オタクじゃない!

 思わずドアを開けてしまった千尋は、激しく後悔した。これでは自分がチッヒーだと言っているようなのだ。しかし、どうにも我慢できなかった。何故ばれてしまったのか?自分の演じるオタクキャラは完璧だったはず。自制心よりも、そのことに対する興味が勝ってしまった。


 千尋がチッヒーだと気づかずかなかった新田先輩。一体どういう人なのだろうと気になり、お昼も食べずに尾行し、辿り着いたのが怪しげな部室だった。


 そのままドアをノックし突入してもよかったのだが、中から聞こえてきた会話に耳を傾けているうちに入るには入れなくなってしまった。


 リアルなオタク達の会話。はっきり言って千尋の付け焼刃なオタク知識では理解できない内容だった。


 気持ち悪い。たとえキャラであってもこうはなりたくない。全身に鳥肌が立つのを感じながら、このまま立ち去ろうと思った。しかし、会話の内容が千尋のインタビュー記事に及ぶに至り、立ち去りがたくなってしまった。


 そして、彼らは千尋が偽オタクだと見抜いたのだった。千尋はほぼ反射的にドアを開けてしまったのだ。


 「千尋ちゃん?」


 中にいたのは五人。その中に千尋の見知った顔、紗枝がいた。


 「紗枝ちゃん?!部活ってここだったんだ」


 「う、うん」


 「紗枝ちゃん、こいつと知り合いなのか?」


 と言ったのは、千尋とぶつかったあいつ。新田先輩だ。ひょっとして紗枝ちゃんが憧れている先輩って新田先輩のことなのだろうか?


 「彼女が俊助君とぶつかった相手かい?そうか、紗枝君の友人とはね」


 会議机の上座に座っているえらく男前な人がちらっと千尋を見る。これほど男前な男性は、芸能界の中にいてもそうそう見ないのだが、この人もオタクなのだろう。ちっともときめかなかった。


 「ふむふむ。眼鏡をかけているけど、スタイルは申し分ないなぁ……」


 じろじろと千尋を値踏みしてくる女性。ぱっと見た時、モデルみたいと思ったのだが、この人もやはりオタクなのか?ちょっと信じられない。


 「ところで千尋ちゃん、どうしたの?」


 「そ、それよ!どうしてその記事読んでオタクじゃないと思ったの?」


 千尋は、卓上に広げられたアニメ誌を指差す。数ヶ月前に受けたインタビューだ。アニメ誌のインタビューということで、中途半端ではいけないと数週間前からみっちりとオタク的知識を詰め込んで挑んだのだ。あがってきた原稿もマネージャーと一緒に何度も読み直した。ぼろが出るような箇所はなかったはずだ。


 「簡単な話だ。『メンマ』とか『ツインテール』、『姪探偵ユナン』といった超メジャータイトルを並べてオタクを自称している奴は、百パーセントオタクじゃない。いや、オタクを名乗るな」


 新田先輩は言い切った。


 「ちょ、ちょっと待ってよ?見てないの?『メンマ』とか『ツインテール』を?」


 「僕は見ていない。そんなものを見る暇はない」


 他に見るべき作品がごまんとあるからな、と続けた新田先輩。


 「私も見ないかなぁ。だってメカ出てないし」


 と言ってのはモデルみたいな女性。メカ?メカってロボットのこと?


 「ふむ。僕も見ないかな。基本的に少年漫画系のアニメに出てくる女性キャラは魅力的とは言い難いからね。ビジュアル面もいまいちだし」


 男前の男性が理屈っぽくいかにメジャータイトルアニメがオタク受けしないかを滔々と語り始めた。しかし、千尋はその十分の一も理解できなかった。


 「私もあんまり見ないかも……。だってショタじゃないし、やっぱり攻めは立派な大人の方がいいもん」


 ショタ?攻め?紗枝ちゃん何を言っているの?さっぱり分からない。


 「まぁ『防御!タコ男爵』の名前を出しているあたりがあざといが、名前だけだ。詳しい中身についてはまったく触れられていない。どうせマネージャーか誰かの入れ知恵だろう」


 うっ。新田先輩は本当に鋭い。まさにそのとおりだ。マネージャーがインタビューの直前に立ち寄った書店で見つけてきたのが『防御!タコ男爵』の原作漫画で、アニメになっているらしいから名前出しておきなさい、と言われたのだ。


 「それにインタビュー内容が浅薄。誰それがかっこいいだとか、どこのシーンがよかっただなんて普通の感想。本当のオタクなら、誰それのCVは某声優さんがよかったとか、何で製作会社が一期と二期で違うんだよとか、そういうことを言うね」


 「夏子君のいうとおりだ。このインタビューではキャラへの愛が感じられない。いいかね?キャラへの愛とは……」


 「そ、そうですよね。キャラへの愛というのは、攻めだろが受けだろうが、どちらに位置づけられても受け入れる度量が必要なんですよ」


 思い思いに語り始める。しかし、千尋はまるでついていけない。これがオタクなのか?だとしたら、確かに千尋のインタビューなどオタクのインタビューではなかった。


 そんな馬鹿な……。千尋は打ち拉がれた。不本意ながらやってきたオタクキャラではあったが、芝居としては完璧だったはず。しかし、それは本物のオタクから見れば、ばればれだったのだ。千尋のファンだというオタク達も、オタク知識を披露する千尋に表向き関心しながらも、心の中では似非オタクと嘲笑っていたのか……。


 「でも、どうして千尋ちゃんがそんなことを気にするの?」


 もう仕方あるまい。この後の及んでチッヒーであることを隠す必要はないだろう。あるいはもう気がついている人がいるかもしれない。千尋は覚悟して眼鏡を取った。


 瞬間、部屋にいた全員が驚きの声を……あげなかった。みんな、きょとんとしている。


 「で、何なんだ?」


 新田先輩が冷めた視線を向けてくる。え?本当に気がついていないの?チッヒーだよ。『ふゅーちゃーしすたーず』のチッヒーなんだよ。


 「だから!!そのインタビューに答えているのは私なの!!」


 これほど恥ずかしいことはなかった。自分からチッヒーであることを名乗るなんて。だが、これで驚きの声が……やはりあがらない。


 「そういえば、似ているな」


 千尋とアニメ誌を交互に見比べる新田先輩。嘘っ。リアクション薄すぎない?しかも似ているって……。本人だよ、本人!


 「あ…、驚かないの?『ふゅーちゃーしすたーず』のチッヒーが目の前にいるんだよ!」


 こんなことを口にするはめになるなんだ。恥ずかしい、恥ずかしすぎる。


 「何だ?『ふゅーちゃーしすたーず』って?悟さん知っています?」


 「ふむ。残念ながら、声優ユニット以外には興味がないからな」


 「あ、私に聞いても無駄だよ。女なんだし、アイドルとか興味ないから」


 「ご、ごめんね、千尋ちゃん。私、あんまり普通のテレビ見ないから……」


 千尋は、足元から崩れ去りそうになった。それを耐えたのは、アイドルとして矜持であったかもしれない。しかし、今やその矜持がいかに不安定で儚げなものであるかを思い知ってしまった。みんなが知っている国民的アイドル『ふゅーちゃーしすたーず』のナンバー2チッヒーを知らない人がいただなんて……。


 「紗枝ちゃんの友達らしいから、ひとついいことを教えてやろう」


 千尋の前に立ちはだかる新田先輩。千尋はうつろな瞳を向ける。


 「二次元オタクが三次元の偶像に興味を持つわけないだろう!」


 きっぱりと宣告されて、千尋の中で何かが弾けた。気がつけば、握り締めた右拳を思いっきり新田先輩の腹部に叩きこんでいた。


 「馬鹿!アホ!クソオタク!」


 考えられるばかりの罵詈雑言を吐き捨て、千尋は走り出した。折角のオフで、久しぶりの学校。もっとゆっくりのんびりと過ごしたかったのに、最低の一日になってしまった。


 馬鹿馬鹿!アホアホ!


 オタクなんて大嫌いだ!

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