魔法少女

 週末の土曜日。僕は荻野橋にいた。


 僕が住んでいる市から電車を二回乗り継いで約四十分。もともとはパソコンやらオーディオ機器などを販売するお店が軒を連ねる電気街だったのだが、今ではすっかりとアニメ、ゲーム関連のお店ばかりのオタクの聖地となっていた。


 「よいっす!俊助。今日もオタク日和だね」


 荻野橋の駅前で待ち合わせをしていたのは足利夏子―夏姉だ。僕のオタクの師匠であり、幼馴染セカンドだ。


 モデル顔負けの容姿をしているくせに、特撮、ロボットアニメが三度の飯よりも好きな夏姉。僕と夏姉は、月に一回ぐらいのペースでオキバを徘徊し、お宝探索に勤しんでいるのだ。


 「何ですか?そのオタク日和って」


 「適度に曇っていること。雨だと傘をさすから荷物が持ちづらいし、晴れていると汗をかいてしまって長い時間の探索に耐えられなくなる。だから今日みたいな曇りの日はオタク日和なんだよ」


 「初めて聞きましたよ、それ」


 「そりゃそうだ。今、私が考えたから」


 あはは、と声を立てて笑う夏姉。この人は、万事この調子だ。平均的女子高生より女性に見えるのに、中身はまるで女性っぽくないのだ。


 「さてさて、行きましょう。レッツラゴー」


 夏姉。まるでおっさんだな。ま、夏姉のそんな飾らないところが好きなんだけどね。


 「ところで俊助。彼女さんとは上手くやっているのかね?」


 オキバのメインストリートまでの道中、夏姉は決まって顕子とのことを訊いてくる。幼馴染セカンドである夏姉としては気になるらしい。


 「うん。まあね」


 「うんうん。よきかなよきかな。でも、オキバにはまだ一緒に出掛けていなんでしょう?」


 「そりゃそうだよ。非オタクがオタクに連れまわされるほどの悲劇はないよ。流石に顕子もそのことを分かっているらしいから、その役割を夏姉が引き受けてくれているのを喜んでいたよ」


 「なんだいそりゃ?このデートは彼女公認かよ!よよ、お姉さんは都合のいい女ってわけね、ぐすん」


 泣く真似をする夏姉。都合のいい女とは思っていないが、彼女でもない身内でもない夏姉は、気軽に付き合える唯一の女友達なのは間違いない。


 しばらく並んで喋りながら歩いているうちに、オキバのメインストリートまで来た。あちらこちらに見えるアニメ、ゲームの絵。店舗の中から聞こえてくるアニメソング、ゲーム音楽。これぞオキバ。わが聖地にして憩いの場だ。


 『魔法少女ファンシーリリー、アニメ化だよ~』


 複合商業施設の大型スクリーンから一際大きな声が聞こえた。これは声優の釘山恵理さんだ。


 「ほう。ファンシーリリーってやっぱりアニメ化するんだ」


 夏姉が立ち止まって大型スクリーンを見上げた。僕もそれに倣った。


 『魔法少女ファンシーリリー』は、第八巻まで刊行されているライトノベルだ。


 故郷を魔王によって滅ぼされたリリーが、復讐のため魔王討伐の旅に出るという重い設定の割にはコメディ色が強く、ネット上では問題作とされている。


 しかも、魔法少女というタイトルをつけているにも係わらず、主人公のヒロインリリーは魔法が使えず、ほぼ拳と関節技で敵を駆逐しており、どこが魔法少女だよ、という突込みが毎日どこかのネット掲示板にアップされ、議論の対象になっていた。


 「賛否があるもんね、この作品。俊助も文句言っていたよね」


 僕は首肯した。はっきり言って僕はこの作品が好きではない。上記のようなとんでも設定もそうだが、ヒロインのリリーがツンデレ貧乳キャラというのも気に入らなかった。最近のアニメやライトノベルは、この手のキャラが多すぎて食傷気味だ。ネット上では僕と同じ意見を持つ者も少なくなかった。


 それでもこの作品がアニメ化されたのは、ひとえにイラストを担当したスチール氏の力が大きいだろう。スチール氏は絵師として人気があり、数多くのライトノベルのイラストを担当し、キャラクターの人気向上に貢献してきた。かく言う僕もスチール氏の絵は大変好きだ。


 「おお、動く動く。スチール氏のキャラって、動くと様になるな」


 「確かに。どんな駄作でも、絵師が人気あるとアニメ化される典型的な例だね」


 「妬きなさんな、作家志望さん。まず俊助はどっかの賞を取らないとね」


 「言われるまでもない。今度のは力作だから、最悪でも佳作に入るはずだ」


 「どこから来るんだろうね、その自信は」


 行くよ、と促す夏姉。僕は『魔法少女ファンシーリリー』のアニメ化PVに未練などなかったので、さっさとその場を離れた。




 「ふむ。『魔法少女ファンシーリリー』か……。そのPVはまだ見ていないな」


 翌々日の放課後。僕はクラブ活動に参加していた。僕が所属するのは『動画及び動画遊戯研究会』略して『動動研』。アニメやゲームを愛する者たちの集まるクラブだ。僕は早速、この研究会の会長である醍醐悟さんに『魔法少女ファンシーリリー』のアニメ化について報告した。


 「アニメ化の噂は以前からネット板にあったね。おっ、ホームページがアップされているな」


 悟さんがノートパソコンの画面を僕に向けた。彩色されたスチール氏の絵がでかでかとトップ画面を飾っていた。


 「主人公のリリーは釘山さんでしょう?他は、おおっ、魔王デンデロは若井則彦御大か」


 悟さんからマウスを奪った夏姉がキャラクター紹介画面を開いていく。


 「ふむふむ。女性キャラが多いけど、俊助の好きな野矢ちゃんはおられないようだね」


 「いいんだよ。野矢ちゃんは『メイドと執事のあれやこれ』の二期に期待するから」


 「何!二期やるのか?」


 突如、悟さんが椅子を倒しながら立ち上がった。


 「い、いや、僕の個人的な願望ですよ、悟さん」


 なんだ、とつまらなそうに座りなおす悟さん。あれ?悟さんってそんなに『メイドと執事のあれやこれ』が好きだったかな……?


 「『魔法少女ファンシーリリー』に『スクールホイップ』の二期。秋アニメは萌え系が豊作だけど、ロボットものがないよな……」


 マウスから手を放し、落胆した様子で唇を尖らせる夏姉。


 「夏姉も悟さんも、受験生なんだから、アニメばかり見てないで勉強もしてくださいよ。受験勉強しているんですか?」


 僕は聊か不安になってきた。夏姉も悟さんも今年で高校三年生。つまり受験生なわけだ。本来なら部活動を引退し、受験勉強に専念しなければならない時期なのに、未だにこの二人は部室に入り浸っている。


 「何を言っているの?私たちがいなくなったら、俊助一人でしょう。後輩が可哀相で仕方ないからこうして部室に顔を出しているに……」


 夏姉の言うとおり、この部活には僕と夏姉と悟さんの三名しかない。だから、二人が完全に引退したら僕しかいなくなるのだ。


 「気を使ってくれるのは嬉しいですけどね。でも、ちゃんと後輩を勧誘しなかったお二人のせいでもあるんですからね」


 「その落ち度は認めているよ。だから、こうして部室に来ているんじゃないか」


 きっぱりと言う悟さん。昨年、夏姉の伝手で僕が入部すると、早々に勧誘活動をやめた張本人は他ならぬ悟さんなのだ。


 「でも、今年の春に積極的に勧誘しなかった俊助も悪い」


 「う……」


 夏姉の反論は尤もだった。今年の春、十分に新入部員を勧誘するチャンスはあったのだが、この三人の居心地の良さを壊したくなかった僕は、勧誘に消極的になってしまったのだ。


 「はぁぁ。僕達のことを知っているガチオタな後輩でも入ってこないかなぁ」


 「そんな都合のいい展開を期待するなんて、アニメの見すぎだよ、俊助」


 「まぁまぁ二人とも、今さらその話はなしにしよう。来年の春、新しい部員が入ってくるかもしれないじゃないか」


 悟さんの言葉に、それもそうだね、と頷く夏姉。


 「来年の春か……」


 来年の春のことなんて、僕にとってはまだまだ想像のつかない未来のように感じられた。




 部活という名の雑談を終え、クラブ棟の前で夏姉、悟さんと別れた僕は、一人で校門に向かって歩いていた。


 同じく下校する生徒の群れの中、校門の前で一人佇んでいる女生徒がいた。顕子だった。


 「あ、俊助君」


 顕子も僕に気が付いたらしく、大きく右腕を振った。


 「あれ?一緒に帰る約束していたっけ?」


 僕は小走りで顕子の傍に駆け寄る。


 「ううん。でも、ちょうど帰るのが同じぐらいなるかなと思って待っていたの」


 な、なんて健気なんだ……。他の生徒がいなければ、抱きついているところだ。


 「じゃあ、一緒に帰ろうか」


 「うん」


 顕子がそっと手をつないできた。


 僕と顕子は、今日会ったことなど他愛もないことを喋りながら、ゆったりとした歩調で並んで歩いた。少しでも長く一緒にいたかったからだが、そういう時間に限って光のごとく過ぎていくものらしい。あっという間に漆原商店のある三叉路まで来ていた。


 「じゃあ、また明日ね」


 寂しかったが、また明日になれば会える。明日の朝、漆原商店横のポストにいつも変わらぬ姿で顕子が待っているのだ。


 「俊助君……」


 しかし、顕子は別れ難いのか、じっと僕の方を見つめている。そして、ゆっくりと目を閉じた。


 こ、これは……、キスをしてくれってことなのか?こんな所で?い、いや、確かに人影はないが……。


 で、でも、顕子とキスをするのはこれが初めてなのか?そもそも、キス自体初めてじゃないだろうか……?


 緊張のあまり、いろんな思考がぐるぐると回転し始めたが、いつまでも顕子を待たせるわけにはいかない。僕は顕子の肩に手をかけ、顔を近づけた。


 「……ん、ん」


 僕の唇が顕子の唇に触れた瞬間、彼女の声にならない振動が唇を通じ出て僕に伝わってきた。柔らかくて温かな唇の感触。もうちょっとこうしていたかったが、流石にこんな所で長時間キスをしているわけにはいかないだろう。僕は、そっと唇を離した。


 「うふふ、キス、しちゃったね」


 目を開けた顕子が恥ずかしそうに顔を赤らめていた。僕も急激に恥ずかしくなり、全身が熱くなってきた。


 「ねぇ、俊助君」


 「な、何?」


 「今度、俊助君の家に遊びに行ってもいい?」


 僕は迷うことなく快諾した。

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