カノンとイルシー

 那由多の世界群に来たのはこれが二度目だった。


 相変わらず気持ちのいい世界ではなかった。


 見た目のことではない。いや、見た目も充分に気味悪いのだが、ここが人の妄想の集まる世界かと思うと、カノンはぞっとした。


 しかし、今はその妄想達が一箇所に集まっている。ザイの仕業らしい。


 「ザイも馬鹿げたことをしているわね」


 カノンは集まっている世界を不安げに見つめているイルシーに言った。彼女とザイとの関わりについては、先ほど聞かされたばかりだ。


 イルシーこそ、ザイが捜し求めているヒロイン。衝撃の事実には違いない。サエなんかは、あんぐりと口を開け、しばらく閉じられずにいたほどだ。しかし、カノンは不思議と何の感慨も抱かなかった。


 「馬鹿げているからこそ、危険なのです」


 イルシーは苦しそうに呟いた。


 「ねぇ、ひとつだけ聞いていい?」


 「何ですか?」


 「あんた、ザイを愛しているの?」


 カノンがイルシーの告白に心を動かされなかったのは、まさしくその一点にあった。


 カノンとイルシーは、『創界の言霊』によって現実化したキャラクターという点では同類のはずだ。その心情は、互いに察すべきところはあるだろう。しかし、カノンがイルシーに対してどこか冷静で冷淡にいられたのは、彼女からザイへの愛を感じられないからだ。今彼女が見せている表情も、愛する人の暴走を悲しんでいるという風には見えなかった。


 「愛しているかいないかと言えば、愛してはいません。あの人は、もう私の知るザイではありません」


 この台詞をザイが聞いたらどうなるだろうか。きっと瞬時にすべての世界を破滅に追いやるに違いない。


 「じゃあ、愛していたという方が正解なの?」


 カノンのちょっと意地の悪い質問に、イルシーは少し考えてから答えた。


 「より正確に言えば、ザイを愛してはいませんでした。私は愛していたのは、ザイの作った物語に出てくる勇者ザイロールだったのです」


 勇者ザイロール。ザイが作った物語に出てくる勇者で、イルシー―物語ではイルシアと言うらしい―の婚約相手であった。


 「私が『創界の言霊』でザイに呼び出された時は驚きました。だって、ザイロールと瓜二つの男がいたんですから。元の世界に帰れない以上、彼を愛さなければと思いましたが無理でした。彼はザイであって、ザイロールではなかったからです」


 それは当然であろう。いくら姿形が同じでも、性格が同じとは限らないのだ。


 「逆にザイを憎く思ったことはなかったんですか?イルシーさんとザイロールさんを引き離した相手なんですよ」


 それまで黙っていたサエが聞いた。その隣で、オレやったらぼこぼこにしてるで、とレリーラが付け加えた。


 「憎くはなかったと思います。この人がいなければ、私もザイロールも生まれなかったのですから」


 でも愛することはできませんでした、とイルシーは呟いた。


 「そうか。ザイはあんたが心の底では自分のことを愛していないと分かったから、どんどん妄想を募らせて、自分のことを愛してもらうとしたわけね」


 「そうでしょうね。だからこそ、私が決着をつけないといけないんです」


 カノンは自分でもひどいことを言っていると思ったが、イルシーは堪えた様子もなかった。


 「私はカノンさんが羨ましいです」


 「羨ましい?」


 「ええ。だって、自分のいた世界から引き離したシュンスケ君のことを愛しているんですもの」


 改めて言われるととても恥ずかしかった。よおよお妬けるね、と冷やかすレリーラの頭をしばきながらも、耳まで赤くなっているのを実感していた。


 「そりゃ、私だって最初は憎たらしかったわよ。さっさと元の世界に戻せボケ、と思っていたわよ」


 でも、今では自分が元いた世界よりも大切な世界を手にいれてしまった。後戻りができないほど、大好きで愛おしい世界が。


 「私もそうなればきっと幸せだったんでしょうね」


 要するにカノンとイルシーは対極の道へ進んでしまったのだ。


 「さぁ、行きましょう」


 イルシーが促した。その時だった。バチバチと火花が散るような音がした。


 何だと思う間もなかった。ゲートが出現し、そこから真っ赤な鱗に身にまとった龍が首を覗かせていた。


 「あれは魔龍四天王のボルケノドラゴン!」


 私のいた世界のモンスターです、と切羽詰った声を出すイルシー。その名にふさわしく、蛇のようにうねうねとした胴体からは時折炎が発せられていた。とんでもないのが現れたものだ。


 「サエちゃん下がって!」


 『創界の言霊』を持つものの、サエの戦闘力はゼロに等しい。カノンはサエを後に下がらせた。


 「カノンも下がれや!お前、兄ちゃんがおらな魔法使えへんやろ!」


 レリーラに言われてはっとした。確かにそうだ。シュンスケがいないと魔法は使えない。いや、使えたとしても炎系の魔法を操るカノンにとって、同じく炎を属性とする敵は相性が悪い。


 「大丈夫です。肉弾戦で」


 「アホなこと言うな!どうみても肉弾戦で戦える相手ちゃうやろ!」


 ゲートからはボルケノドラゴンの長い胴体がまだうねうねと出てきている。その全長は、カノンがシュンスケの世界に来て初めて倒したケロベロスと比較できないほど大きい。


 「ここは可憐な先輩に任しとき!」


 風の魔法を使う先輩なら炎系の敵には相性がいいはずだ。ここは、オレの最高の見せ場や、と意気込む先輩にお任せするとしよう……。


 「たぁぁぁ!」


 などと思っていると、気合のこもった声をあげたイルシーが光輝きだした。薄暗い空間は一瞬にして昼間のようになり、イルシーの周りにはバレーボール大の光の球体がいくつも出現していた。


 「喰らいなさい!聖女の天罰―ダムネーション・オブ・セイント―!」


 イルシーがボルケノドラゴンに向けて高々と振り上げた手を下ろすと、光の球体が目にも留まらぬ速さ、まさに光速のスピードで飛んでいった。


 おそらくボルケノドラゴンは、避けようとも思えなかっただろう。瞬く間に光の球体がボルケノドラゴンの胴を貫き、蜂の巣にしていった。光が消えた頃には、ボルケノドラゴンの肉片はひとつも残されておらず、ゲートも閉じられていた。


 「つ、強い……」


 カノンは呆気に取られた。イルシーは、ふうとわざとらしいため息をつきながらも、汗一つかいていなかった。


 「せ、折角のオレの見せ場がぁ!チートや、あんなんチートやわ!」


 ずっこいわ、と息荒く憤るレリーラ。た、確かに反則的な強さだ。


 「あんた、そんなに強かったの?」


 「隠していたわけじゃありませんけどね」


 「それにしても何よ、『聖女の天罰―ダムネーション・オブ・セイント―』って技名。シュンスケの悪い病気でも移ったんじゃない?」


 イルシーは顔を真っ赤にして俯いた。今更になって恥ずかしくなったのだろうか。


 「悪い病気って何ですか!『聖女の天罰―ダムネーション・オブ・セイント―』は、シャイニングファンタジアというゲームに出てくるスキルの一つで……」


 「次こそオレに出番くれや!どんな悪そうな獣もびしばしやっつけたるからな!そや、新必殺技見せたるわ!その名も、ビューチフルレインボースーパーグレート……」


 「ああ!もううるさい!さっさと行くわよ!」


 カノンは右手でサエの口を塞ぎ、左手でレリーラの頭頂部をぐりぐりとした。その様子を見ていたイルシーがくすっと笑った。

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