愛しき過去

 カチッカチッ。マウスをクリックする音がする。普段なら好きなアニメソングでも流しながら作業しているのだが、ここ一番集中したい時は音の鳴るものは一切厳禁にしている。ラジオやテレビをつけるなんてもってのほかだ。児島紗枝は、自分の中でそう決めていた。


 今もノートパソコンに向かいながら、慣れた手つきでマウスを動かしている。時折、独り言が出てしまうが、それは紗枝が如何に真剣に作業しているかという証拠であった。


 ノートパソコンの画面に映っているのは、新田先輩のコスプレ写真だ。裾の長いメイド服を着て、笑顔を引き攣らせている新田先輩。紗枝が気に入っている写真のひとつだ。是非ともこれは写真集に載せたい。


 「もうちょっと明度をあげてみようかな」


 紗枝はマウスを微動させた。画像が僅かに明るくなった。うん。これならいいだろう。


 「保存、保存っと」


 大切なデータだ。本体のハードディスクと外付けのハードディスク、そして特別な画像なのでクラウドサーバーにも保存しておこう。


 「さてと……」


 紗枝は次の画像を開けてみた。コスプレ写真ではない。オフショットだ。撮影の合間、浜辺に突き刺しだパラソルの下で着替えをしている新田先輩。意外に引き締まった肉体だったので、こっそりと隠し撮りしておいたのだ。


 画像を眺めていると、胸が熱くなってきた。コスプレしているのもいいが、こういう素の姿も悪くない。


 「先輩、やっぱり素敵だな……」


 自然とマウスを握る手が止まり、新田先輩の画像を眺める。以前、赤松千尋に憧れの先輩と指摘され、尊敬する先輩だと言い返したが、やはり憧れの方が適切のような気がした。


 紗枝が新田先輩と出会ったのは、中学生の頃だった。その頃の紗枝は今以上に引っ込み思案で、自分がアニメオタクであることを隠していた。別に虐められていたわけではないのだが、流石に中学生になってもアニメを見ているなんて言うと馬鹿にされると思っていたからだ。


 そういう状態であったから、中学に入った頃の紗枝は本当に友達ができなかった。自然とクラスの中では浮いた存在になり、休み時間もクラスメイトと喋ることもなく、密かにライトノベルを読み耽る毎日であった。


 傍から見れば友達のいない孤独な女子生徒であったろう。実際に担任教師も心配して面談をしてくれたほどだった。しかし、紗枝はまるで気にならなかった。趣味の合わないクラスメイトと話す気にならなかったし、上辺だけの付き合いをして神経をすり減らすぐらいなら、友達などいない方がいいと本気で思っていた。


 そんな状況が半年ほど続いたある日、紗枝はまさに運命的な出会いを果たした。


 その日の昼休み、いつもより教室が騒がしく、読書に集中できなくなった紗枝は、別の場所で読もうと思って教室を出たのだった。


 ブックカバーをしたライトノベルを片手に校舎の中を歩いていると、大きな声で会話をしている男子生徒と女子生徒が出くわした。それが新田先輩と夏子先輩だった。


 『分かってないね、俊助は。最強のオールドタイプは、カウ・ウランだって。ロゼットさんも言っていたでしょう?複雑な火気管制システムを把握できるのはあなただけだって』


 『分かってないのは、夏姉だろ?やっぱり、ノエルだよ。旧型のブフ一機で陸戦型バルダム三機とやりやって勝ったんだから』


 会話の内容は『高次元戦士バルダム』シリーズだった。紗枝は驚いてしまった。この二人、周囲を憚ることなく平気にオタク会話をしている……。しかも、かなりコアな内容だ。紗枝も、その議論については一家言を持っている。今までひた隠しにしてきた紗枝のオタク魂にぽっと火がついた。


 『わ、私は、ガルンドー大佐だと思います!』


 まるで知らない人がいきなり会話に入ってくると普通は訝しく思うものだが、そこはオタク。すぐに反応してきた。


 『ガルンドー大佐か……。なかなかいい趣味しているね、君は』


 夏子先輩は、とっても綺麗な人だった。中学生離れしたモデルのような容姿。それだけに『高次元戦士バルダム』の話をしている姿はとてもギャップがあった。


 『ルワンザの悪夢か。確かにカウ・ウランといい勝負したけど、二人と比べるとカウの方が一歩上かな』


 新田先輩は、童顔ながらも整った顔をしていた。あまり興味がなかったが、テレビに出てくる美少年アイドルだと言われても信じてしまうほどだった。


 ともあれ、この一件で紗枝は新田先輩たちと仲良くなった。一緒に放課後を過ごしたり、土日はオキバへ買い物に出かけたりするようになった。すると、紗枝自身も、自分がオタクであることを憚らないようになってきたのだ。


 そのおかげで、一部クラスメイトからは冷ややかに見られることもあったが、クラスの中にいた隠れオタクの女子と友達になれたし、文化祭などでは絵の上手さを買われてポスター作製などで活躍し、クラスメイトから賞賛を浴びるなんてこともあった。


 「懐かしいな……」


 紗枝は、中学校の時に三人で撮影した画像を開いてみた。三人が肩を組み、校門前で満面の笑顔を浮かべている。夏子先輩が卒業証書入れの筒を持っているから、卒業式の後だろうか。新田先輩は真ん中にいて、紗枝の肩に手をまわしている。父親以外でここまで密着してくる男性など、後にも先にも新田先輩以外にいなかった。


 「先輩……」


 紗枝が新田先輩を好きな異性として意識するようになったのは、中学二年生の頃。ちょうど夏子先輩が卒業したあたりだから、まさしくこの写真を撮影したころであろう。


 具体的にどこに好意を持つようになったかと問われれば、正直なところ返答に窮する。ただ、人を好きになるというのは、理屈ではないのだろう。ただ漠然とこの人が好きなんだと思うようになっていた。


 但し、告白して恋人同士になろうなんてまるで思っていない。自分と新田先輩とではあらゆる面で全然釣り合わないし、新田先輩に好意を寄せている数多くの女性と自分を比べてもとても勝てる気がしなかった。ただこの好きな人と、ずっと仲のいい友達でいられれば十分だったのだ。


 「はわぁぁ。作業に戻らないと」


 と思った矢先、携帯電話の短い着信音がした。誰からかメールが来たらしい。携帯電話を手元に手繰り寄せ見てみると、大手ネットショップサイト密林様からのおすすめメールだった。


 休憩がてら密林様のホームページを開いてみると、トップページに紗枝へのおすすめ商品がずらずらと並んでいた。商品を検索しただけで、よくここまで的確なおすすめ商品を割り出してくるものだと感心していると、その商品群の中に八月下旬発売の恋愛シュミレーションゲームがあった。


 「これって先輩が大好きな野矢ちゃんがヒロインの声やっているんだっけ……」


 となれば、新田先輩は間違いなく予約しているだろう。紗枝も予約することにした。少しでも先輩と共通の話題を持っておきたいのだ。


 「あ~あ、人の恋愛もゲームみたいだったらな……」


 パラメーターがあり、その数値を上げることができれば、きっと紗枝も新田先輩に似合いの女性になれるのに……。そんな馬鹿げたことを考えていると、今度はパソコンから音が流れた。インターネット回線を使ってのテレビ電話を誰かがかけてきたのだ。紗枝は、パソコン上に出ていた画像を全て閉じ、テレビ電話に接続した。


 『おっす!紗枝ちゃん。捗っている?』


 かけてきた相手は夏子先輩だった。


 「夏子先輩、こんばんは。捗っていますよ。もう少しで全部修正できます。明日にはデータを持っていけます」


 『助かるよ。明日入稿しないと間に合わないもんね』


 にかっと白い歯を見せて笑う夏子先輩。粗い画像だったが、やはり羨ましくなるほどの美人だ。夏子先輩なら新田先輩とお似合いだろうなぁ……。新田先輩、年上キャラが好きだし。


 いや、夏子先輩だけじゃない。今の新田先輩の周りにはアメリカ美人のカノンさんや、幼馴染の楠木さん、義理の妹の秋穂さん、クラスメイトの千草さんがいる。美人どころが勢ぞろいだ。まったく、いつの間にやらハーレムルートを確立しているんだから、新田先輩は。勝ってこないじゃない……。


 『どうしたんだい?紗枝ちゃん』


 「な、何でもないです」


 本当に何でもないです、と大事なことなので二回繰り返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る