05. Into the new life

 ホームルームが終わり、鞄を持って帰ろうとしていた刹華は羽月に腕を掴まれた。

「引っ越し、手伝ってくれるよね。君の荷物が沢山転がってる所に荷物運べないんだから」

 目的を把握した刹華は、溜息をついた。

「……聞いてねぇ。だいたいあたしは疲れてんだよ。帰ったら寝る」

「はあ? 昨日言ったでしょ? 今日は引っ越しで物運ぶって」

 羽月も、刹華の投げやりな対応に若干苛立ちを感じ始めた。

「手伝えなんて言ってなかったからな。お前が寮でうるさくしてるなら、あたしは別のところで寝る」

「君さぁ、少しは文脈で物事を判断する能力つけたら? それに寝る寝るって、さっきまで居眠りしてたでしょ? 一日何時間寝てたら気が済むの? 牛になるよ?」

「ちゃんと話さなかった非をあたしに押し付けんな。それと、授業中の睡眠ときちんと時間を設けた睡眠は違う。横になって寝た方がいいのなんて猿でも分かるだろ」

 段々とヒートアップする二人の会話、というより口論。周囲の視線などお構いなしに行われる口論は本日二度目で、早くも日常になりつつあった。

 そこに、一人の女生徒がゆったりと近づいてきた。

「随分早く馴染まれていらっしゃるのね。烏丸さん」

 金髪の巻き髪、メリハリのついた体型、傲慢なまでの自信に満ち溢れた顔。

「えっと……確か、栄花リオンさんだったよね」

 羽月は昨日の自己紹介や、視界に入った時の彼女の行動等を思い出しながら、その言葉に応対した。

「覚えて頂き光栄ですわ。わたくし、貴方の実力をかなり高く買っておりますの。きっと、将来は大物になると予想しております。ですので、貴方には一つだけアドバイスを」

 ひと呼吸だけ間を置き、リオンは続けた。

「仲良くする人間は選ぶべきかと。わたくしと仲良くするべきとまでは言いませんが、そこの馬の骨などと仲良くしていては、貴方の品格を落としかねませんわ」

 馬の骨呼ばわりされた刹華は、少しカチンときて一歩踏み出した。しかし、その先を遮るように羽月が腕を突き出したことで、刹華は歩みを止めた。

「じゃあ、今から私の引っ越しを手伝ってくれる?」

 思わぬ発言に、リオンは驚いた。

「引っ越しの荷物が届くんだ。栄花さんみたいな優秀な人が手伝ってくれるならすごく早く終わりそうだし、助かるよ」

「え、えっと……手伝って差し上げたいのは山々なのですけれど……わたくし、今から部活動がありまして……」

「じゃあ、私は鬼ヶ島さんに頼むよ。肉体労働得意そうだし」

「……そうですわね。下等な彼女には肉体労働が相応しいかもしれませんわ。では、わたくしはこれで」

 捨て台詞を吐きながら、リオンはそそくさと教室から出て行った。

「気にしない方がいいよ」

 ひと山過ぎた後に突然真後ろから声をかけられ、二人は驚いてしまった。

「あいつ、ああやって上に立った気にならないと気がすまないんだわ。本当はすっげー真面目なんだけどね」

 話しかけてきたのは、虹色とでも呼べそうな髪の色と改造が施された制服の少女。ギャルというにも派手そうな生徒だった。

「確か、名前……」

 羽月が言いかけたところで、虹色の少女は掌を出して制止した。

「あー、そういうのはまた今度にしようよ。長くなっちゃうと今日のウチの予定押しちゃうし。んじゃねー」

 虹色の少女はステッカーが貼り散らかされた金属製のキャリーケースを引きながら、そそくさと廊下へ小走りで消えた。

「霧山美里。あたし、なんとなくアイツ苦手なんだよ」

 刹華が補足をするように漏らす。

「名前は知ってる。君が苦手なのは覚えとく」

「あたしの苦手なものを覚えるな」

「私は何でも覚えてるよ。それは置いといて、行くよ。引っ越し業者さんも来ちゃうし」

 さっきのやり取りのせいで少し断り辛くなった刹華は、観念したと言わんばかりに溜息をついた。溜息の多い日々だと思いながら。




 バリーズコーヒー二年坂店。道路に面したテラス席に、一人の女が座っている。歳は三十前後といった見た目。髪はほぼ黒と言ってもいい群青色で、癖のついたミドルヘアー。スカートスーツをカッチリと着こなした彼女は、面倒臭そうにアイスコーヒーを置き、テーブルの上の電話に出た。

「あーい、おつかれー。ゼロファイブ、調子はどぎゃん?」

 電話の相手は、異常無しという状況報告を律儀な口調で行った。その報告に対して、訛りのある彼女は不満そうだった。

「異常ナシ異常ナシ……いつもそぎゃん報告なら定期的に報告せんで、なんかあった時だけ報告でよかろうもん」

 規則ですから。一言だけでピシャリと返す相手に、訛りの彼女は肩を竦めながら脚を組み直した。

「……まあええたい。ウチとゼロフォーはヒガミを探して始末する。そっちは今まで通り適当にやっとって構わんけど、万が一ヒガミを見かけたら始末しぃ。手に負えん時はウチに連絡しても構わん」

 了解しました。では。その二言を告げると、相手は電話を切ってしまった。

「……アイツも変わったなぁ。うっすら感情が生まれたっていうか……名前も無かった癖になぁ」

 携帯電話を内ポケットに仕舞うと、入れ替えるように煙草を取り出して火をつけた。

 煙は、強い風に吹き流されていった。




「ありがとうございましたー」

 引っ越し業者を笑顔で送り出す羽月。刹華はというと、邪魔にならないところに自分の荷物を動かし終えて、ぼんやりとした表情でベッドに座っていた。新しく増えた本棚や机に、本当に羽月がここに住むのだという実感が今更湧いてきた。

「……お前、レッダーに詳しいのか?」

 刹華は虚空を眺めながら尋ねる。

「え? まあ、昨日の夜に改めて調べただけなんだけど、噂とか仮説とかも読んだよ」

 羽月はつまらないことだとでも言いたげに、ダンボールの封を開けながら答える。

「聞かせろ。全然知らねぇんだ」

「……自分で調べてよ。まさか、今をときめく女子高校生が、ケータイの使い方が分かんないとか言わないでしょ?」

 芝居がかった口調で、羽月はおちょくるように言った。だが、返ってきた言葉は予想外だった。

「持ってねぇんだよ、ケータイ」

「えっ……本当に?」

 手元を止めて、思わず振り返る羽月。

「嘘つくのが下手って言ったのはお前だろうが。それは分かれよ」

「持ってるけどパカパカ派だとか、そういうのじゃなくて?」

「パカパカ肌ってなんだ? なんか流行ってんのか?」

 羽月は全てを悟った。悟ってから一瞬だけ哀れむような目で刹華を見て、近くにあった学生鞄から携帯電話を取り出した。

「ええっと……ざっくり纏める。絶滅した動物の能力を引き継いだ人間をレッダーと呼ぶ。これは人間に起こる突然変異で、強い感情に呼応して発生することがあるらしい。その数は少数であるが、発現する人は女性に偏っている。これは最後の個体が子孫を残す為の母体を求めて女性を選んでいるかららしい」

「らしいらしいって、曖昧な物言いだな。非科学的っぽいし」

 刹華は呆れるようにベッドに寝転がった。

「仕方ないでしょ。ただでさえ研究が進んでなくて、しかもネットの情報は仮説と都市伝説が入り混じってるんだから。だから国なんかも躍起になってるんでしょうし……ああ、男性も極小数確認されてるけど、そっちの方が能力としては強く発現する傾向にあるんだとか」

「そうかい。あたしが男だったら良かったな」

「男だったら女子校のここで会えてないでしょ……」

 羽月は携帯電話を机の上に置くと、脱力するようにキャスター付きの椅子に座った。

「……それより、君って親から虐待でもされてたの?」

「あ?」

 突然の質問に、刹華は聞き間違いを疑った。

「年頃の女の子がケータイを持ってない、素行も悪い、成績も悪い……ろくな教育受けてると思えないんだけど。親御さんがやばい奴だったのかって疑ってしまうのは普通じゃない?」

 羽月はほんの少しだけ感情的に追及する。それが地雷だとも知らずに。

「……優しい親だったよ。二人共、だいぶ前に死んだけどな」

 羽月は、空気が凍るのを感じた。

「ご、ごめん。事情も知らないで無神経なこと言った」

「別にいい。今思えば、あの時にレッダーになっちまったのかもな」

 強い感情。そんなものを感じたのは、鬼ヶ島刹華の人生の中でこの時しか思い当たらなかった。望みもしない孤独に晒された時、彼女を彼女たらしめる強い力が生まれたとするならば、なんとも皮肉な話である。

 それはそれとして、烏丸羽月は地雷を踏み抜いたことが大変気まずかった。少なくとも、一分近くの沈黙が流れているのは、流石に自分のせいだという責任感を感じる。何か、何か無いものかと、思考をフル回転させる。

「えっと……じゃあケータイかなんか見に行く? 今から無いと不便だろうし」

 思考のフル回転の結果、話題の切り替え、つまり話題の回帰を選んだ。

「買えねぇよ、そんな高価なもの」

「だよねぇ……そんな話だろうと思った。じゃあ、スケジュール帳か何かで予定管理してるの?」

「予定なんて、忘れるほど入らねぇだろ普通」

「普通って何……私は今、大変混乱している……」

 あまりに生きてきた環境が違い過ぎる二人だった。

「……よし、スケジュール帳買いに行くよ。これから火神探しで忙しくなるんだから。予定をすっぽかされたりしたら嫌だしね」

「だから、金がねぇって言ってるだろ。シャーペンの芯買うのだって慎重になってるんだぞ。」

「……私が買う。君は私に必要な力だし、それを整えるのは必要経費。言っとくけど、奢るのはこれで最後だからね。ほら、行くよ」

 羽月は制服のまま、小さな鞄を持って部屋の出入り口へと近づいた。急かしている所作であると理解した為、刹華は頭を掻きながら立ち上がった。




 少し離れた商店街の文具屋で手帳を買った。そのことについて、刹華は羽月に対して少しだけ申し訳無い気持ちになったが、初めて自分の手帳を手に入れた事に対する不思議な感覚の方が大きかった。真っ黒な手帳を選んだ事について、自分が使う訳でも無いのに「可愛くない」と文句を言う羽月が少しおかしかったのもある。ただ、そのことを口に出しもしなかったし、負担をかけないようにシンプルで安い手帳を選んだことも刹華は言わなかった。

 何にせよ、二人での外出というのは刹華にとって新鮮なものだった。

「全く……今月は節約しないとね。今から暑くなるし、冷蔵庫に麦茶でも常備しとかないとやってられないよ」

「麦茶のパックなら寮にある。前に大量に買い込んだ」

「君の危機的な財政で、なんで麦茶をチョイスしたの……まあ、そう言うならありがたく頂くけどさ。買い込むなら、今度からお米とかうどんとか買い込むんだよ?」

「お前はあたしの保護者か」

 呑気な話をしながらビニール袋の中を覗くと、先程買った黒い手帳が見えた。手帳なんて何を書けばいいのかと思いながらも、そんなに悪い気はしなかった。

「おいお前、止まれ!」

 脇道に入って十数メートル、突然後方から叫ぶような声が聞こえてきた。振り返ると、五メートルくらい向こう側で中学生くらいの少女が人差し指をこちらに向けていた。細身で、近くにある三田ヶ谷第三中学校の制服を纏っているので、そこの生徒なのだろうと刹華はすぐに察した。

「お前、この前の暴行事件の犯人だな!」

 図星のようなそうでないような発言に、刹華は少しだけ動揺する。何故それを知っている奴がいるのか、と。

「あの子、誰?」

 羽月の発言で我に返る刹華。我に返って注視してみるも、完全に見覚えがない。

「知らん。人違いだろ」

 刹華は少女を無視して再び歩き始めようとした。

「しらばっくれるな! 私は見たんだぞ!」

 少女は携帯電話を突き出した。

「お前が乱暴しているところを、写真に撮ったんだ! レッダーなのも知ってる! さっき、この写真をネットにばら撒いた!」

「は?」

 刹華は突然の出来事を理解出来なかったが、その代わりに羽月は大きく溜息をついていた。

「……これ、まずいのか?」

「滅茶苦茶にまずいよ。君、明日の今頃には傷害罪で檻の中かもね」

「はあ? あれは正当防衛だって……」

 刹華の無実の主張は、まるで空洞のようだった。

「だからさ、もともと評判の悪いレッダーの言うことを、警察がハイそうですかって信じると思う? それに、国は調査目的でレッダーを探してるんだよ? 噂が正しかったら、人体実験でもされるかもね」

 理解できているのか自分でも自信が持てないまま、刹華は例の少女に向き直った。

「……お前、どういうつもりだ」

 少女は悪びれもせず、言葉を続ける。

「私がお前を捕まえる! お前は、この街にいて良い存在じゃない! お前に乱暴された人達の痛みを知れ!」

 自分の主張を終えるや否や、少女は両手をクラウチングスタートの形で地面につけた。すると、突如として頭頂部の少し後ろから細長い角が生えてきた。それと同時に、腕と脚に茶色の体毛が生え、脚の形状も変わっていく。

「レッダーか。おい烏丸、離れてろ」

「言われなくても離れてるよ」

 いつの間にか、羽月は五メートル程後方へと移動していた。どうやら、様子を見ておくことを選んだらしい。

「……いい性格してるよな、お前」

 嫌味を言いながらも、スカートのポケットに手を突っ込んで、少女の方を向いた。

「こういう手合、あんま好きじゃねぇんだけどな」

 刹華が愚痴を終える前に、少女は刹華に向けて駆け出した。彼女は蹄を振り上げたまま、刹華の元に二秒もかからずに接近する。そして、叫びながらその蹄に想いを込めて振り下ろした。




 結果、少女は吹き飛んだ。具体的には、寸前で避けた刹華に脚を引っ掛けられた少女は、その勢いのまま丁度羽月がいた地点まで吹き飛んだ。羽月は寸前で避けはしたものの、少女の方は間抜けに突っ伏してしまった。

「お前、喧嘩したことねぇだろ」

 呆れながらも、刹華は身動きが出来ないように少女の項を地面へと押さえつけた。一応、力任せに抵抗されないよう腕だけを獣化させているのは、刹華なりの用心だった。

「こっ、この! 放せ! 放せ悪党!」

 少女は暴れるも、起き上がる事が出来ない。その動きは、刹華にひっくり返った亀を想起させた。

「誰が悪党だよ。あたしが悪党なら、今頃お前はボコボコだろうが」

「お前が! お前が罪のない人達を殴ったんだ!」

「それはあっちからやってきて……ああっ、これじゃ平行線じゃねぇか」

 暴れる少女に、頭を抱える刹華。そこに、見かねた羽月が近寄ってきて座り込んだ。手に持っているのは、少女の携帯電話。

「かなりブレてるけど、写真に写ってるこれってナイフじゃない? ほら、この光ってるやつ」

 そう言われた少女は、差し出された携帯電話の画面を覗き込む。刹華もそれを見てみると、写真の中の男が持つ刃を確認できた。思い出してみると、確かにその日はナイフを持った奴がいた。それは、明らかに武器として作られたようなデザインのものだった。

「『たまたまナイフを持ってるような連中を襲った』っていうストーリーと、『ナイフを持っているようなヤバい集団に襲われたから正当防衛の範囲で返り討ちにした』っていうストーリー。どっちが自然かって考えたら、後者でしょ。たまたまナイフを持ってる奴なんてなかなかいないし、そもそも銃刀法に引っかかりそうだしね」

 自分が持ってきた証拠に叩きのめされた少女は、露骨にがっかりしたような顔で暴れるのを完全に止めた。獣と化した部位も、次第にただの人間のものに戻っていく。

「烏丸、その写真とネットに投稿されたヤツは消せるのか?」

「んー、この端末の写真は消すにしても、ネットのは拡散しちゃうし焼け石に水だろうね。一応投稿が消せるか確認するけど……ん、いけた」

 勝手に携帯電話を操作して後始末をする羽月を少女は咎めようとしたが、自責の念からか言葉が出てこない様子だった。

「別に、正義感があることは悪いことじゃない。特別な力があることだって、悪いことじゃない。それを持って、自分が後悔しないようにきちんと考えて動くことが大事なんだろ」

 刹華の言葉を聞きながら、少女はただ何かを考えるように俯いていた。

「それに、お前だってレッダーじゃねぇか。自分が狙われる立場だって事を忘れんな。自分の身は、ちゃんと自分で守れるようになれ」

 少女は俯いたまま動かない。その様子を眺めていた刹華は、おもむろに少女の項から手を離して立ち上がる。腕の獣化も、警戒する様子もなく解いてしまった。

「ほら、行け。もう勘違いすんなよ」

 ほんの少しだけ間を置いて、少女は立ち上がった。そして、羽月の手から携帯電話を勢い良く奪い取ると、そのまま走り去ってしまった。

 最後に見た横顔は、刹華には泣いているように見えた。

「……君、割とおおらかだね。私はてっきり私刑が始まるのかと思ったよ」

 羽月は、あの少女を大きな危害を加えずに帰したことが意外なようだった。

「以前のあたしを見てるみたいでな。責めきれなかったんだよ。やってくれたことに関しては、怒鳴り散らしたい気持ちだったけどな」

「あれはねぇ……あまり拡散されないことを祈りながら、ほとぼりが冷めるまで警察なんかに見つからないようにしたいところだね。ピントがブレブレだったのが不幸中の幸いかな」

 刹華は手帳の入ったビニール袋を拾うと、羽月と共に寮へと歩き始めた。

 赤く染まるこの夕暮れでの出来事が、近い未来に、想像もしていない形で刹華を苦しめることになる。

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