気か? 弓子ちゃん」

「にい……ちゃん」

 弓子は、精一杯の歓迎のポーズのように両手を広げてこちらに向けた。僕はその小さな手を握ってから、

「これ、新しい絵本出てたから持ってきたよ。あと、お兄ちゃんのおすすめもね」

 と言って、僕は肩掛け鞄から絵本を出して、表紙を3冊分、順番に見せた。

「やった、あ……りがと」

 弓子は、両手を伸ばして本を受け取ると、1冊1冊を嬉しそうに見比べている。


 そして、僕はベッドの隣にあったパイプ椅子に座って、弓子の好きな動物の絵本の1話分を読んであげた。彼女はそれを楽しそうに聞いている。

 そして、時計を見ると、もう図書館に戻らなくてはいけない時間になっていた。

「あっ、お兄ちゃん、そろそろ仕事戻らなくちゃ……。じゃあ、行くね」

「うん、ま……た来て……くれる?」

 弓子は、懇願するような眼差しで僕に言った。

「――弓子、洋介お兄ちゃんにもお仕事が……」

 そう言いかけた母親に、僕は目で合図をしてから弓子に頷くと、

「――うん、もちろん。また新しい本が出たら持ってくるね、だから弓子ちゃんも頑張るんだよ」

 と言って微笑んだ。

「うん」

 弓子は、嬉しそうに頷いている。


 そして、僕は病室を出て、廊下で一緒に出て来た母親と話した。

「すいませんでした、今日は。僕の思い付きで急に来てしまって……」

「いえ……弓子のあんな嬉しそうな顔を久しぶりに見ました。こちらこそありがとうございました」

「いえ、では……」

 そして、廊下を歩き始めると、

「あっ、あの……長谷川さん」

 と、弓子の母親に呼び止められて、僕は振り返った。

「あなたは図書館の職員ですから、あまり無理をしないで下さいね。弓子も利用者の1人に過ぎませんですので……」

「はい、でも……、弓子ちゃんは僕の友達ですから」

「そう言っていただけると……。ただ、当分図書館には行けないでしょうし……」

「弓子ちゃんが、元気になったらまた来れるじゃないですか」

 僕がそう言うと母親は、首を小さく横に振って、

「無事に退院出来ると良いんですが……」

 と、つぶやくように言った。

「弓子ちゃんが治る事を祈っています。そしてまた、大好きな本を思う存分に読めるようになって欲しいです」

 僕がそう言うと、弓子の母親は笑顔になって、

「うん、そうですね。私が信じてあげないといけないですよね。今日は本当にありがとうございました」

 と言って頭を下げた。


「本の力で、少しでも弓子ちゃんを元気づけられるなら、僕は喜んで来ますから」

 僕は、そう言って廊下を歩き出した。

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