第7話 吐く
通院をはじめて二ヶ月経ったある日、ドクターから一ヶ月の実家静養を進められた。仕事を休む事は気が引けた。職場に対して病気アピールをしているみたいで嫌だった。自分は平気だと、元気に仕事ができると声高らかに言いたかった。
けれど、その一方で職場から離れられる事に安堵した。職場に自分の居場所はなかった。行けば冷やかにしたたかに、
一ヵ月間、実家に戻ることになった。父親からは話かけられる事無く、母親は作り物の笑顔で食事を出していた。三人になるのは食事の時だけだった。この空気は一体何なのだろうか。自分と両親が透明なフィルムで遮られているような気がした。弟は社会人としてもう実家にはいなかった。ほとんどの私物を持って行ってしまっていた。そうやっていつの間にやら、ここは父と母の家になっていた。子どもがいた事は、もう忘れてしまったのだろう。柱がやけに細く綺麗に見える。自分がいる事に違和感を感じながらも、実家に間違いない場所で、両親と同じテーブルを囲み、箸と口を動かすのだった。
食後は決まって風呂場に行った。
吐いていた。
食べたものを全て。
なぜそうしたのかはわからない。
ただそうしたかった。
自分に釣り合わないものを受け入れられなかった。
シャワーの音の一粒一粒が自分をあざ笑っているかのようだった。
風呂から上がった風に見せて、自室へ行った。だから朝食と昼食はなるべく取らずに、部屋で天井を見ていた。食べると喉の奥がぐらぐら、そわそわする。吐かずにはいられない。だが、吐いてスッキリするわけでもない。虚しさとか自己嫌悪とか、その辺の感情に細胞が浸かって息が出来なかった。食べずに済むならそうしたかった。その方が楽だった。
毎日、ドア越しに母親が食事を知らせに来る。一日三回のうち二回、お腹は空いていないと出来るだけ明るい声で言う。お腹が空いたらいつでもいいわよと、台本を読むかのような返答が来る。何か言わないとと母親に思わせている自分が、更に嫌だった。
一ヶ月経過し、職場復帰は叶わなかった。職場のどこにも自分を受け入れてくれそうな場所はなかった。まだ自分のデスクであるはずのその部分にもだ。自然に、そしてこの上なく不平等に退職が決まった。自分の今の心身の状況を伝えるも、上司は親身にするでもなく、聞き流していた。
ひとり暮らしのアパートで、退職後を過ごした。自分が社会人として、何事も成せず情けなさしかなかった。バイトをするもそれだけでは生活費が足りず、母親から仕送りを受けた。ドクターも母親も焦る事はないと、社会復帰を止めていた。
情けない自分でいるままの方が、苦痛だった。けれど、結局は病院通いも止められないし、まともに働けないから金銭的に自立する事もできずに、仕送りに頼っていた。このストレートな現実も、自分が不完全で中途半端な人間である現れなんだろうと思うばかりだった。
小さじ1杯の焦り
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