第一部 アリストテレスの魔法

第一部 プロローグ 役者は舞台袖へと集結せり

「では…何を欲するか?」

 荘厳な広間。そこにいるのも、玉座とそれに準ずる椅子に座る高貴なる者達に跪く臣下という、実に役者達だった。

「僭越ながら…私めは『家名』を持っておりません。今やこの出自に不満はございませんが、この国の臣民として今後より一層世界を広く渡り歩くに、家名がないことはなにかと障ります。故に、私めに家名を付けていただきたく存じます。陛下の下さった名とあらば、世界のどこへ行っても恥じることなく、臆することなく、胸を張って名乗ることができます。…」

 下賤の出自から長きにわたって栄達を重ねた臣下が、望みを口にする。高貴な身分の者しか家名を持たない時代など、終わりを告げて久しい。まさしく彼の者こそがその立役者であるが、それほどに長い期間、玉座の主よりすら長く、国を支えてきた。その築き上げた功績、国家への貢献の程を思えば、ささやかすぎる願いではあるまいか。

「――では望み通り、余から…そなたに家名を授けよう」

 それでも主君は、その願いに完璧な形で応えた。

「『オージア』。それが余がそなたに与える家名だ」

 の名。の名。それを関する家は、未だ存在しない。

 ともすれば主君の家名より重いそれは、その名を関する連合王国の親と言っても過言ではない長年の忠臣に報いるに、これ以上ない家名であった。

「以後『オージア・ソベック・ナギ』と名乗るがいい」


 この日、後に世界を揺るがす名が、世に刻まれた。





 西暦2025年3月下旬。北海道は根釧台地の、とある牧場。

「ふぁ…」

 目覚ましに起こされ、起き上がる。

 少女のいつもの一日が、今日も始まる。

 いや正確に言えば、今日はいつもの一日ではない。特別な日だ。

「ん…」

 ぼーっとした頭でベッドから這い出す。冬場ベッドの温さが名残惜しいのはよくあることだが、ここは厳冬の根釧台地、住宅の断熱は本州以南より遥かにしっかりしている。

 部屋を出て階段を下り、洗面台へ。蛇口を捻り、顔を洗う。

「っぷぁ」

 タオルで顔を拭くと、白髪の少女はリビングへ向かい、ドアを開け放った。

「おはよう」





 オールズソベック=ソベック・アメイヤ・アーテラサ記念国際空港。その一角を占領するのは、空港全体の大型ジェット旅客機対応の一環として、公爵財団の発注により日本企業の手で新設された国際線ターミナル。自由種族連合の三巨頭の一角であるオージア連合王国、その国民であっても田舎者ならば腰を抜かす最大都市の中央駅、その重厚な建築に全く劣らぬ開放感あふれる巨大建築物に、二人の子供が入っていった。

 いや、そのうち背の低い方、雪のように真っ白な長髪に白い肌とやや尖った耳を持つ片割れは、子供のようにしか見えないような体躯であるというだけで、少なくとも年齢的にはれっきとした大人である。所謂小人族という存在に代表される、背の低い種族の血が混じっているのだろう。もう一人の背の高い方は、青みがかった灰白色の髪をミディアムにしたそばかすの少女で、こちらは概ね見た目通りの年齢である。

「はぁ…ここも天井がお城みたいに高い…」

 そばかすの少女の口から、そんな言葉がため息とともに零れ落ちる。

「それに広い…」

「はは、そうだね。ここはこれから行く皇国の技術で建てられたんだ。連合王国より50年は進んだ技術を持つ国だ。この建物だって、これだけ大きくて広くても、連合王国のほとんどの建物より地震に強い。向こうにはもっとすごい建物もいっぱいあるんだ」

「ひぇぇ…」

 白い小人はなんてことないかのように説明するが、そばかすの少女は口をぽかんとあけたままであった。

「ふふっ、サリー、口がだらしないことになってるよ」

 白い小人がそう言うとともに、サリーと呼ばれたそばかすの少女の顔の前へ、どこからともなく手鏡が現れる。

「…はっ!」

 サリーは意識を取り戻し…手鏡の持ち手に巻き付いている白い髪の束に気付く。

「もう、ナギ様!またくだらないことに魔法使って!」

「あっはっは、いやあんまりだらしない顔してて面白いから君にも見せなければと思ってねぇ」

 ナギと呼ばれた白い小人はニヤニヤしながら、公爵領の職人の手による美しい手鏡――小人の仕える公爵家の御用達、オージアの最高級品である――を、まるで髪がひとりでにうごいているかのようにさりげなく、無駄のない芸術的な(髪の)動きで、サリーの持つ日本製の男物のブランドの鞄に仕舞う。

「ううう…」

 頬を紅くし唸りながら、ナギを睨むサリー。

「このくらいでリンゴを丸呑みできそうなくらい口を開け放してちゃ、この先皇国へ着いたら顎が外れるんじゃないかい?」

「うううううう…」

「そんなに狼みたいに唸ってたら狼の耳が生えてきそうだね」

「もう!!」

 未だ転移前の日本の空港のような喧騒からは程遠い、発展途上の空港の広大な出発ロビー。二人は搭乗手続きを済ませるため、皇国空輸の受付へと歩いて行く。





「いただきまーす」

 そう言うと少女はバターを塗った米粉パンを齧る。

 つけっぱなしのテレビが、映像と音声を流す。

『OBSニュース特集です。昨年のオージアでの小麦の大凶作による食料不足の影響が世界へ波及する中、日本の技術や食文化が注目を集めています。日本においては転移以来食卓になくてはならなくなった米粉パンもその一つです。米粉100パーセントのパンにマーガリンやオリーブオイルを塗って食べるというのは、日本においては最早定番の朝食ですが、これが俄かに世界の注目を集めています…』

 日本人としては珍しい――というよりもまずお目にかかれない――白銀の髪の少女は、転移後に参入してきた海外局の一つの、若干画質の悪いニュース映像を見て、自分が今持っているとテーブルに置かれたバターに目を落とす。物流の飛躍的に進歩した現代においてもなお、地域格差というのは存外大きなものである。

 止まっていた咀嚼を再開し、半分ほどパンを食べたところでベーコンエッグが完全に胃袋へ消え、そろそろ味の変わらないパンに飽きてきた白髪の少女は、とっておいたじゃがいものポタージュにパンを浸す。

――うん、おいしい。

彼女の好きな食べ方だ。

『また、品種改良の進んだ芋類も、食料事情の改善の突破口となるかもしれません。…』

 相変わらず映像を垂れ流している液晶画面を他所にポタージュを飲み干し、彼女は朝食を平らげた。

「ごちそうさまでした」





「さぁ一休みだ」

 出国審査と手荷物検査を終え、出発ロビーよりもさらに静かで落ち着いた制限区域へと移動したナギとサリーは、手近なベンチへ腰を下ろした。大窓の向こうでは、人が造り上げた巨鳥が滑走路へと舞い降りたところだった。

「というわけでここはもう連合王国の「外」だ。は君の身分を連合王国として証明したものになる。それがなければ入るにせよ出るにせよ国境を越えることはできず、また国外において君の身分を証明するものはなく、君は不法滞在者と扱われる可能性がある。絶対に失くさないように。失くした場合は対処しなければならないことが多いから、すぐに私に言うこと。いいね?」

「はっ、はい!わかりました!」

 ナギがサリーに言い聞かせているのは旅券パスポートの扱いについてである。彼女は出自の関係上、こういうことについて疎かった。

「それにしても、ありがとうございます。私の身分証明書まで作っていただいて」

「必要だったから作ったまでさ。なきゃ国境越えられないんだから」

 サリーはもともとオージア国民ではなく、オージアが植民地にしたある国の出身であった。その国においても恵まれていたとは言えなかった彼女を引き取ったナギは、の政治力を働かせて彼女の戸籍を拵えたのである。

 唐突に、なにかのメロディが流れてくる。

『公国放送、朝のニュースです』

 制限区域内に置かれたカラーテレビが、この地を地元とするオージア三大放送局の一つのニュース番組を流していた。

『科学の最先端を行く国が、魔法の探求を始めます。昨日、日本政府は魔法省を正式に発足させました。首相の高半氏は「これは転移に伴う一連の政府機関再編の最終段階として行われるものである」とした上で、次のように…』

「…ナギ様。これって今回ナギ様が皇国へ向かわれる…」

「ああ、そうだよ。今回の仕事さ。皇国の進んだ科学の知見を、魔法の世界にも取り入れたいわけだ」

 そう言うとナギは立ち上がった。

「さて、それじゃあ軽く腹ごしらえをして、しっかり用を足して出発を待つとしよう」

「もう、下品ですよ」

「いやいや大事なことだぞ。乗ったら離陸して安定するまでお手洗いには行けないから、しっかり済ませておくんだよ」

「もう、わかってますよ」

「ここにも面白いものはいろいろあるけど、食い物なら大抵は向こうにつけばもっと安く買えるし、おなかを壊しそうな冷たい物や飲み物は摂り過ぎないようにね。君は初めて空を飛ぶことになるんだから、緊張するしちょっと怖く感じるかもしれないからね。間違ってもいい歳した乙女が粗相なんてしないように、出発前に必ずしっかり済ませておくんだ」

「はい、わかりました」

『♪~♪~♪~♪~…ご搭乗の最終案内を致します。皇国空輸1便…』

「ふむ、次か」

お馴染みのメロディーの後、連合王国共通語“オージア語”の案内が流れ、続けて日本語の案内が流れる。二人が乗るのは、この次に出発する便であった。

「よろしい、それじゃあ軽食を買いに行くとしよう。ここには公国式も王国式も皇国式もある。いろいろ買って、しばしの別れとなる我が祖国の味を惜しみ、まだ見ぬ異国の地の片鱗を味わい思いを馳せようじゃないか」

「いいですね!どんなものがあるんでしょうか?」

二人は荷物を持ち、売店へと向かう。

「ん?この黒いの何ですか?」

「ああ、それは『おにぎり』って言ってね、皇国の…」





 鏡の前に立ち、服装を確認。

 少し大きなセーラー服に着られている。防寒のために穿いたタイツが強調する脚は、まだまだ魅惑の美脚とは距離がある。

「よし!」

 それでも、白髪の少女は前髪で片目を隠しつつも、誇らしげだった。

 あとはいつもと変わらない。ふかふかのマフラーを首に巻き、お気に入りの手袋をして、使い古した6年の付き合いのランドセルを背負う。

 セーラー服に、ランドセル。

 ちぐはぐな組み合わせだが、今日という日をこれ以上なく象徴してもいた。

 玄関に向かう。おろしたての革靴を履いていると、母親が出てきた。

「あら、似合ってるじゃない」

「へへ、そぉお?」

「…大きくなったわね、怜奈」

 ちょっと前まであんなに小さかったのに、立派になって。そう続ける母に、少女は感謝を伝える。

「ありがとう、お母さん」

「どういたしまして。それじゃ、いってらっしゃい」

 ドアを開け外に飛び出し振り向く少女。そのあどけない笑顔が、旅立ちの日を飾る。

「いってきまーす!」





「いやぁ美味しかったですね、おにぎり!中に具が入ってて。今日食べなかったのもいつか食べたいです!」

「気に入ったみたいだね。あれなら皇国の売店なら大体どこでも売ってるから、向こうに着いたら買ってあげるよ」

「いいんですか!?…うん?…どこでも売ってるんですかあれ!?」

 搭乗ゲートに入り、タラップを通って飛行機のハッチをくぐり、客室へとたどり着く一連の流れに伴うあの得も言われぬ高揚感は、旅というものの持つ魔力だろうか。とまれ、売店で買ったおにぎりを食べて搭乗ゲート前の長椅子にほっぺたを落としてきた上であの言いようもない高揚感に中てられてかなり気分のタガが外れているサリーであったが、そのおにぎりが日本ならそこら中にある店コンビニでどこでも買えるということを知りさらに驚愕した。

 子供にしか見えない二人が、大人を伴わず飛行機へと乗り込む様を見た他の乗客たちは、ほぼ例外なくぎょっとした。しかし片割れの耳がやや尖っているのを見ると、この不思議生物も異国の地の存在なのだと思い至り、すぐに気にしなくなった。帰途にある彼ら日本人達も、それまでの滞在でいい加減異国の地に慣れてしまって訓練されていた。

「うう、緊張してきました…」

 二人は他の乗客とともに座席に着いて、人工の巨鳥が飛び立つ時を待っていた。既に巨鳥は全ての準備を終え、滑走路へと向かって移動している。

『皆様、離陸いたします。シートベルトをもう一度、お確かめください。小さなお子様をお連れのお客様は、お子様をしっかり、お抱きください。一人でお座りのお子様のベルトも、お確かめください』

「お、離陸するみたいだな」

「いよいよですね…!」

 やがてエンジン音が大きくなると機体はそろそろと前進し始める。すぐにエンジン音が急激に大きくなり、床が傾いているように感じるほどの慣性力Gとともに巨鳥も急激に加速してゆく。

「ひゃあ!すごい揺れですね…!それになんか椅子に押さえつけられてるみたいな…」

「そら、飛ぶぞ。窓の外見てごらん」

 そう言われて窓の外を見るサリーの目に、飛ぶように過ぎ去っていく景色が飛び込んでくる。

「わ、速い…!」

「時速300キロメートルってところだな。そろそろ…そらきた!」

 床が大きく傾く。急激に椅子と床に押さえつけられるような力がかかる。

「ひぃぃ!」

「ほら窓の外だサリー、見てごらん!」

「?…え…!?」

 地面がみるみる遠くなっていく。

 彼女は生まれて初めて、空へと舞い上がったのだ。

「飛ん…でる…?!」

「そうだよ。私達は今、空を飛んでるんだ」

「飛ん…でる…空を…飛んでる…!!」

 状況をようやく飲み込めたサリーの胸に、時速300㎞で滑走路上に置き去りにした歓喜が追いついてくる。

「すごい…!すごいです!!私たち今、空を飛んでるんですよね!?」

「ああ、そうだよ。私達は空を飛んでる」

「すごいです!すごいです!!まさか空を飛べる日が来るなんて!夢のようです!」

「ところがどっこい夢じゃないんだな。そら、オールズソベックの街だ」

 ナギが指さす窓の外を再び覗いたサリーの目に今度飛び込んで来たのは、ナギに拾われ連れてこられて以来全てが輝いて見えた、ソベック公爵領の領都。新たな日常となり、見慣れたその街並みはしかし、空から見下ろせば全く違うものだ。

「すごい…空から見ると、こういうふうに見えるんですね…」

 堂々たる公爵家の屋敷が、活気溢れる市場が、書類飛び交う商会が、行き交う船で賑わう港が…見慣れた景色、その全てが、小さく、眼下に。

「すごい…」

 雲に遮られ眼下の景色が見えなくなるまで、サリーは窓に張り付いていた。





雪月ゆきづき怜奈れな

「はい」

名前を呼ばれ、壇上へ進み出る。

舞台の真ん中まで来て正面を向く。

礼をして、三歩歩み出る。卒業証書へ左手右手、一歩下がって礼。

「卒業おめでとう」

それは、一つの区切り、一つの別れだった。





 鋼の翼が、大空を翔る。

 否、鋼というのは適切ではないだろう。最早時代は複合素材である。美しい曲線を描く炭素繊維複合素材の主翼が空に浮かべるのは、同じく炭素繊維複合素材製の内部を加湿できる胴体である。

 前世界唯一絶対の超大国であるところのアメリカが、日本や他の様々な国と共に生み出した、787型旅客機。その主翼は日本製であり、機体のおよそ半分を占めるとされる炭素繊維複合素材も日本製である。その日本製の翼は今、失われたGPSに代わり高高度飛行船や地上施設からの航法支援を受け、大海原の上空10000メートルを音の0.85倍の速度で北上していた。

「それにしてもすごいですね…!私たち、今空を飛んでるんですよね…!」

「ふふ、さっきからそればっかりだね」

「だって空飛んでるんですよ!空を!」

 答えになっていない、そう言いかけた言葉をナギは飲み込んだ。サリーの興奮に水を差すこともあるまい――なにしろ彼女は今、生まれて初めて空を飛んでいるのだから。そう思いながら、ナギは自分が初めて空を飛んだ時のことを思い出していた…












――――――――――――――――――――

あとがき


ルビを付けようか少し迷った。

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皇国維新 金剛ジャック @JackKongo

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