第7話:終着点を見つけた女

 事情聴取をしました。

 曰く、お前が私の終着点であるのだ。

 曰く、拒否は認めん。逃がさんぞ。

 そんなことを爛々と語りだす睡蓮を前に、僕が取った行動は……逃亡だった。

「そのコートあげるよ! じゃあね!」

「あ、こら待て! 待たんか!」

 白い髪を振り切り、全力疾走を数分間。コートを脱いだ肌に空気が突き刺さった。しばらく走り、後方に睡蓮が付いて来ていないことを確認し、自宅に戻った。

 が、僕は甘かったらしい。

 家に着いてものの一分で、呼び鈴が鳴らされる。ドアホンからは、先ほど会話したコロコロと綺麗な声が流れ出した。

『おーい禄ー? 開けてくれー』

「人違いだと思います。家を間違えていませんか?」

『窓を壊して勝手に入ってもいいのだぞー? それとも大声を上げようかー?』

「……分かった。開けるよ」

 何あの子。本気で怖いんだけど。見た目は中学生ぐらいだからこそ、まだ少しばかり心に余裕があるが、例えばこれが、もっと大人の女性だったとしたら、僕は恐怖で震え上がるだろう。

 出会ってから数分も経たない相手を追いかけたあげく『開けてくれなきゃ窓を壊して勝手に入るよ♪』などと言ってくるなど、猟奇的な物語が始まりそうで嫌だった。

 玄関の鍵を開けると、歯を剥いて嬉しそうに笑う睡蓮がいた。悪人には見えないけれど、身構えはする。

「なかなかいい家だな。窓を割らなくてよかった」

「そりゃどうも……」

「褒めているのだ。世辞ではない。もっと素直に受け取るといい」

 そう偉そうに言う睡蓮をリビングに案内しながら、どうしたものかと頭を抱える。父さんが夜勤で助かった。父さんが帰ってくるまでに、どうにかしなくては。あ、警察呼んでおけばよかった。未成年だし、強制的に家に連れて帰ってもらえるだろうに。

 そんな事は後の祭り。リビングのテーブルで向かい合って座り、小さく強引な侵入者と正面から対峙する。

「私を殺してくれ」

「いやだ」

 第一声がそれですか。何考えているのかサッパリ分からないけれど、日常の一コマに急に命のやり取りをねじ込んでこないで欲しい。

「まず大前提として僕は命を奪わないし、奪いたくも無いし、奪う理由も無い。ほら、帰って」

「その大前提は『他者を傷付けない』ことを、さらに前提条件としているはずであろう。であれば、今回に限った話、私を殺さないということは、貴様は前提条件を覆すことになる」

「もっと分かりやすく」

「私を殺さないのであれば、貴様は私を傷付けるということだ」

 睡蓮は胸を張り、

「それと、帰る家などとうに無いわ」

 と偉そうに続けた。

 命を奪わずに、彼女を殺さずに生かせば、それでこの子は傷付く? もう少し具体的な情報と根拠と理由が欲しいところだった。

「どこから来たの? 外国? 帰る家が無いって言うのは?」

 真っ白で長い髪を見て言う。まずは、少女の身の上が知りたかった。

「私は生まれも育ちも日本だ。世界中を旅したがな。この髪は地毛だ。元は黒かった。染めてもいない」

「元は? そんなに髪の色が変わることってあるの?」

「なんだ? お前の周りに老人はおらんのか? 歳を取れば髪は白くなっていくのが、世の常だろうに。世界中を見たところで、珍しいことではない」

「え? それ白髪?」

「だからそう言っとろうが。もっと他人の言葉を信じろ」

 睡蓮は長い髪を自分の手で梳いて、一纏まりをテーブルに乗せると、


「五百年も生きれば、髪は全て白くもなるさ」


 こともなげに、言い放った。

「…………冗談?」

「言ってどうする」

「いや、まさかぁー」

「お前自身が『奪う力』などという訳の解らん超常を有しているのだ。『不老不死』が存在していることぐらい、受け止めて見せろ」

「いや、いやいや。だって、はい?」

「はぁ……まったく。少し見ておれ」

 呆れて言うなり、睡蓮は自分の左腕を僕に突き出すようにする。

 そして止める暇も無く、右手人差し指の爪で思い切り引っ搔いた。

「なにを」

「見ておけ。目を逸らすな」

 じわりと滲む赤色。決して見たいものではない他人の血液が彼女の腕を流れ――その一滴がテーブルに落ちた瞬間、まるでビデオの逆再生のように血液が体に戻り、傷口が塞がった。

「信じたな?」

「…………わお」

 唖然。愕然。驚愕が僕を襲う。目の前で起きたことが信じられなかった。僕に傷を奪われ、自分の傷が治った人間は今の僕と同じ気持ちだろうか。

 だが、事実それは目の前で起きた。自分で見たものは、信じることができる。

「おい。聞いているのか? 信じたな?」

「あ、えと……う、うん」

 鮮血が意思を持ったように動くさまは、僕に彼女の言葉を信じさせるだけの衝撃があった。

 まだ脳が目の前で起きた現象を処理しきっていないにもかかわらず、睡蓮は話を続ける。

「お前に会ったここが、私の終点だ。私はもはや生に執着していない。むしろ、死を望んでいるとさえ言えよう。さあ、私を殺しておくれ」

「ちょ、ちょっとだけ待って」

「ああ。待ってやるとも。命を奪うなど、経験が無いだろうからな。心の準備は必要だろう」

 偉そうに胸を張る睡蓮を前に、まだぐるぐると混乱する脳みそに鞭打って、状況を整理する。

 目の前の少女は五百年以上生きた不老不死だと言う。

 僕に会ったここが、自分の終点だと言う。

 殺して欲しいという少女は、僕を逃がさないらしい。

 終点とはつまり死のことで。

 僕に会うことで、自分の死が決定されたと言っている。

「……待った。なんで殺さなきゃ駄目なのさ」

 よく考えたら、不老不死に出会ったとして、なぜ僕が殺してやらなきゃいけないのだ。他人に強制されて誰かの命を奪う必要は、僕にはありはしない。

 僕の反論に、なおも目の前でふんぞり返る睡蓮は、余裕綽々と答える。

「無論、これは単なる私の願いであるので、拒否権はある。人の命を奪うのだ。そこには本人の自由意志が必要だろう」

「だよね? 僕が殺す必要は無いよね?」

「ただ、貴様は五百年生きてようやっと出会った、私が死ねる可能性だ。もう随分と前に死ぬ方法を探すのもやめていたとは言え、折角見つけた可能性をみすみす逃したりはせん」

 睡蓮は嫌な笑みを浮かべ、心底性根の悪い声で言う。

「付きまとうぞ」

「うわ。たちわる」

「なんとでも言え。人との出会いは一期一会だ。一つ一つを別れが悲しくなるほど大切にするのが、私の人生の楽しみ方なのだよ」

「楽しんでいるなら、なおさら死ぬ意味が解らない」

「む? ……そうだな……」

 目の前の五百年以上生きたという少女は、指先を唇に当てて考える。左上に向いていた視線がぐるっと回って右下に動き、唇から指が離れる。僕に視線を戻す。


「私はな、人間らしく死にたいのだ」


 睡蓮はにやりと笑い、椅子から降りた。テーブルの端を手でなぞりながら、僕から目を離さずこちらに来る。

「古今東西、あらゆる詩人が、あらゆる歌い手が、あらゆる人々が『人生は一度きり』だと歌った。死んだら終わりの一度きりの人生なら、楽しんだ者勝ちだそうだ。いつ終わるとも知れない人生を、死ぬ瞬間まで楽しむ。素晴らしいことだ。実に素晴らしいが」

 睡蓮は僕の目の前で止まると、腕を組んで残念そうに顔をしかめた。

「私は、いつまで経っても終わらんのだ。死ぬことが解っているからこそ、終わりが訪れるのを知っているからこそ、人間は生を楽しむというのに。希望を知れば絶望を知るように、死があるからこそ生が輝くというのにだ。そして、私が失った『終わり』を私はようやく見つけた」

 腕を解き、睡蓮は僕に手を伸ばす。握手を求められるように差し出されたその手は小さい。しかし、大きな意味を持って僕の動きを止めた。

「どうだ。私のために、私を殺さないか」

 重いその言葉に、僕は胸の奥が押さえつけられる。

「……君は、僕と別れるのが悲しい?」

 押し潰され、僕から滲み出たのは、そんな言葉だった。

「……うん?」

 差し出されていた睡蓮の手を払いのけ、立ち上がる。さっきまでほぼ同じ高さにあった目線がずれ、僕は子供みたいな見た目の睡蓮を見下ろす形になった。

「一つ一つの別れが悲しくなるぐらい大切にするんだろう? 会ったばかりの僕と別れたところで、君が悲しむとは思えない。楽しむことで、大切にすることで人間らしく生きて、人間らしく死にたいなら、僕との死に別れを悲しんでみなよ」

「……ふぅむ。貴様はやはり物好きだな。別れがくると解っていながら、それでも私に近付くのか。それに、殺すのは貴様だぞ? わざわざ悲しみを大きくすることもあるまい」

「もしこれが本当に必要なのだとしたら、僕はちゃんと相手を知って、理解して、納得した上で、君の命を奪うよ。そうじゃなきゃいけないんだと思うし」

 殺すことを求められるなら、僕は相手を知りたい。自分が誰の、どんな命を奪ったのか、正しく理解しなければ、僕は死ぬまで後悔する。

 睡蓮は僕をまっすぐ見つめ、しばらく見つめあった後に呟くように言う。

「ま、死ぬまで楽しむと決めたのは私だしな。貴様を納得させて、別れが悲しくなるほど楽しんでから、贅沢に死ぬとしよう」

 呟かれた言葉に、僕はふと『この選択は間違っているだろうか?』と考えた。情も何も無いうちに、願われるままに命を奪ったほうがよかっただろうか。

 答えは、その時にならないと解らない。正しかったかどうかなんて、解答を提示してからでないと解らないだろう。ならば、今は折角の出会いを楽しもう。

 睡蓮は「さて……」と続け、愛らしくニヤついた。

「では、しばらくこの家に厄介になるが、部屋は余っていたりするのか?」

「ちょっと待った。ここに泊まるの?」

「当たり前だろう。冬の寒さに晒されようと死なぬゆえ、もともと野宿生活だが、しかし寒いことに変わりは無い。貴様、私のような少女を冬空の下に放り出せるのか?」

「うっわ……」

 放り出せないのを解っていながら訊くなよ。

「貴様は単純だ。どこにでもいるお人よし。ただし、度が過ぎているがな」

 くつくつと笑う睡蓮に、僕は溜め息をこぼした。

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