グッドジョブ

 「はい。これ、お土産です」


 リビングのソファーに着席すると、千草さんが可愛らしい紙袋を差し出してきた。ちなみに僕は千草さんの斜め向かいに座る羽目になったので、ちょっと腰を浮かしてそれを受け取った。


 「お土産なんてよかったのに……。い、いや、千草さんからいただいたものなら、ありがたく受け取ります」


 「駅前の『ヨーツンハイム』の焼き菓子です」


 駅前の『ヨーツンハイム』?ちょっとお高い洋菓子屋じゃないか?そんな、わざわざ……。ありがたいかぎりだ。勿体無くてしばらく神棚にでも飾っておきたいぐらいだ。神棚なんてこの家にはないけど。


 「ありがとうございます。で、美緒?お前は何を持ってきた」


 「……。さっき食卓に置いたでしょう。悪かったわね、『マルヤス』で買ってきたジュースとお菓子で」


 「いやいや。それも貴重な食料源だ。ありがたくいただこう」


 『マルヤス』は近所にあるスーパーだ。僕も食料の買出しによく利用している。とにかく安いので、大飯喰らいが増えた我が家では非常にありがたい存在だ。うん。今日の買出しも『マルヤス』にしよう。


 「お菓子は後でいただくとして、はじめましょう」


 麦茶を一口飲んで早速勉強開始。それぞれ自分のやりたい科目をやって、分からない所は誰かに聞く、というスタンスで始めたのだが……。


 「ね、ねぇ。この三角関数ってどうするの?」


 「『下線部が同じ発音の英単語を選べ』。日本人にそんなこと聞いてどうするのよ?」


 「『文中で語られる節子の台詞で作者が意図したことは何かを述べよ』って、そんなこと分かんないよ」


 四人の中でお勉強のできない美緒しか質問しないのだ。しかも、質問する相手は毎回僕だ。ま、隣に座っているから仕方ないのかもしれないが……。


 「そういう場合は、まず節子の台詞を拾って読んでみろよ。それと主人公の台詞だ。作家は自分の思いを主人公に仮託することが多いからな」


 「節子と主人公ね」


 じっと文章を追う美緒。やがて答えが分かったらしく、解答欄に書き込んでいく。覗き見ると、『作者は公害問題を軽視する愚かさを節子の台詞に込めている』と書かれていた。うん。ほぼ正解だろう。


 「うわっ、正解だ!」


 解答集を見て答え合わせをしている美緒が、さっきの問題の解答欄に大きく赤丸をした。


 「流石、俊助!ありがとうね」


 「うるさい。黙って勉強しろ」


 褒めているんだから照れなさんな、とにたにた笑う美緒。う、うるさい。照れてなんかいないんだからね。


 「ね、シュンスケ。ここ教えなさいよ」


 すると今度は僕の正面に座るカノンがノートを差し出してきた。カノンが質問してくるとは珍しい。見てみるとなんてことのない微分積分の問題だ。カノンなら難なく解けるだろう。


 「こんな問題で詰まるお前じゃないだろう?」


 一体どういうつもりなんだ。まさかど忘れって奴か。


 「だって、分からないんだから、仕方ないでしょう」


 「しょうがないな。ここはこうしてだな……」


 僕はカノンが突き出してきたノートに解答式を書き込んでいく。カノンは、ふむふむとわざとらしく頷いているように見える。こいつ、本当は分かっているんじゃないか?僕は解式を途中で書くのを止めた。全部教えてやるのが面倒臭くなってきた。


 「ほら、ここまでくれば分かるだろう?」


 「うん。ありがとう」


 ノートを引っ込め、続きに取り掛かるカノン。見ているとすらすらと解いていく。やっぱり、分かっていたんじゃ……。ま、いいけど……。


 「新田君。教えるのが上手いんですね」


 それまで黙々と自分の勉強をしていた千草さんが、くすっと笑いながら顔をあげた。


 「え?そうですか?」


 「はい。全部教えないで、ヒントだけ与えて相手にも考えさせるのがいいと思います」


 「ははは。そうなんですよ。答えを教えては相手のためになりませんからね。ちゃんと考えさせるように教えないと」


 千草さんに褒められた。千草さんに褒められた。な、なんていい日なんだ。あまりにもいい日過ぎて、明日が怖いぐらいだ。


 「浮かれポンチが……」


 隣で美緒が忌々しげに呟いたが、浮かれポンチ大いに結構。この状況で浮かれない方がおかしいだろう?


 が、次の瞬間、僕は浮かれすぎことに後悔した。正面に座っているカノンが僕の脛目掛けて蹴りを入れてきたのだ。


 「うるさい!勉強に集中できない!」


 「は、は……い。気をつけます」


 力の入った強烈な一撃だった。僕は脛を抱えながらしばらく悶絶した。


 カノンちゃんグッジョブ、と親指を立てる美緒の表情がなんとも忌々しかった。




 三時頃に休憩がてら、千草さんが持ってきたお土産をいただいた。


 流石は『ヨーツンハイム』の焼き菓子。非情に美味しかった。千草さんが持ってきたということもあって美味しさは三倍増しであった。美緒が買ってきた『マルヤス』の駄菓子も、まぁ、それなりに美味しかった。


 三十分ぐらい休憩の後、勉強を再スタート。美緒の質問攻めもカノンの不可思議な攻撃もそれほどなく、時間だけが刻々と進んでいった。


 「あ?もうこんな時間……。ねえ、俊助。晩御飯は何にしてくれるの?」


 時計の数字が午後六時を示したところで、美緒が非情に厚かましいことを口にした。


 「人に散々勉強を教えてもらっておいて、今度は晩御飯を強請るのですか?楠木美緒さんは、いいご身分だな」


 「え~、別にいいじゃんよ。俊助の家に来た時は、いつもは私が作ってあげているじゃない」


 「いつもじゃない。七対三の割合で僕だ」


 まったく、厚かましいにもほどがある。しかし、ここで料理を作ると千草さんへのいいアピールになるんじゃないだろうか……。でも、品行方正な千草さんだから、晩御飯はちゃんと家で食べるんじゃないだろうか?


 「ち、千草さんはどうします?よければ食べていきません?」


 僕は、どきどきしながら千草さんに尋ねた。


 「え?いいんですか?今日、ちょうどお母さんが仕事で遅くなるので晩御飯どうしようと思っていたんです」


 嬉しそうに手を叩いた千草さん。よしよし!きたきた!僕にも運が向いてきたようだ。


 「じゃあ、僕は買い出しに行ってきます」


 「あ、私、付いていく」


 美緒がは~いと手を上げた。


 「美緒。お前は米炊き当番だ」


 「え~。お買い物行きたいよ~」


 「小学生か、お前は。それにカノンに米を炊かすわけにはいかんのだ。こいつが米を炊くと、お粥になるか生米のままかのどっちかだ」


 「失礼ね。この前はちゃんとできたじゃない」


 カノンが走らせていたペンを止めて抗議した。


 「あれは電子レンジで解凍しただけだろう!というわけだ、美緒。米を炊いておいてくれ」


 仕方ないわね、と渋々納得してくれた美緒。これで夕食に米がないという最悪の事態は回避できた。


 「カノン。お前が荷物持ちだ。ついて来い」


 「いやよ」


 さっきのことで拗ねたのだろうか。荷物持ちを拒否するカノン。


 「明日の朝と晩と明後日の弁当分も必要なんだ。一人じゃ持ちきれん」


 「チグサを連れて行けばいいじゃない」


 さらっととんでもないことを言うカノン。馬鹿!千草さんに労働させるわけにはいかないだろう。


 「千草さんはお客様だ。そんな真似させられるか」


 私もお客様なんだけど、と美緒は不満を口にするが、教えなくても米びつと計量カップの在り処を知っている人を僕はお客様だと認めないからな。


 「あ、あの。私、行ってもいいですよ」


 ほら、千草さんも嫌だと……言ってない……よ。


 「寧ろ連れて行ってください。私、恥ずかしいんですけど、お料理できないんで。お役に立てるのは荷物持ちぐらいですから」


 千草さんと二人で買い出し!それはそれで小躍りしたいぐらい嬉しいことだが、やっぱり悪いような気もする。


 「チグサが行きたいって言っているんだから連れて行きなさいよ。私は、ミオからお米の炊き方を習うから」


 その時、カノンが小さく上を指差した。僕はそれでカノンの意図が理解できた。もし僕とカノンが二人で出掛けたら、二階に居るレリーラが万が一暴れた時に対処できる人間がいなくなるのだ。カノン……。お前、そこまで考えていたのか……。グッジョブだ。はっきり言って見直したぞ。


 「じゃあ、すみませんが千草さん。お願いできますか」


 いいですよ、と天使の笑みで応じる千草さん。僕は、生まれて初めて神様を信じてもいいと思った。

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