そして祭はじまった
同人誌即売会。なんと蠱惑な響きだろうか。
オタク達の欲望を具現化し、昇華させてくれる究極の黄金郷。
ここ湾岸にある見本市会場『ベイサイドメッセ』のA会場B会場C会場は、今日一日、その黄金郷と化するのであった。
かく言う僕も、準備に余念がない。すでに購入予定のサークルはチャックしたし、シークレットになっている『メイドと執事のあれやこれ』第二期のイベントにも参加するつもりだ。
但し、今回販売の同人誌の原稿を落としてしまった僕には、過酷な試練を課されてしまった。それは……。
「どーーして僕がセーラー服なんですか!」
僕が着ているのは『マリアンヌ様が見ているかもしれない』に出てくる聖マリアンヌ学園の冬服である。勿論、夏姉が調達してきたコスプレ衣装だ。
開場前。まだ準備中なのに、もう着替えないといけないのか?
「自分から着替えておいて何を言っているんだか……」
僕にこの衣装を押し付けた張本人である夏姉が半笑いで言う。
「せ、先輩!大丈夫です!怖いぐらいに似合ってます!後で写真を撮らせてください!」
後でと言いながら、デジカメを片手にすでに何度もシャッターを切っている紗枝ちゃん。清楚なセーラー服。でもその下には凶暴な……などと呟きながら息を荒くしている。く、くそっ!絶対にそのデータを消してやる。
「う~ん。本当に脛毛がないな。こりゃ女の敵だね」
僕の前で屈み込んだ夏姉が、まじまじと僕の脛を見つめる。
「や、やめてください。セクハラですよ」
「はっ!まさかスカートの下は女性用下着!?」
そのままスカートを捲ろうとする夏姉。貞操の危機を感じた僕は、慌ててスカートを押さえる。
「穿いているわけないじゃないですか!」
どこまで人をおちょくるのが好きなんだ、夏姉は。その傍らでうわ言を垂れ流しながらよろめく紗枝ちゃん。どうして僕の周りの女性陣は、こうも一癖二癖あるのだろうか。
「き、着替えてきたわよ」
そこへ同じくコスプレ衣装に着替え終えたカノンとレリーラが現れた。
カノンは、勿論『スクールホイップ』のマリアさんの衣装。ビキニアーマーではなかったが、大きくスリットの入ったスカートからは生足が大胆に露出し、上半身もノースリーブタイプの胸当てで、なかなかセクシーであった。僕は、思わず見惚れてしまった。
「ど、どう?」
「お、おう。なかなか似合っているぞ」
「そ、そう。よかった……」
嬉しそうにはにかむカノン。うん。こういう表情は実にいい。できればずっと維持していって欲しいものだ。
「シュンスケも……似合っている……わね」
カノンが僕の全身を見渡した。明らかにしどろもどろでコメントに困っている。カノン、無理にコメントをする必要はないぞ。
「兄ちゃん、兄ちゃん。オレはどうじゃ?」
レリーラは、『キキョウ大戦』のアイシリスのコスプレ。って、アイシリスの衣装はゴスロリだから、普段レリーラが着ているのとまるで変わっていなかった。
「普通」
「ひ、ひどい……。なんや、『普通』って。女が一張羅着た時は、褒めなあかんで褒めな」
女は褒められて伸びるんや、と力説するレリーラ。だから、普段からそういうゴスロリっぽい服を着ているんだから、一張羅も何もないだろう。
「ふむ。スカートは、いつもよりもやや丈が短いだけにフリルが強調されているね。膝小僧が見える感じもいいね。よく言えば、レースの靴下よりもタイツっぽい方がよかったんだが……、ああぁ、そうなると膝小僧が見えなくなるじゃないか!」
熱っぽく感想を述べる悟さん。悟兄ちゃんはよく分かっとる、と得意満面のレリーラだが、僕としては一抹の不安を感じずにはいられなかった。悟さん、お願いだから新聞に載るような真似はやめてくださいね。
「よし、大体準備完了だね。いいかい?一日しかないんだから、がしがし売るんだよ。特に原稿を落とした誰かさんはね」
いちいち人の心を抉るような厭味を言う夏姉。事実なだけに反論ができない。
ちょうど開始五分前のアナウンスが入る。今頃会場の外では、開場を待ち切れない猛者達が手薬煉を引いて待っていることだろう。僕は開場の中にいるけれど、気分は猛者達と同じだ。
そして、開場を告げるアナウンスが流れた。同時に、地の底から響くような足音と、微弱な振動が次第に押し寄せてきた。
「な、何よ、これ?」
初経験のカノンは、驚愕しきりであった。無理もない。会場は、あっという間に人に埋め尽くされたのだ。
「まるでお祭じゃない」
「そうだ。祭だ。僕達にとって、かけがえのない祭のひとつだ」
同じ趣味を持った同志達が一同に集い、汗と涙と妄想を繰り広げる場。それこそ同人誌即売会だ。これを祭と言わずして何と言うのだ。
などと思っているうちに、僕達のサークル周辺にも人が集まり始めてきた。メインは同人誌の販売であるが、売り子達のコスプレを楽しむのも、このお祭ならではある。
「うわぁぁ、あの子。『スクールホイップ』のマリアさんだ。すっげぇぇ似合っている」
「それを言うなら、『キキョウ大戦』のアイシリスもいけているぞ。まんま幼女だ!ようじょー!」
「いや待て待て。あの『マリアンヌ様が見ているかもしれない』のコスプレもなかなか。いたよな、ちょっとボーイッシュな感じの子」
僕達のコスプレもなかなかの評判だ。尤も、最後のコメントだけはすぐにでも忘れたいのだが。
「ね、ねえ、き、君、可愛いね。『スクールホイップ』好きなの?」
チェックのジャケットを羽織った小太りの男が、カノンに話しかけてきた。
「え、ええ……。あの……、その……」
カノンは明らかに戸惑っていた。無理もない。いきなり大人数の注目を浴び、見知らぬ男から話しかけられたのだ。
「しゃ、写真、い、いいかな?」
「え、写真?」
カノンが救いを求めるように僕を見た。駄目だ駄目だ。会場内は、盗撮防止の観点から撮影は禁止なのだ。そんなことも知らないのか、こいつは。僕がそのことを言うとすると、夏姉の方が先に口火を切った。
「駄目駄目。会場内は撮影禁止だからね。どうしても写真が欲しいなら、夏にまた来なさい。三人のコスプレ写真集を出すかもしれないから」
しっしとチェック男を追っ払いながらも、商売っ気満々の夏姉。え?三人って?当然僕は入っていないよね?
僕は夏姉の発言に不安を覚えながらも、今は自らの職責を果たすことに専念した。コスプレ効果もあってか、同人誌は飛ぶように売れていく。最初は戸惑っていたカノンも、次第に慣れてきている様子だった。
「あー、シュン君だ~」
そこへやってきたのが『メイドハウス~ぷりてぃーきゅあ~』のメイドであるミサキさんだ。今日はメイド服ではなく『戦国乙女~津軽為子の秘密~』にでてくるヒロイン為子のコスプレ。所謂、巫女服だ。
「おおぉ、ミサキさん。今日は為子であすか?似合ってますねぇ。最高ですよ」
ミサキさんなら何でも似合うだろう。い、痛い!どうして僕の足を踏む?カノン。
「シュン君も……その……似合っているね。うん、怖いぐらいに」
「ミサキさん。無理にコメントしなくてもいいですよ……」
僕はますます暗くなる。いや本当に似合っているよ、とフォローしてくるミサキさんだが、女装が似合うなんて全然フォローになっていないよ……。
お詫びと言うわけではないだろうが、ミサキさんは同人誌を二冊買ってくれた。やっぱり俊助をコスプレさせて正解だった、とはっきりとした声で呟く夏姉に恐怖を感じ、前途がさらに暗くなっていった。
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