第11話:瞼に浮かぶ

「きょうは……かえる……」

 おぼつかない足取りで、楽日は家を出た。いやしかし、よくぞ言ったものだ。小さな勇気を振り絞り、喉を震わせることがどれだけ偉大なことか。あまりの愛らしさと初々しさに、見ているこちらの胸まで熱くなってしまった。

「まぁ、これで何かしら変わるだろう」

 押して駄目なら引いてみろ、だ。

 楽日が禄のために言葉を重ねれば、禄は『自分はいいから』と断ることができる。奴が断るのはあくまで楽日のためだ。

 ならば楽日は、求める理由を自分のためにすればいい。

 それを楽日に伝えたところ、すぐに顔を赤くしていた。

『な、何で子供!?』

『今まで断られ、拒否されていた理由は、そうした方が貴様にとって良いと、禄が思っているからだろう? 自分以外の誰かが、貴様を幸せにするのが最善だと言っておるのだ。ならば、禄でなければ駄目だと、相手は禄がいいのだとはっきり言ってやらねばならん』

『そ、それは……』

『それにな、このままだと奴は誰とも添い遂げることもなく、結ばれることもなく、孤独の道を歩むことになるのだぞ? 多少強引でも隣に居てやろうとは思わんか?』

『いや、でも飛躍しすぎじゃ……子供って……』

『朴念仁にはそれぐらい言わんと伝わらん。これぐらいのことが言えずして、他人をよく好きだと言えたものだ。相手を好いているのなら、どうということもあるまい?』

『で、でも……』

 なお二の足を踏む楽日に、私は意地悪く笑って言ってやる。

『禄の隣に、貴様以外の女が来るかも知れんぞ?』

『……つっ……く……! わ、分かったわよ! 言ってやるわよ!』

 と、そんな流れだった。

 思い出すと笑えてくるやり取りだ。だが、たったこれだけのやり取りで、よく頑張った。そして、乗せやすい女だ。扱いやすすぎて心配になる。

 さすがの禄も、『お前との子供が欲しい』とまで言われて、今までどおりに流す事も出来ないだろう。どうするか見物だな。

「さて……」

 これからどうするかな。他人様の家を勝手に物色するのも気が引ける。動き回るのも同様だ。リビングでテレビでも見ているか。それぐらいなら許されるだろう。

「いやぁ。引っ搔くねえ。嬢ちゃん、引っ掻き回すねえ」

 テレビの電源を入れたところで、テレビから溢れる笑い声と、寝癖の付いた髪を揺らす男が現れる。眼鏡の奥にある柔和な目元が禄にそっくりだ。

 男は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、椅子に腰掛ける。

「これはお父上。余計なことをしたかな?」

「いんや? いいんだぜ? むしろどんどんやってくれよ。うちの馬鹿息子は本当に馬鹿でなあ。荒療治って必要だと思うんだよ父さんは」

 楽しそうに言う父親は、缶ビールを煽る。私の視線に「今日は非番だから昼間から飲んでいいんだよ」と唇の端をニッと吊り上げた。

「でさ、嬢ちゃん誰よ。俺も一応常識人だし、素性の分からない人間を放置もできねんだわ」

「禄と楽日の距離をもう少し縮めたら、あとは死ぬから気にせんでくれ」

「死ぬのか。若いのに大変だな」

「若くもないさ。これでも超高齢者だぞ。五百歳を超えても衰えぬ肌は私の自慢だ」

「ふーん? 髪は伸びんのにな」

「老いぬだけで成長はする。生命活動は行われる。その場で足踏みをしているようなものだ」

「へー。詳しく調べてみたいもんだ」

 言葉とは裏腹に、父親は興味なさそうに酒を煽る。あまり私個人に対する興味はなさそうだった。

「不審者じゃないなら何でもいいのよ、俺は」

「そうか。では、しばらくこの家に厄介になるので、よろしく頼む。無論、危害は加えない」

「ほいほい。じゃあ、死ぬまでよろしく」

 父親は欠伸を一つ。あっさり了承されたものだ。息子の方は、私の素性を知りたがって質問ばかりだったのだが。

「しかし、五百年か……。不老不死っているのなー……」

「世界は広いからな」

「禄はどうなる?」

「どうもならん。私が終わって、それだけだ」

「そか。ま、俺は幸せになってくれりゃそれでいいや。好きにやれ」

「息子想いだな」

「ばーか。禄も、楽日も、お前もだよ」

「……む」

 誰かの幸せを無条件に望む。よく知りもしない、私も例外では無いらしい。

 温かい男だ。部屋で放心中だろう馬鹿を思い出す。

「やはり親子だな」

「禄のはいき過ぎだけどな」

 そう言い、彼はカラカラと笑った。禄の自己犠牲は、父親似だろうか。

 それ以上は言葉を交わさず、それが不思議と心地のいい空間だった。

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