第3話:黒い狼

 家に着いた僕は、持っていた荷物をリビングのテーブルに置く。小麦粉やら砂糖やら、あと百円ショップで買った小物とか料理器具の数々。楽日曰く、百円ショップは宝の山とのこと。

 楽日は、エプロンや使う道具を持ってくるといって、一度隣の自分の家に行った。今日のお菓子作りは僕の家でするらしい。となると、オーブンを使うのだろう。僕の家には、大型のオーブンがある。

 自室に戻り、読みかけだった短編集を持ってくる。面白いので、楽日に貸してあげようと思った。僕は一度読み終えているし。

 体を伸ばし、大きく呼吸した。

「クロ、おいで」

 誰もいないリビング、何もいない空間に呼びかける。

 ――くぅぁあ。

 しかし、誰も、何もいなかったこの空間に、大口を空けて欠伸をする大型犬ほどの獣が、僕の背後から出てきた。

「よーしよしよし!」

 間髪いれず撫で回す。見た目よりも柔らかい毛に、僕の指がふわりと沈んだ。

 僕の『奪う力』。その力が形として存在しているのが、この『クロ』だ。

 真っ黒い毛並みの狼の姿をしているクロは、こうしていると普通の大型犬のペットと変わらない。外見も、四肢の先が黒い炎のように揺らめいていること以外は普通だ。こんな足だけど、実はひっくり返すとちゃんと肉球もある。『もふもふの尻尾は、癒し効果の塊』とは楽日の言葉だ。

 ――『クロ、奪え』

 僕が力を使うときは、そう口にする。僕だけの、魔法の言葉。力を発動させる言葉。その言葉を唱えれば、クロは対象に喰らい付き、飲み込み、『奪う』。

 奪う時、クロは対象のみにしか触れないため、どこに喰らいつこうと相手に傷を付ける事は無いが、大型犬ほどの黒い獣が牙を向き、体に喰らい付くその映像は、中々に恐怖だ。子供が見たら泣く。最悪トラウマになるだろう。公園の男の子に目を瞑ってもらったのは、そういった理由だった。

 とにかく、僕が力を自覚してからずっと一緒にいる、親友であり相棒と呼べる存在が、この黒い毛並みの狼さん。クロなのだ。

「おやつがあるぞー? 百円ショップって犬用のおやつもあるんだなー」

 ――くぉん!

 嬉しそうに、もふもふの尻尾がパタパタ振られる。ジャーキーを袋から取り出して、クロの目の前にしゃがむ。

「お手!」

 ――たしッ! 右前足が僕の手に乗る。

「おかわり!」

 ――たしッ! 左前足が僕の手に乗る。

「宙返り!」

 ――バッ! ぐるんッ! 軽やかに飛び上がり、後方に一回転して着地した。

「よしおっけー! クロいえーい!」

 ――わん!

 犬用のジャーキーをあげると、さして噛みもせずに飲み込んでしまった。いつも思うけど、もうちょっと味わえばいいのに。犬ってみんなこうなんだろうか。

「よしよしよし! クロ流石だぜー!」

「おじゃましまーす」

 再度クロを撫で回していたら、楽日がやってきた。

 彼女の声が玄関から聞こえると、クロの尻尾がジャーキーを前にしたときよりも五割り増しぐらいにばっさばっさと振られる。

「あ、クロ! 出してもらってたんだー! おいでー!」

 リビングに入ってきた楽日にクロは駆け寄り、足元に来たクロを楽日が撫で回す。犬の表情はあまり分からないが、僕が撫でる時よりも明らかに幸せそうなのは、やはりちょっと嫉妬してしまう。飼い犬が自分より他人に懐いてしまっている感じ、分かるだろうか。

 ただ、楽日もクロも幸せそうだし、その姿を見られるのは悪くないのでいいとしよう。

「今日は何を作るの?」

 楽日の足元に置いてある、彼女が持ってきた布製のバックを拾い上げて訊くが、とうの楽日は「あはは! くすぐったいよー!」とクロと戯れていた。いやまぁ、いいんだけどね。それでも感じるこの寂しさはなんだろう。

 拾い上げたバッグをテーブルに置いてから、もう一度聞く。

「今日は何を作るの?」

「ん? はいクロー。ちょっと離れてねー」

 クロの頭を撫でながら、楽日は言った。僕の問いかけに答えず、持ってきたバックからエプロンを取り出して、彼女は数秒で着用する。そのまま流れるように、気合を入れるように、三角巾を頭に巻いた。

 振り向く彼女は楽しそうに八重歯を覗かせていた。

「今日はマフィンを作ります!」

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