メロンソーダ・思い出・劣等感
『大好評、M飲料のメロンソーダ! この病みつきになる微炭酸、あなたも味わってはいかが?』
このコマーシャルを見る度に、私の中の劣等感が疼く。
スーパーに入れば所狭しにM飲料のメロンソーダが置かれているし、家電量販店に入ればこのコマーシャルがテレビ売り場で流れていて、コンビニに入ればM飲料のメロンソーダに関する店内放送が聞こえてくる。
昨年、M飲料が発売したメロンソーダは大ヒット商品となり、今や街でそれを見かけない日はない。我がN飲料としのぎを削っていたM飲料だが、それはもう過去の話だ。このメロンソーダを発売してからというもの、飲料メーカー界隈ではM飲料がダントツの業績である。
N飲料も決して売り上げが落ちている訳ではないのだが、このメロンソーダを率いているM飲料にはとても敵わず、二位の座に甘んじている。
「くそっ」
私は思わず、家電量販店の中に陳列されたテレビを小突いてしまう。
M飲料の社長とは小学校からの腐れ縁で、何の因果か今でも同じ業界の社長同士だ。
考えてみれば、私のこれまでは常に奴の下にいた思い出で埋め尽くされている。
小学生の時、私たちは同じ女の子を好きになったが、彼女のバレンタインチョコを受け取れたのは、あいつだった。中学生の時、同じ陸上部に所属していたが、私が短距離走で二位となった際、あいつは一位だった。高校生の時、文化祭で劇を披露することになったが、ロミオ役を勝ち取ったのはあいつだった。大学生の時、共に第一希望だったM飲料の内定を貰えたのは、あいつだった。
そして今も、私のN飲料はあいつのM飲料の下にいる。
私の思い出とはつまり、あいつに敗北している思い出なのだ。
「くそっ」
数十年もの間、溜めに溜め続けた劣等感が、ここにきて爆発しようとしている。あのメロンソーダさえなければ、あいつさえいなければ。私は、N飲料は、初めて一位の座を獲得できるというのに。
「売り物ですわよ。そう乱暴に扱ってはいけません」
テレビを何回も小突き、年甲斐もなく地団太を踏んでいると、ふと後ろから声がした。店員に咎められると思い慌てて後ろを振り向いたが、そこには予想外の人物がいた。
「あ、あなたは」
「うふふ。私の映っているテレビですもの、乱暴にされては心が痛みますわ」
テレビの中、コマーシャル映像の中でメロンソーダを飲み干している女優と、全く同じ顔がそこにはあった。私たちと同年代の、ベテラン女優だ。五十路も過ぎているというのに、その妖艶さからヤング・シニアを問わず絶大な人気を誇っている。
刺激的な炭酸飲料なぞとても飲みそうにない古風な女優だが、そんな彼女が随分と美味そうにメロンソーダを飲むコマーシャルは、確かに購買意欲をそそる。M飲料のメロンソーダ人気に火が付くきっかけとなったのも、彼女が出演するコマーシャルからだ。
「すみません。少し苛立っていたもので」
「お気持ちは痛いほどわかりますわ。ライバル社の商品がこんなにも売れているんですものね、N飲料の社長さん」
女優が微笑みながら私のことをそう呼ぶので、思わずぴくりと体が跳ねてしまった。彼女は、私がN飲料の社長であることを知っている。M飲料の社長と繋がっているのだろうか。そんなことを勘ぐってしまう。
「ご察しの通りです。私はM飲料の社長によくしていただいていまして、あなたのことも存しております」
「なんだと。あいつの差し金か。ふん、ならば聞く耳持たぬ。失敬」
「お待ちください。社長さん、M飲料を――あの社長に一泡吹かせたいと、思いませんか?」
踵を返そうとしたところを、女優が呼び止める。
無視を決め込もうとしたのだが、彼女が口にした言葉に私は思わず足を止めて振り返ってしまった。
この女は、あいつの差し金ではないのか。
あいつに一泡吹かせるとは、どういうことだ。
「あのメロンソーダ、ここまで売れるだなんておかしいとは思いませんか? たかだか、少し美味しい程度の炭酸飲料です。それが社会的ブームになるだなんて、違和感を感じませんか?」
色々な疑念が渦巻いていた中、私が何を言うまでもなく女は語り始めた。M飲料のメロンソーダがここまで売れるのはおかしいと、ここまでのムーブメントになるのは疑問だと、その商品をPRしていた女が語っている。
私もそれを思わない訳ではなかった。
だが、ムーブメントとは単純なものだ。キャッチ―なコマーシャルと少しの印象操作さえあれば、流行だなんてあっさりとできあがる。M飲料のメロンソーダは、それらが上手くいったのだろうと納得していた。
「私はM飲料と何度も打ち合わせをする中で、秘密を知りました。あのメロンソーダには、中毒性のある薬物が含まれています。それで皆、あのメロンソーダの虜となっているのです。私はこの不正を何とかして公表したい。それには、ライバル社であるN飲料のお力が必要なのです」
だが、そうではないのだと、彼女は言う。
M飲料は人道に背く行為でもって、かのメロンソーダを流行らせていたのだと。飲料に中毒性のある薬物を忍ばせているのだと。これが事実であれば、とんでもないことだ。
「確かだろうな、その話」
「ええ。だけど、証拠を掴まなくてはなりません。N飲料さんには、それをお手伝いしていただきたいのです」
奴らの不正を告発することはもちろんだが、私の頭の中には奴を叩き落とすことしかなかった。この事実を突き止めれば、M飲料もあいつもお終いだ。そうなれば、私のこれまでの負け犬人生を取り戻すことができる。
「具体的には」
「M飲料に、スパイを送り込んでほしいのです。飲料に詳しい、製品開発の人間を数人ほど。今流行のメロンソーダの開発に携わりたくN飲料から転職したくうんぬん、などと言わせれば、すんなりと潜りこませられるでしょう」
なるほど、確かにその作戦であれば、同業他社である我々が適任と言えよう。頼れそうな人間も、何人か思い当たる。
「その話、乗った」
これで、あいつを地に落とすことができる。
あいつの影にいる人生とはおさらばできるのだ。劣等感に苛まされる二番手人生から、抜け出す活路をようやく見つけることができた。
彼女には感謝しなければならない。
我々は硬く握手をするやいなや、すぐさま別れた。
私はすぐに会社へと戻り、信頼のおける製品開発部の人間を数人呼び寄せる。事情を説明すると、『同業者として許せない』と憤る声や、『これでM飲料を叩き潰せる』と息巻く声が上がり、全員私の作戦に賛同してくれた。
その数日後、彼らはM飲料へと足を運び、その内のひとりがメロンソーダの開発部へ配属されることとなった。私は彼と密に連絡を取り合い、奴らの悪行を白日の下に晒そうと奮闘した。
見ているがいい。
私の劣等感が、執念が、おまえを喰らうのだ。
あいつを初めて見下ろすことを想像すると、思わず笑みがこぼれてしまう。それを実現するためにも、私は寝る間も惜しんでM飲料の情報収集に勤しんだ。
そして、数ヶ月の時が流れた。
『続いてのニュースです。N飲料がM飲料に対し、スパイを送り込んでいた件についてです。この問題に対してN飲料の社長は記者会見で、M飲料はメロンソーダに薬物を混入させていると口にし、大きな話題を呼んでいます。第三者委員会がM飲料を調査したところ、そのような薬物を使用している痕跡は見当たらず――』
テレビでは、メロンソーダのコマーシャルではなく、私を責める報道が連日行われている。我々がM飲料に刺客を送っていたことが明るみになり、私は仕方なく奴らの悪行を告発したのだ。
しかし、いくら調査を重ねても薬物は見つからず、私はM飲料の名誉を大きく傷つけたと袋叩きにあっているのだ。
なぜだ、どうして。
家の外に押し寄せる報道陣の声を聞きながら、私は大いに困惑していた。
『この問題に対して、M飲料の社長が報道陣の前で心境を明かしてくれました。その際の映像をご覧ください』
報道番組のキャスターがそう言うと、映像が切り替わり、M飲料の本社ビル前が映し出された。そこには、私が最も憎む奴の姿と――
「どうして、彼女が」
M飲料の悪行を許せないと語っていた、女優の姿があった。
ますます困惑する私をよそに、憎きM飲料の社長は報道陣の前で堂々と語り始めた。
『N飲料のスパイ行為ならびに発言についてですが、誠に遺憾であります。薬物の使用など、事実無根ですし、恐らく逆恨みでしょう。彼女の意向もあって皆さまには隠しておりましたが、メロンソーダのコマーシャルに起用していたこの女優、実は私の妻であります。何故このタイミングで公表したかと申しますと、実は彼女、数ヶ月前にN飲料の社長に言い寄られていたのです。勿論彼女は断ったそうですが、そこで我々が夫婦の間柄であると知ったのです。その逆恨みからの行為でしょう』
そこで私は、初めて気づく。
まんまとしてやられたのだ。あの女優と、あの男に。
私の心に絶望だけが広がっていく。
だがしかし、テレビに映るあいつの次の言葉で、また違った感情が湧き上がることとなった。
『社長さん。その女優との馴れ初めは?』
『いやあ。実は、我々は小学生時代の同級生でして。彼女が私にバレンタインチョコをくれたことが、すべてのきっかけなのですよ。メロンソーダの炭酸よりも、刺激的な味でしたなあれは。いやあお恥ずかしい』
メロンソーダの炭酸のように沸々と込み上げてくるこの感情は――
紛れもなく、劣等感だ。
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