僕が君から『奪う』まで

狛人 白璃ーコマビト ハクリー

第1話:それは冬に咲いた花



 普通も、正常も、一般論も、現実論も――――狂った理想論には叶わない。



   《第一話:それは冬に咲いた花》


 小さい頃から、僕の体には傷が絶えない。上から重ねても傷が消える事は無いけれど、それでも『痛くありませんように』と願われ、傷跡の上に貼られる絆創膏は、もう何百枚貼られただろう。

 治りかけの傷は痒い。服の上から押さえつけて痒みを堪えた。痒さに負けて掻いてしまえばまた傷が付くかもしれないし、かさぶたが剥がれてしまうかもしれない。かさぶたを剥がさないのは、幼馴染との約束だった。

 吐き出した息は白く漂い、冷たい空気に溶けていく。

 夏は逃げ水ができるほど熱くなるアスファルトは、手袋をしていても指先が冷たく悴む十二月下旬の今、外気温に付き合わされて氷のように冷たく冷えている。

 大通りから一本裏に入った道で聞こえてきた軽快な足音に眼を向けると、常緑樹に囲まれた公園を走り抜ける男の子がいた。

 真冬なのに半袖半ズボンのその子は小学校低学年くらい。寒くないのかな、と思った矢先、ズシャッ! と大きな音を立てて男の子が転ぶ。

 それとほぼ同時に、僕は駆け出した。

「だーいじょうぶか!? 少年! 怪我してないかな? 痛くないかな?」

「……っ!?」

 僕を見る目は、不審者を見るそれだった。痛みからか少し涙目だけれど、声を出して泣き出さないでくれて助かった。近隣住民が騒ぎ出せば、僕はただの変質者だ。今の世の中、おかしな人間は異常者や不審者として括られる。

 男の子の膝からは紅い雫が一筋零れている。派手に擦り剥いていた。砂も混じってしまっていて、見るからに痛々しい。

「だ……だれ……?」

「ふふん。名も無い――魔法使いさ♪」

「まほー……つかい……?」

「そう。魔法使い。世にも不思議で、少しだけ誰かを幸せにできる人。僕がそうだよ。さ、両手と膝を見せて」

「う……うん……」

 捲くし立てる僕に、男の子は素直に両手と膝を見せてくれた。素直に、と言うか、抵抗する隙間を奪われて、と言ったほうが正しい。そうして差し出された両手は膝同様ちょっと擦り剥いていて痛そうだ。僕は、身をもってその痛みを知っている。何度も自分の手にできた傷と同じだ。

「遊んでいたの?」

「ううん。友達の家に行くところ……」

「そっかそっか。でも、走ると転ぶよ。転べば怪我をする。怪我をしたら痛くて、怪我の治療をしなきゃいけない。友達の家に行くのも遅くなる。いいことないね。焦らない焦らない」

「……?」

「急がば回れってこと。そのうち分かるよ。じゃあ、今から魔法を使うけれど、ちょっと目を閉じてくれるかな?」

「なんで?」

「見られていると緊張しちゃうから。ちょっとだけ、ね? お願い」

「……ぐすっ……分かった」

 鼻を啜る素直な男の子は、涙をちょっと溢して素直に目を閉じる。

 素直ないい子に向き合う悪い子な僕は『また約束破ってごめん』と心の中で幼馴染に謝り、魔法の言葉を口にする。僕だけの、魔法の言葉。

 聞かれたくないから、聴こえないような小声で。

「――……――……」

 瞬間、輪郭の淡い、黒い影のようなものが暴風のように僕から飛び出し、少年の傷跡を飲み込む。

 影は一瞬で僕の中に戻り、何事もなかったかのように沈黙した。

「はい、もういいよ」

「……わ! 治ってる! 痛くない!」

「そう。驚いただろう? 怪我を治せるのです!」

「すごいすごい! どうやったの!?」

「最初に言ったとおり、魔法だよ」

「魔法……! 本当にあるんだ……!」

「もちろん。あ、でもこの事は秘密ね? 約束してくれるかな?」

「分かった!」

 大きく頷く元気な男の子の頭を撫でて、僕は微笑んだ。

「ありがとう。さ、お友達も待っているよ。早く行きな。今度は転ばないようにね」

「うん! ありがとう!」

 手を振って、男の子は走り去っていく。

 子供は素直でいい。こんな突拍子の無いことでも、素直に受け入れてくれる。可愛いものだ。

 一通りほっこりしたところで、肩を叩かれる。

 振り向くと、にっこり笑顔の幼馴染様がいらした。

「ねぇろく、何をしていたの?」

 肩までの栗色の髪は緩くウェーブしていて、同じく栗色のくりっとした瞳は、なんだかリスを思わせる。楽しげで、人懐っこそうな笑顔を浮かべているが、頭一つ分低い場所から僕を見る双眸は、どう見ても笑っていなかった。

「やぁ楽日らくひ。こんにちは。こんなところで奇遇だね。買い物?」

「ねぇ禄、何をしていたの?」

 同じ問い。表情も変わらない。まるで同じ動画をもう一度再生したかのように寸分も違わない問いかけが、妙に怖い。

「そうだ。買い物に行こう。そうしよう。ほら、駅前にできた新しい本屋の品揃えが結構――」

「――実は、最初から見てました」

「ごめん! 急用ができた! 僕は先に帰るね!」

 立ち去ろうと踵を返す。が、一歩も進めないうちに耳を掴まれた。

「逃がさないわよ! 私がいる時にしか使っちゃ駄目だって言ってるでしょうが!」

「痛い痛い痛い! いやでも! これはあくまで僕のぉぉおおお!」

「言い訳無用! こっち来なさい!」

 耳を引っ張りながら、楽日は公園の隅に設置してある水道に向かって歩き始める。

「痛い! 痛いって! 離してよ!」

「駄目。これは罰。それに、逃げるかもしれないじゃない」

「逃げないよ! 逃げたって家は隣なんだから、すぐ捕まるじゃん!」

「いいの!」

「なにがいいんだよ……」

「いいからほら! ズボン捲くって、手袋取る!」

「…………はーい……」

 言われるがまま、手袋を取り、ズボンを捲くる。

 膝から流れる雫が、ズボンの内側に紅い染みを作っていた。ちょっとしくじった。家に帰ったらちゃんと洗わないと。

「うわぁ……いたそ……」

 楽日が苦い顔で見る僕の膝のそれは、どこかで見た事のある傷跡。


 ――――さっきの男の子と同じ傷跡だった。


「せめて砂洗い流してからやればいいのに。これじゃ痛いでしょ?」

「この時期の水は冷たいんだよ。小さい子じゃ風邪ひいちゃうかもしれない。それに、あの子は友達の家に行くのに走っていたんだし、ちょっとでも早いほうがいいじゃん」

「冷たいのはあんたも一緒でしょうが。ばか」

「僕はいいんだよ」

 そう言うと、楽日は口を尖らせてもう一度「ばーか」と呟き、水道の蛇口を捻る。勢いよく流れ出る水は、冬の太陽を反射してキラキラと輝いていた。

 膝を突き出し、水で膝を洗う。傷口に食い込んだ砂が、ぽろぽろと落ちていく。

「約束破ってごめん」

「謝るなら、あんまりこういうことしないでよ」

 呆れた声でそう言って、楽日は自分の鞄から絆創膏とティッシュを取り出す。彼女は濡れた僕の膝を拭き、絆創膏を貼った。手の平にも絆創膏が貼られ、膝に二枚、両手の平に一枚ずつの、計四枚が貼られた。

「これでよし。また私がいないところでやったら蹴っ飛ばすからね」

「了解。いつもありがとう、楽日」

 しゃがんだまま、ズボンの裾を元に戻そうとするが、水に触れた手は冷えて動かしにくい。折角貼ってくれて絆創膏がはがれないように注意しながらズボンを戻していると、頭上から楽日の声が降ってきた。

「何度でも言うけど、誰にでも使うのやめてってば」

「はは……。ごめん。楽日のお願いでも、それは無理かな」

 僕は笑う。悲しそうな顔をする彼女に申し訳なく思いながら、言う。


「僕は、普通じゃないから」


 普通じゃない僕は同時に、普通でも、まともでも、いてはいけないのだ。

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