四章 思ひわび さてもいのちはあるものを
四章 思ひわび さてもいのちはあるものを 1—1
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京の都の夜空を妖しくオレンジ色にそめる町。
地獄そのものだとか、人知れずさらわれた者たちの処刑場だとか、この世とは思えないようなところだとウワサされるその場所に、今まさに春は立っていた。
馬車から出た春は、そのとたんに目をみはった。
この世のものとも思われぬ場所——
たしかに、それは、そのとおりだ。
でも、地獄のような場所であるかと言われれば、必ずしも、そうとは言えない。
針の山や血の池や亡者を煮る大鍋などはありはしない。地獄と人が聞いて想像するような恐ろしいものや、陰惨なものは、どこにもなかった。
ただ、ある意味、それ以上に度肝をぬかれる光景だ。
春の目の前にあるのは、町家を十軒もつみかさねたくらい背の高い巨大な建物だ。よこ幅にいたっては、さらに広大で、どのくらい広いのか見当もつかない。
何よりも、その壁はビードロでできていた。
中央に白いキョートタワー。そのまわりに、いくつも、ビードロのお椀をふせたような建物や塔がある。
それらがビードロの管でつながり、よく見ると、なかを人間が歩いている。
お椀の壁はビードロでてきているのに、なかを見ることができない。表面が七色に輝いて、星くずのようだ。
これは地獄というより、天人の都に迷いこんでしまったのではないだろうか? そんな錯覚をおぼえる。
その美しさと、おおいかぶさってくるような巨大さに、春は圧倒された。
「……きれいやなぁ。ビードロのお城や」
艶珠さまは見なれているのか、早口で説明する。
「そうか? 私は古代ローマやベルサイユ宮殿みたいな、ムダに豪奢なのが好みだが。これじゃ近未来SFだよね。そっちの建物がステーション。その奥にエアポート。むこうに見えるのが発電所だ。これを造ったのは人間だ」
「へえ? これが? どない凄腕の
「まあ、信じられないのもムリないか。十九世紀の段階でも、鎖国していた日本は諸外国に比べて、科学の分野で大幅に遅れていたからな。ましてや、それから二百年ぶん、科学は進歩している。日本の外は宇宙ステーションの時代だ。火星への移住計画も着々と進んでいる。まったく、人間っていうのは見てて飽きないな。私が初めて遊びに来たころは、まだ蒸気機関車が走りだしたばかりだったのに」
春には話の内容は、ちんぷんかんぷんだ。
ただ、二百年前の世界を見てきたという艶珠さまは、いったい何さいだろう。見たところ春と同じくらいのようだが。出門さまは年のとりかたも人間と違うらしい。
「むろん、人間と同じわけないだろう。私は今年で六百と一さいだ。まだ、うんと若いのだぞ。兄上にくらべても、一万さい以上、若い。人間で言えば、十八くらいかな?」
「一万……」
気が遠くなるような年月だ。
「我々の寿命は長いのだ。とは言え、消えるときは、あっけないが」
艶珠さまのよこ顔に、一瞬、暗いかげりが浮かんだ。
だが、そのとき、ビードロの建物のなかから、男が一人、出てきた。
その顔に春は見おぼえがあった。以前、祇園で出門さまを見かけたときに、人力車に乗っていた南蛮さんだ。
「エンデュミオンさま。お待ちしておりました」と、男は言った。
「久しいな。オデュッセウス」
艶珠さまは、春のことなんてほっぽって、男の首に両手をまきつける。
(あれが、艶珠さまの、ええ人なんやな)
ちゅぱちゅぱ音をたてて、ついたり離れたりしている二人を見て、てっきり、そうだと春は思った。が、やっと離れたと思うと、開口一番、艶珠さまの口からは別の名前がとびだしてきた。
「テセウスは? 私の忠実な一角は?」
「テセウスならば、ただいま江戸へおもむいております」
「江戸か。じゃあ、あとで行ってみよう。まったく、私の城の兵士長まで、かつぎだされたんじゃ、やってられない。相手にことかくじゃないか」
男は苦笑いしている。
だが、艶珠さまは、むとんちゃくだ。
「で、兄上は?」
「プロメテウスさまならば、地下に……」
男の目つきに気づいて、艶珠さまは笑った。
「そんな目で見なくても、おまえのことも忘れちゃいないさ。あとで、可愛がっておくれ」
春は困惑した。
艶珠さまには、いったい何人の恋人がいるのだろう。
出門さまのあいだにも男女の情があるのはわかったが、どうも理解に苦しむ。
それとも、出門さまのあいだでは、こういうのが普通なのだろうか?
春が悩んでいるうちに、艶珠さまと男は、ビードロのお椀のなかへ入っていった。あわてて春も追いかける。
出入口の扉が、誰の手も借りずに、ひとりでにひらいた。
どんな術を使ったのだろうか?
こんなところで一人にされたら、どうしていいかわからない。
ますます、春は不安になった。
お椀のなかは外から見るより複雑だった。
一階は仕切りのない広場で、中央の塔が柱のようにそびえる。柱にそって、上の階から、ときどき人間が飛びおりてくる。妙にフワフワして、ぜんぜん痛くないらしい。
上のほうを見あげると、ビードロの管やビードロの部屋がたくさん並び、そのなかの人たちが空中に浮かんで見える。
一階にも、たくさんの人がいた。
どの人も、艶珠さまを見ると、ぺこりと頭をさげていく。いかに艶珠さまがえらい人なのか、うかがえる。
それにしても、出門町のなかに、こんなに大勢の人間が住んでいるとは思わなかった。
みんな、
どうも、これは出門さまではない。
なかには紅毛人もいるが、これも出門さまではない。
艶珠さまや先生のように異様に美しいわけでもないし、鬼のような出門さまとも違う。
ときおり見かける出門さまは、最初に春が見た、黒いハガネの肌をした出門さまだ。
「あのぉ……」
楽しげに談笑しながら前を歩いている艶珠さまたちに、恐る恐る声をかける。
二人は同時にふりかえった。
それとともに、二人の姿が急速に遠のいたので、春は悲鳴をあげた。
「置いていかんといてください!」
「早く乗れ!」
艶珠さまが自分の足元を指さす。
見ると、春の目の前のところから、ろうかの色が変わっている。
思いきって足をのせると、体が勝手に動いた。いや、ろうかが動いている。心構えのなかった春は、みごとに前のめりにころげた。
周囲の人たちから、くすくすと失笑が起こる。
恥ずかしさに顔から火が出そうだ。
しかし、倒れたままでも床は動き続けた。
春はベソをかきながら立ちあがり、艶珠さまたちのあとを追いかけた。
艶珠さまが侮蔑的な口調で言う。
「そうだよな。お江戸の町に、オートウォークなんてあるわけないもんな。ついでに言っとくと、動く階段も、動く板も、空飛ぶ円盤もあるからな。せいぜい気をつけろ」
「……すんまへん」
「それで、なんだ? 言いかけていたろう。気になるから言え」
高圧的だが、これはもしかしたら、艶珠さまなりに春を気づかってくれたのかもしれない。
「ここにいはるんは、人みたいどすな。みんな、出門さまやないみたい」
「そんなことか。ここは研究所だからな。建物内にいる九割は人間だ。そのうちの半数以上が、我々の作りだしたデザイナーズチャイルドだ」
「あっ! 糸屋の旦那さん夫婦」
「ああ。禁門の外にも、デザイナーズチャイルドをまぎれこませている。遺伝子操作を受けた人間は優秀だからな。なんでも器用にこなす。
ちなみに、むこうのメタルボディの出門はアンドロイドだ。人工知能で動くカラクリ人形さ。純粋な出門は少数なんだ。
だが、少ないからと言って、あなどるな。京の都くらいなら、私一人で瞬時に破壊することができる。じっさい、日本を諸外国の攻撃から守っているのは、兄上の魔法のシールドだ。人間の科学は我々の力の前では無力だ」
言うだけ言って、艶珠さまは背をむけた。えりをぬいた色っぽいうなじが見える。
二人のあとをついていくと、ビードロの管の前に来た。
このなかへ入るのだという。
穴のなかへ身をなげると、ふんわりと落ちていく。
水のなかをただようように。
どこまでも、どこまでも。
奈落の底まで続いているかのように。
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