第4話 祝宴と、新電源と新通貨

 国会に相当する平和戦線の第一回総会を午前中に開催し、午後に凱旋行進を行うと、短くなってきた日はたちまち地平線の下へ沈んだ。代わりに星々がまたたき出す宵、スコーピオン社仮本社の大会議室に、ひな壇にいた首脳陣が正装のまま集まって、結党記念の祝宴が幕を開けた。

 会議室の一角には、昼に引き続き、装甲軍軍楽隊の選抜メンバーがプリーツ入りの肩マントを揺らして立ち、セレナーデ『グラン・パルティータ』を奏でて祝宴に華を添えている。指揮官たるエリス・フォン・カレンベルク軍楽隊中佐も、今はホルンを構え管楽アンサンブルの輪の中にあった。

 モーツァルトのセレナーデが生で吹奏される、さながら市民革命前の王侯貴族の舞踏会のような様相の室内は、照明まで近世よろしく蝋燭が使われていた。

「蝋燭に照らされる宴とは、シェーンブルンかヴェルサイユかと錯覚してしまいそうです。さながら懐古趣味の道楽のようにも思えますね」

 参謀総長がシャンパンを片手に近寄って来て、元部下だった元帥を見上げる。銀縁の眼鏡のフレームが柔らかな灯りをきれいに反射して輝き、静かな青い瞳が楕円のレンズの奥で花咲く。フレッドは細長いグラスを左手に、はっはっはっと鷹揚に笑いつつ、髪をかき上げた。

「そんな道楽の余裕があれば良かったんだが、平和戦線域内はまだまだ電力不足だからな。今はなけなしの石炭をかき集めて、辛うじて復旧できた火力発電所を動かしてるが、それだけでは現在の需要を満たせていない……。そんな中で、まずダッハウブルク工廠など重工の工場や、他にインフラ施設へ優先的に送電し、次に市民に分配し、三番目にスコーピオン・グループの無数の事務室へ流すと、この大会議室に送れる電気は残っていないんだ。何なら、市民への分配の途中で底をついている。市民に苦労を強いている中、大事な会とは言え、外から見ればただの宴会に電力を割くのはいささか問題だろう」

 そうですね、と参謀総長がうなずく。

「発電事業は、スコーピオン資源エネルギー研究所が担っているのでしたか」

「そうだ。そちらで電力需要に見合った発電量を確保できるよう新電源の開発を行っている。もちろん石炭火力発電所の増設という手もあるが、すでに平和戦線域内の発電量の90%以上を石炭に依存している状況だ。これ以上石炭ばかりを増やすのはエネルギー安全保障上の弱点になり得る。だからこそ、新電源の開発による発電量増加が必要なんだ。中でも原子力発電所・・・・・・への期待は大きい。燃料も国内のウラン鉱を開発することで十分な量が確保できる見込みで、早速採掘が始まった。ドナウ川沿いに複数の原発を建設し、それぞれ数年内の稼働を目指してるから、その頃になれば、平和戦線域内の電力不足は解消される見通しだ」

 しかし、エリーゼは微妙に聞きなれない言葉に、眉をひそめた。

「げ、原子力……発電所、ですか? 合衆国が大和に落とした爆弾のことですか?」

「原子爆弾とは違う。原理は共通しているが、爆弾を作るわけではない。電気を作るんだ」

「原子力なるものは、都市一つを消し飛ばすほどのエネルギーだと思われます。制御しきれなかった場合の危険が大きいのでは?」

「火力発電所だって危険はある。しかし、その危険よりも発電の恩恵が大きい。原子力発電所は、さらに大きな恩恵をもたらす。単純に一機当たりの発電量が多いだけでなく、新たな雇用を創出している。早急な復興と、戦果の拡大を目指すためには、国内で燃料を調達できる上、圧倒的な発電量と巨大な経済効果をもたらす夢の新電源が、ほぼ唯一の現実的な回答だと確信している。それに、原子力の制御技術自体は、プロイスの方が合衆国より進んでいる」

 参謀総長の目が、眼鏡の奥で丸くなる。

「それは初耳です」

「私も最近知った。どうも合衆国がヒロシマやナガサキに落としたような爆弾も、国防軍は開発してたらしい」

「では、なぜ使用しなかったのです? 勝つためなら人道など無視するのが、ファシスト政権だったでしょうに」

「単純な話だ。敵の頭上に落としたくとも、そこまで持っていく爆撃機を飛ばせなかったんだ。原子爆弾が出来た頃には、プロイスの制空権は敵の手にあったからな。おかげで平和利用に活かせる技術だけが残ったんだ」

 なるほど、そうでしたか、と参謀総長は首肯し、右手で眼鏡の縁をそっと摘まんだ。

 フレッドはうなずき返してから、立食パーティーの会場内を見渡す。装甲軍軍楽隊のセレナーデと、地元飲食店提供の美酒美食にのって、ひな壇にいた面々の談笑に華が咲いている。

 平和戦線の大臣――執行部長数名で丸テーブルを囲んでいるところもあるが、他の執行部長はスコーピオン建設社長やスコーピオン澱粉社長と同じテーブルを囲んで言葉を交わし、総会議長はスコーピオン・リースの社長や、スコーピオン・ロジスティック・ウントゥ・テレコミュニカツィオーン社社長と酒を酌み交わしている。副議長はスコーピオン鉄道の社長とともに、スコーピオン資源エネルギー研究所所長の話に興味深く聴き入っている様子で、執行委員長はスコーピオン銀行頭取と、スコーピオン・ターラー印刷造幣所所長と、何やら真剣な表情で意見を交わしているようだ。スコーピオン重工社長は、一人軍楽隊の近くで息子の活躍を温かい目で見守っていた。

 技術顧問や、憲兵総監、祝宴より参加するはずの空軍大将の姿が見えないと思って、今一度室内を見回すと、隅の方で三人固まりタバコをふかしていた。もっとも、大公が吸っているのは正しくは葉巻なのだが、嫌煙家たるフレッドには、気にすべき違いではない。そして、こんな雑然と立つ集団の中を、平和戦線大代表にして祝宴の主催者たるニメール・エローが、背の高い机の間を、挨拶のためちょこまかと走り回っていた。

 二つ結びとディアンドルの裾を揺らして走る少女を遠巻きに眺めていると、ふと参謀総長の声がかかる。

「この機会に、お節介を承知で少しうかがいたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 フレッドは少女から目を離し、そばに立つ元上司を見下ろす。

「どうぞ?」

「ライヒス・ターラーに代わる新通貨政策についてです。印刷鋳造はスコーピオン・ターラー印刷造幣所が担っていますが、発行するのはスコーピオン社ですよね?」

 グループ社長は無言で首肯する。

「今のやり方では、不安がありませんか?」

 眼鏡の奥で利発な碧眼が鋭く輝いた。フレッドは、言われることを察し、喉を鳴らす。

「第三帝国の通貨ライヒス・ターラーが、敗戦とともにただの紙切れとなったために、新しい通貨が必要であることは確かです。解放戦争を推し進めるためにも、後押しとなる強力な経済の復活が求められますし、そのためには紙屑でない通貨が必須なのは間違いありません。ですが、それで発行したスコーピオン・ターラーの価値の定め方が、ライヒス・ターラーの十倍というだけであるのは、いささかお粗末に思えます」

 フレッドは遮らず、黙って耳を傾けた。シャンパンの気泡ただよう祝宴の真ん中で、二人があまりに真剣な表情をしているためか、周囲から若干好奇の視線を向けられる。だが、両者とも一切気に留めない。

「何より心配なのは、そのような根拠の弱い曖昧な価値の決め方で発行されている通貨が、自社で幾らでも作れるという点です。過剰に発行して、市場の通貨需要量を超過してしまう危険があります。少なくとも外部からはそう思われても仕方がないでしょう。スコーピオン・ターラーは、価値基準、発行規律の両面で、非常に信頼性に欠けると言わざるを得ません。容易にあの悪夢のようなハイパーインフレを招き得るものです。平和戦線の実効支配領域内および関連する領域外の経済――最近あなたが言うところのスコーピオン経済圏でしょうか――解放戦争を進めるにあたって欠かせないこの経済圏を強靭にするどころか、かえって弱めてしまう危険性を孕んでいるように思えてならないのです。その辺り、元銀行員として、対策などどう考えていますか?」

 さすがは生まれながらの大銀行家である。金融人として当然の指摘をされ、フレッドは頭を掻いた。

「いやあ、指摘はごもっともだ。本来ならスコーピオン・ターラーの価値を、きちんと金本位制で固定できればいいんだが、発電用の燃料も復興用の建材も不足している状況で、黄金の保有量など十分なはずがない。正直、対策と言えるものはないが、当面は状況が味方してくれると思っている」

 元上司の目が、楕円のレンズの奥で訝し気に細められる。フレッドは一旦グラスを口につけ、喉を潤してから語り出す。

「今のプロイス経済は、完全に干上がっている。戦争の熱射にやられ、戦後は占領軍にカスまで絞られた。言わば、足元のプロイス経済は砂漠だ。いくら水を飲んでも飲み足りないほど、干上がっている。そこへ、私がスコーピオン・ターラーを一見無秩序なほど振りまいても、干天の慈雨としかならない。スタートがあまりに乾燥しきっているから、洪水が起こらないのだ。そんな干上がったプロイスの大地に、私はオアシスができるまで雨を降らし続ける。この大雨は、現状、プロイス経済が復活し、加速していくために必要なものだ。当面は満足という言葉のない旺盛な通貨需要に支えられ、スコーピオン・ターラーは、ばら撒きに近い発行をしていても、高く評価され、価値は保たれるだろう」

「さながら空から現金をばら撒くようですね」

「大げさに言えば、そうなるな。それがプロイス経済を廃墟から復活させる手立てでもある。この祝宴でも、料理や酒を提供してくださった地元の飲食店や蝋燭屋に代金を支払うことで、彼らに収益を生み出している。そして、彼らに払われたスコーピオン・ターラーが、今後それぞれのビジネス継続・発展の原資となるのだ。これは小さな例だが、マクロではスコーピオン・グループの従業員への給与支払いや、巨額の設備投資などを通じて、個人消費の拡大や設備関係業界の活発化を促進させ、市場全体を活性化し、スコーピオン経済圏全体の底上げを実現していく。それに一応、本当に無秩序な発行に陥らないよう、スコーピオン・ターラーの新規発行は、ライヒス・ターラーとの交換か、スコーピオン・グループの本業にかかる費用としてか、の二つの場合に内規で限っている」

 女史はなるほどと首肯し、眼鏡のレンズをつまんで掛け直す。

「内需はそれでも良いでしょう。しかし、プロイス国外との取引における通貨の信用は、今の説明だけでは不十分に思えます。その辺りはどうなのですか?」

「それはやはり、金で固定するしかないだろう。国内は管理通貨制、国外は金本位制というダブルスタンダードになってしまうが、これが現実的な折り合いだと思っている。スコーピオン・ターラーはスコーピオン社が一元的に発行するから、国内外それぞれの流通量は完全に手元で管理できる」

 しばしエリーゼは考え込んでから、口を開いた。

「実際の運営は容易ではないと思いますが、少なくとも学術的には不自然ではないですね。管理通貨制度は国内均衡優先で、金本位制は対外均衡優先とされていますから、それに合致しています。……もしかして、それで、あのような作戦・・・・・・・を?」

 フレッドが唇の片端をねじ上げて笑う。

「ご名答。さすがだな」

 しかし、参謀総長の眉間には、あからさまに皺が寄った。

「あの作戦にも色々思うところはありますが……参謀総長たる私が異を唱えるべきではないでしょう。言わば必要悪だと認識しています」

「悪事じゃないさ。慈善事業だ」

 表向きは、ですよね、と囁かれると、フレッドは困ったように笑って頭を掻いた。参謀総長は少し言い過ぎたとはっとし、一言謝罪すると立ち去っていく。

 元帥が周囲を見やると、視線を投げかけていたギャラリーたちが慌てて目を逸らす。フレッドは一口シャンパンを含むと、テーブルに並ぶ食事に目をやる。が、食欲に従っていた視線は、近づいてくる純白の女性憲兵へと吸い寄せられた。

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