幼女と魔獣

幼女は笑う

 「い、痛いなぁ……」


 昼間に殴られたお腹がまだ痛いだなんて。胃か腸に穴が開いたんじゃないだろうか。だとしたらあの女、絶対訴えてやる。


 「それは自業自得ですよ、先輩」


 僕の苦しみを他所に、紗枝ちゃんが呆れたように言う。何だ?僕が悪いって言うのか?


 あの自称アイドル女に殴られた放課後、僕は、紗枝ちゃんと下校していた。ちなみに放課後にクラブ活動はなく、カノンはコスプレ衣装のサイズあわせのため、夏姉の家に寄ることになっていた。なので、途中まで帰り道が一緒の紗枝ちゃんと帰ることにしたのだ。


 「紗枝ちゃんは、あの女と友達なんだよね?」


 「そ、そうですね。赤松千尋ちゃんって言うんですよ」


 「奴がアイドルってことは知らなかったの?」


 「知りませんでした。クラスの他の人も知らないと思いますよ。まぁ、私の場合は、そのアイドルグループも知りませんでしたけど……」


 それは僕も同じだった。オタクの中にはアイドル好きもいるが、僕の三次元に対する守備範囲は声優ユニットまでだ。


 「あいつは、自分がアイドルであることを隠しているわけか。しかし、オタクキャラを作るなんてな。そこまでしてファンに媚びたいかね」


 「私からよくそっち側の話をよく聞いていましたね。でも、本人はオタクらしい素振を見せないから、おかしいなぁと思っていたんですよ」


 「なるほど。紗枝ちゃんを手本にしていたわけか。その割にはあんまり痛い感じが……痛い!何で腕をつねるんだ」


 「痛い感じって……。私、そんなに痛い子じゃないですよ」


 「ご、ごめん」


 充分に痛い子だと思うんだけど……。口にしようとしたが、今度は腕をつねられるだけでは済みそうもないので素直に謝ることにした。


 「でも、千尋ちゃんどうするんだろう?アイドル辞めちゃうのかな?」


 「午後の授業はどうだったんだ?」


 「ちゃんと受けていたけど、話はできませんでした。終わってからも、すぐ帰っちゃったし」


 「ショックは受けているようだな。まぁ、アイドルって言いながら、それほど認知されていないって知ってしまったからな。それに、キャラを作っているとばれてしまった。やめるんじゃないのか?」


 「そ、そんな……」


 心配そうに顔を歪ませる紗枝ちゃん。


 「紗枝ちゃんが心配しても仕方ないだろう?やめるもやめないも、あいつの決めることだ。ま、あの程度でやめるようじゃ、アイドルとして大成しないだろうな」


 「先輩って意外と厳しいんですね。Mキャラだと思っていたのに、実はSキャラだなんて。いろいろ考えていた設定をやり直さないと……」


 「紗枝ちゃん?設定って何?僕は何に設定されているんだ?」


 髪をくしゃくしゃにするように紗枝ちゃんの頭を撫で回す。やっぱり先輩Sキャラです、もうへたれ攻めは駄目です、などと言うので、さらにきつく頭を撫で回してあげた。


 「じゃあ先輩、私はここで」


 漆原商店のある三叉路で紗枝ちゃんと別れることになった。さぁ今日は徹夜です、とくしゃくしゃになったヘアースタイルを直しながら呟いていることから、もうアイドルもどきのことは気にしていないのだろうか。


 「紗枝ちゃん、徹夜はよくないよ。早く寝るようにね」


 「私も早く寝たいですけど、先輩のせいなんですからね。まったく、先輩の強気攻めって想像つかないんだけどな」


 ぷりぷりと怒る紗枝ちゃん。え?僕のせいなの?って言うか、そんなこと想像つかなくてもいいからね。


 不安な気持ちで紗枝ちゃんを見送った僕は、夜中にどうやって紗枝ちゃんの邪魔しようかと考えながら家路を急いでいると、道の真ん中に少女が立っていた。


 少女、と言うよりも幼女と表現した方がいいかもしれない。銀髪の碧眼で、背丈的には小学校低学年ぐらいだろうか。ゴスロリっぽいフリルだらけのドレスを着ていて、胸には熊なのか栗鼠なのか判然としないぬいぐるみを抱えていた。可愛らしい顔をちらちらとこちらに向けてくるが、自分から声をかけようとはしなかった。


 「何だ何だ……。このフラグ展開は」


 僕はため息しか出なかった。あまりにもあざといキャラ。どうせあの幼女も明らかに那由多の世界群の関係者だろう。これ以上、厄介なキャラが増えるのは勘弁願いたい。僕は遠回りになるのを覚悟で別の道を行くことにした。


 「これで五分ぐらいのロスかな。早く帰らんと、あの腹減り魔王が大暴れするからな」


 やや早足で歩くと、また道の真ん中にあの幼女が。双子かと思ったが、軽く肩で息をしていた。わざわざ先回りしてきたのか?


 「あ、あー。道間違えた」


 僕は踵を返した。先回りされる前に突破してやる。自然と僕は駆け足になった。幼女と陸上部にスカウトされるぐらいの脚力を持つ僕。どっちが速いか一目瞭然のはずだ。


 元の道に戻った。幼女は……。


 「はぁはぁはぁ」


 いやがった。ぜえぜえ言いながら、恨めしげにこちらを見ている。どうしても僕と絡みたいのか?残念ながら僕は幼女に興味ないぞ。


 「何を無視しとんじゃぁ!われ!」


 一瞬、我が耳を疑ってしまった。可愛らしい幼女から発せられたとは思えない口汚い言葉。


 「いたいけな幼女が道で突っ立ているんじゃ!男なら一言二言声をかけるのが筋ってもんやろ!そんな気も利かんのかい?」


 ずしずしとがり股でこっちに歩み寄ってくる幼女。うわっ、来ないで。


 「それでも兄ちゃん、玉ついとんのか!玉ぁ!」


 大事そうに抱えていたぬいぐるみを振り回し、僕の股間を執拗に攻撃してきた幼女。


 「や、やめろ!何しやがる!」


 僕は、ぬいぐるみを振り回す幼女の手を掴んだ。


 「ほう。オレの手を掴んだか。もうここでオレが叫び声をあげたらどうなるかのう?兄ちゃんは、いたいけ幼女に手を出した変態ロリコンとしての十字架を背負うことになるんじゃ」


 けけけ、と笑う幼女。なんという悪質な罠!やはりこの幼女只者じゃなかった。僕はすぐさま幼女の手を離そうとしたが、逆に幼女が僕の手を握っていた。


 「は、離せ!」


 「変態鬼畜ロリコンになりたくなかったら、オレの言うことを聞け。分かったな、兄ちゃん。いや、シュウスケ」


 「どうして僕の名前を?」


 幼女は、けけけと笑うだけで、僕の問いには答えなかった。

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