八章 もろともに あはれと思へ山桜 2—2


 そこで、また情景が変わった。


 光り輝くばかりに美しい少年の王子に、ひとめで心をうばわれて、追いかけた。王城の廊下。中庭に続く回廊のあずまやだ。


 たった一年で大きくなった少年だというが、まだ幼さの残るおもだちだ。金色の巻き毛を肩にも背中にもこぼし、光に包まれているように見える。


 金色の髪の人間は見たことがないわけではなかったが、これほどに美しく、心さわがせられる者は初めてだ。


「第九王子。逃げることはあるまい。そなたの兄だ。あいさつはさせてもらえないのか?」


 人間で言うなら、十三、四。折れそうなほど、きゃしゃな王子は、すでに水色の瞳に涙をうかべていた。


「私は第一王子、プロメテウス。これから、そなたとは同じ王子として、たびたび顔をあわせることになろう。見知りおいてくれ」

「…………」


「どうした? なぜ、何も言わぬ?」

「…………」


 言葉のかわりに、ぽろぽろと涙がこぼれる。


「私がそなたをいじめるとでも思ったのか?」

「…………」


 食べてしまいたいくらい愛らしい少年。白い頰をぬらす涙を指ですくっていると、回廊の奥から父がやってきた。


「プロメテウス。私の息子に何をするつもりだ?」


 私もあなたの息子ですよ、と言ってもムダなことは、とっくに理解していた。プロメテウスはだまって父を見返した。


 父は少年の手をとり、王と、王のゆるした者だけが入ることのできる玉座塔へ歩いていった。


 少年は父にしがみつき、ベタベタに甘えている。


 かわいそうに。何も知らないのか。

 父に愛されるということは、父の残忍な性癖のイケニエになるということなのに。


 反面、心のどこかで、一瞬、言い知れぬ感情がわきおこり、プロメテウスをおどろかせた。憎悪にも近いような胸のざわめきは、羨望だったのではないだろうか?


(うらやんでいるのか? 父に愛される、あの哀れな少年を?)


 パン、と鼻さきで手をたたかれたように、場面が変わる。


 王城の前庭で御前試合がひらかれていた。

 酒宴の席で、下級の者たちがくりひろげる、血みどろの殺しあいではない。王子や名のある戦士による、れっきとした武術大会だ。


 プロメテウスの三千回めの誕生祝いに催された。

 誕生祝いと言っても、世継ぎとなるであろう第一王子の腕試しである。ここでほかの王子に負けるようなら、王になる資格はないと見なされる。


 ひとくちに第一王子と言っても、闇の国では必ずしも世継ぎになれるわけではない。より強い者が王になるのが習いだ。


 当時はまだ白鳥の第六王子、ポリュクスまでしか生まれていなかった。


 プロメテウスは順当に勝ち進み、最後にあたったのは、おおかたの予想どおり、第二王子、アキレウスだった。


 半人半馬の第二王子は、プロメテウスより五百さいほど年下だが、成長の早い獣人らしく、筋肉隆々たる青年になっていた。すでに魔力も最大に達していた。


 生まれつきに内包する魔力はプロメテウスのほうが高いが、竜人は概して成長が遅い。三千さいのころのプロメテウスは、人間で言うなら十六、七の少年にすぎなかった。魔力も伸びきっていない。


 試合は苦戦した。

 魔法だけなら、さほどではない。が、なにしろ、下半身が馬、上半身が人という馬人の男が、長ヤリをふりまわしながら追いかけまわしてくるのだ。何度も傷つけられ、地に倒れた。


 アキレウスのほうは、王太子候補として、もっとも有力な第一王子を、ここで殺しておきたいぐらいの気持ちでいる。容赦はない。


 それでも、どうにか勝つことができた。

 さんざんヤリでなぶられ、もう動けなくなったふりをして——まあ、だまし討ちにしたのだ。


 見物に集まった馬人族や竜人族たちは、プロメテウスのやりくちを非難した。

 単純な馬人族は自分たちの王子が負けたのが悔しいのであり、竜人たちは、堂々たる勝利、それがムリなら潔い敗北を快しとする流儀に反する、プロメテウスのやりかたを恥じたのだ。


 父はプロメテウスの戦法については、何も言わなかった。ずるがしこい蛇神族の父には、勝ちさえすれば方法など、どうでもよいのだ。

 それがわかっていたから、せめて父の期待にそうように、絶対に負けない覚悟でのぞんだ。だが、試合を見て、父は、こう言っただけだ。


「まあ、とうぜんの結果であろう」


 父の王座のとなりは空席だった。

 そこにいるはずの母は、とっくに会場を去り、姿を消していた。息子の勝利に、ひとことのねぎらいもなく。


「——エンデュミオン! どこにいるのだ。なぜ、逃げる?」


 座敷の奥に、少女の姿のエンデュミオンを見つけた。


「そなたならば、この私でも愛せるはずだ。あの父上を愛してやまぬ、そなたなのだからな」

「兄上のことも好きですよ。父上にそっくりだから」


「私の本当の姿を愛してくれるのか?」

「ええ。でも、父上の次に」


「父上はそなたを残酷にあつかうだろう?」

「ええ。でも、そこが好き」


 エンデュミオンはヒナのときから父に育てられ、手乗りにされた鳥のようなものだ。羽を切られ、クサリにつながれ、自由をうばわれているのに、そのことに気づいていない。

 狡猾こうかつで執念深い父が、あらゆる手段をもちいて、そのように教育したのだ。


「そなたは、それで満足なのか?」

「ええ。だって、父上は私を愛してくださってる」


 そういうときのエンデュミオンは、とても幸福そうだ。

 どう逆立ちしたって、その心情を理解することはできない。愛して愛された記憶が、プロメテウスにはないからだ。


(あんな父にでも、愛されれば、幸せか)


 父に関しては、いい思い出がない。

 ふだんの父は、プロメテウスに対して無関心だ。特別な儀式のとき以外は顔をあわせることもない。

 父はプロメテウスのことを、とくに可も不可もないと思っているのだろう。それ以上でも以下でもない。


 だが、一つだけ、プロメテウスの心に強く刻まれている記憶がある。父を語るとき、これ以外の思い出は思いつかないほど、強烈なものだ。


 ようやく、プロメテウスが人型をとれるようになったころだから、年にして千さいかそこら。人間の子どもなら四、五さいだ。


 あのころは、まだプロメテウスは母と王城で暮らしていた。


 プロメテウスが人型をとる前、母は冷たかった。竜は母乳で育つわけではないので、ほっといても子どもは育つ。母はプロメテウスを見るのも嫌って、ほったらかしにしていた。


 それが、人型に化身するようになったとたん、上機嫌になった。


「ほう。その姿ならば、なかなか愛らしいではないか。よいか? プロメテウスよ。そなた、母の前では、今後、どのようなことがあっても、その姿でいるのだぞ」と、約束させた。


 母はもともと女の子が欲しかったらしく、来る日もプロメテウスに少女の服を着せ、髪をくしけずってはリボンで結んだ。


 嬉しかった。

 母に喜んでもらえるなら、どんなことでもしようと思った。


 卵からかえって、すぐに王子と認められ、でも、そのあとずっと、誰からもかえりみられることなく、一人だった。


 ついたてで仕切って、プロメテウスのいる揺りかごが見えないようにして、侍女たちと笑いあっている母に、いつも、かまってもらいたかった。

 声をかけて、抱きあげてもらいたかった。


 ようやく、その願いが叶ったのだ。


 毎日、母のひざに抱かれ、ほおずりされ、幸せだった。

 まもなく、その幸福な時は終わったのだけれど。

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