第10話:二人の前進

 録を放置してリビングに戻ると、睡蓮は私にぽろっと視線を向ける。言葉にせず、ただ視線だけで『大丈夫か?』と言われた気がした。彼女の前には、空になった皿があった。食べ終わっちゃったみたい。一人で放置して、悪いことをした。

「禄はどうした?」

「置いてきた」

「なんと。私と貴様だけでは、場が持つとは思えぬのだがな。私たちは他人だ。関わる必要も無い他人だろう」

 寂しいことを言う子だ。いや、子じゃないけど。私は睡蓮の向かいに座り、一度深呼吸。意を決して言葉を放つ。

「こ、恋をした事は……ある……?」

「……はぁ?」

 馬鹿を見る目を向けられた。今度の視線は間違いなく『いきなり何を言っているんだ貴様は』だった。

「恋よ。恋。わかるでしょ? 男女のあれよ」

「いや、わかる。わかるが、わからん。なぜ急にそんなことを訊くのだ」

「間が持つかどうかは私だって不安だけど、まずは会話から始めればいいと思うのよ。お互い無口ってわけでもなさそうだしさ。で……禄のこと、どう思う?」

 今日会ったばかりの相手に、私は何を訊いているのだろう。とりあえず世間話をしようと思って、とっつきやすそうな恋の話を話題にしたのは間違いだったかもしれない。

「なぜあの小僧が出てくる」

「共通の知り合いなんて禄しかいないもの」

「それもそうか。……そうか? まぁいい。ふむ……そうだな」

 迷うでもなく、考えるでもなく、癖のように睡蓮は腕を組み、その目は真っ直ぐ私を見たまま言う。

「会って間もないが、奴は馬鹿だな」

「あ、やっぱりそういう印象なんだ」

「稀に見る馬鹿だな。だが、間違っている、と言おうとは思わん。あいつなりに考えてのことだろうしな。馬鹿ではあるが、考え無しと言うわけでも無いだろう。貴様も聞いているのではないか? 自分を普通じゃないという理由を」

「なんだ。睡蓮も聞いたんだ。なんか妬ける」

 違う。悔しいって言ったほうが、私の胸の奥を引っ搔いた感情の名前としては近い。禄が簡単に話したこともそうだし、私が躊躇して長く聞けなかったことを、簡単に聞いていることもそう。自分の勇気の無さが露見した恥ずかしさもある。

「で、なんだったか。ああそうだ。恋をしたことがあったか……だったな。率直に言えば、恋をした事はある。何度かあるが、ほれ、話したとおり私は不老不死だろう? 幸せな結末はまだ訪れたことが無い。誠に残念なことにな。それに」

 睡蓮は、唇をきゅっと窄め、拗ねたように言う。

「私は……その……初潮が来ておらぬのでな。成長せぬゆえ、来る予定も無い。誰かを愛そうとも、愛した相手との子が産めないのは、ちと泣きたくなるのだ」

「…………だから……なんっであんたはそう、反応に困ることばっかり言うのよ……ッ! なんかもっと、こう、他にあるでしょ!? 話題はさ!」

「き、貴様が恋の話を始めたせいであろうが! 私に責任は無い!」

「あるわよ責任! 原因が私にあっても、責任はあんたよ!」

「知るか! だいたい貴様は気に食わん! 人を指差すし、ペット扱いをするし、礼儀を知らんのか! 私はこんななりだが、年長者だぞ! 敬意が必要だろう!」

「見た目も言動も子供みたいなあんたに、どーやって敬意を払えばいいのよ!」

「子ども扱いをするなと言っているだろうが! まずそれをやめろ!」

 睨み合うも、どうにも相手の迫力が劣る。妹ってこんな感じかなぁ……。

「……むぅ」

「……はぁ」

 ほぼ同時に息を吐き、体から力を抜く。まだ少し不機嫌そうな睡蓮は、頬杖を突いた。

「さっさと本題に入れ。貴様の時間は有限だ」

 何気なく言われたその言葉に、胸の奥がざわついた。悔しいとか、寂しいとか、そういった感情を混ぜて、怒りを作ったみたいな、悲しいムカつき。

「……自分を除外するのやめなさいよ」

「ん? なんだ?」

「全然本題と関係ないけど、あんたのその感じがムカついたの。なに? 私の時間が有限? じゃああんたは無限? 不老不死ならそうでしょうよ。でも、それは個人の話だわ」

 さっきまで怒鳴りあった相手に、私は寂しさを覚えていた。言葉を交わし、一緒に食事を取った相手は、あろうことか、自分と私を切り離してここに座っている。

「よく見なさいよ。目の前に座っている私の時間が有限なら、私と一緒にいられる時間は、あんたも等しく有限でしょ? 勝手に独りになろうとしないで」

 自分だけで背負い込んで、完結して、独りになるなんて、それこそ馬鹿だ。

 分かっていないなら、そのことを理解していないなら、分からせてやらなきゃいけない。勝手に離れる少女に、ちゃんと周りを見ることを。


「あんたは、今、私といるの」


 目を真っ直ぐ見て、はっきりと言ってやった。

「……こんなふうに叱られたのは初めてだな。うむ……」

 睡蓮の瞳に浮かぶ光は、きっと喜び。そう信じられる。だってほら、口元がちょっと笑っているもの。

「すまなかった。そうだな。これからは考えを改めよう」

「ん、許す。そうしてね」

 声に出さず、表情だけで笑い合い、会話が止まる。

 じんわり滲むような心地よさが、このまま無言の時間を続けたくなるけれど、まだ本題に一歩も入っていない。

「私ね、禄が好きなの」

「そうか。いいんじゃないか? アレは馬鹿だが、クズではない」

「うん。でもね、自分は普通じゃないから付き合ったりはしないんだって。理由、分かる?」

「貴様のことが、禄も好きだからだろうな。普通でいたくないと言うあやつは、いつ致命傷や不治の病を奪ってもおかしくは無い。基本的に馬鹿なのだ」

「そう。そうなの。そういうのは奪わないでって約束してるけど、いつ破るか分からない。でも、だから私は一緒にいたい。普通じゃないって言い張る禄を、できるだけ普通に笑って、できるだけ普通に幸せにしてあげたい。間違ってる?」

「間違ってなどいないさ。はっきりとそう言ってやればいい」

「言ったわよ。とっくの昔に。そうしたら禄のやつ『ありがとう。でも、楽日にはずっと笑っていて欲しいから』だってさ。馬鹿なの? 答えになってないって、全力で蹴っ飛ばしてやったわよ」

 録が言うには、今まで奪ったどんな傷よりも痛い一撃だったらしいけど。

「蹴り飛ばしたのか。貴様も豪快だなぁ。……ふむ。しかし、なるほどな」

 睡蓮は、にやりと笑う。歳相応に見えるのは、中身がどうしようもなく悪戯好きの少女から成長していないせいだろうか。もしくは、一周回ってそこに戻ったのかもしれない。

「私は、出会いを大切に生きていくと決めている。その方が楽しいし、人間らしく死ねると思っているからな。ゆえに、禄を説得し、私の命を奪わせるまでに、貴様たちの行く末を見られないのは、心残りになりそうだ。折角の出会いだ。貴様と禄を、ちゃんと向き合わせてやろう」

「……えぇ……あんたが……? すっごい不安……」

「なぁに、案ずるな。これでも人生経験だけは全人類でもっとも多く有している。今まで進展も何も無いのであろう? だったら少しだけでも私に任せてみろ」

「確かに進展なんて何も無いし……助言くれるならありがたいか……」

 私の答えに、睡蓮の唇は更に吊り上る。

「ではまず、攻め方を変えなければな?」

 それはもう楽しそうな睡蓮は、私に助言と洗脳を始めた。


 ◆ ◆ ◆


 自室でクロと戯れる。リビングの二人は大丈夫だろうか。

 楽日は結構遠慮なくズバズバ切り込んでいくし、睡蓮は長年生きた余裕なのか何なのか、包み隠すことをしない。基本的に思ったことを言う二人がぶつかれば、打ち解けるか対立するかのどちらかだ。対立されるとかなり困る。

「クロ~。心配だ~」

 尻尾を一往復させたクロの頭を撫でる。前足を取ってぷにぷにの肉球を連打したら、クロは嫌そうに僕の手から足を引き抜いた。ピクリとクロの耳が反応し、扉に向けられる。

 足音は二つ。楽日と睡蓮だろう。良かった。二人で来るって事は、打ち解けられたのだろう。少なくとも対立はしていないはずだ。

 扉の向こうから声がうっすらと聞こえた。何を言っているのかは聞き取れなかったが、睡蓮の声は楽しそうで、楽日の声は上擦っていた。

 扉が開く。

 顔を真っ赤にした楽日が、焦点の合わない目をあっちこっちに泳がせながら、入ってくる。

「ら、楽日……? ど、どうしたの……? いったい何を話して……」

「だ、黙って!」

「……は、はい!」

 なんだろう。気迫に圧された。ここまで力の籠もった『黙って』を僕は初めて聞いた。

 深呼吸を繰り返す楽日は、ゆっくりと僕に焦点を合わせ、緊張が頂点に達しているのか、うまく回っていない舌を懸命に動かし、涙目になりながら声を絞り出す。

「わ、わ私、あ、ろ、ろろ、禄との! こきょっ、こ……!」

 絞り出された声は、柔らかくて、艶っぽくて、初めて聞く声音だった。


「子供が……欲しい……です……っ」


「………………は……?」

 本当に、何を話したんだ。何があったんだ? え? 何があってこうなったんだ?

 首を傾げるクロと。

 服の裾を握り締め、顔を真っ赤にした楽日と。

 扉の外から「よく言った……!」と楽しそうな睡蓮と。

 それから、混乱に飲み込まれながらも、心臓が痛いほど脈打つ僕がいる。

 何か言わなきゃ。何を言えばいい? いや、それよりなんて言われた? 子供?

 テンパって言葉が見つからない僕を前に、楽日はどんどん目を回していく。

「も、もう……だめ……」

「いや、よく頑張った! よく言った!」

 羞恥心に脚の力を奪われたのか、ふらつく楽日を飛び込んできた睡蓮が支える。

「それでは禄! 考えておけよ!」

 そんなことを言い残し、睡蓮は楽日に肩を貸して部屋から出て行く。

 呆然とする僕の手に、クロが撫でろと頭を押し付けた。

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