黄金郷は遠く果てなく

 「これは一体、どういうことなんですか!!」


 怒り心頭の美緒が、持ってきた荷物を床に置くなり、夏姉を指差し糾弾した。


 「何って、私がエロエロな同人誌を音読し、俊助に四の字固めをしていただけだよ。俊助が私の太ももの感触と、エロエロな音読で欲情したかもしれないけど、これは仕方ないよね、男の子だもん」


 四の字固めをしたまま、平然と応じる夏姉。


 「欲情なんてするもんか!こんなことで欲情していたら、きりがないわ!」


 エロ同人誌の音読や、プロレス技をかけられるなど、夏姉が僕の部屋に来る度に行われる恒例行事だ。今更欲情なんてするはずがない。


 「それは何だが女として面白くないなぁ。よし、どうせならズボンでも脱いでみるか」


 カチャカチャと本当にベルトに手をかける夏姉。うわぁぁっ、この人、本気だ。


 「やめなさいってば!」


 美緒がベッドの上に飛び掛り、僕の首に巻きついていた夏姉の足を強引に取り除いた。


 「イタタ!乱暴だな、美緒ちゃんは……」


 「気安く名前で呼ばないで下さい!」


 夏姉と美緒は、とても仲が悪い。というよりも、美緒が一方的に夏姉を嫌っていた。どうやら僕が陸上部に入らなかったのは、夏姉のせいで僕がオタクになってしまったからだと思っているらしい。まぁ、それは事実だからしょうがないだろう。でも、それで夏姉のことを嫌うのはお門違いだ。


 「美緒、お前は何をしに来たんだよ」


 ローゼンメイデン元帥の乱入でまさかの3P……などと興奮気味に口走っている紗枝ちゃんから筆記用具一式を取り上げた僕は、ベッドの上で仁王立ちになっている美緒に聞いた。


 「え?プレゼントよ、プレゼント。ほら、いいでしょう?この置物」


 美緒が持参してきた紙袋から取り出したのは、ツタンカーメンの置物だった。サイズは週間マンガ雑誌ほどだ。


 「何でいきなりプレゼントなんだ?」


 明らかに怪しい。僕が問い詰めるように美緒を睨みつけるが、奴は無視してツタンカーメンの置き場所を物色していた。


 「パソコンの横がいいわね。電源もあるし、ネットにも繋げられるし」


 「ちょっと待て!どうして置物に電源とネットが必要がある!」


 僕は、ツタンカーメンを掻っ攫った。よくよく見てみると、目の部分がカメラになっていた。


 「おい!秋穂か?秋穂に頼まれたのか?」


 美穂の奴、本当に美緒に頼んだか?しかも、美緒も美穂で本当に用意しやがって。


 「あはははは。そんなことないですよ」


 しらじらしく惚ける美緒。ネットカメラで監視?先輩のあんな姿やこんな姿が……と妄想全開の紗枝ちゃんの頭をツタンカーメンで小突きながら、何気に時計を見た。午後二時を過ぎていた。やばい、本当にやばい!まるで進んでいないのに……。


 「夏姉、頼む!本当に真剣に書くから、こいつら連れて退場してくれ……。このままじゃ、本当に原稿落とす」


 もうこうなったら恥じも外聞も誤魔化しもない。僕は、土下座をして夏姉に懇願した。


 「にゃははは。そうだね。私もやり過ぎたよ」


 ベッドから起き上がる夏姉。


 「ささ、紗枝ちゃんも美緒ちゃんも帰ろう帰ろう」


 夏姉は紗枝ちゃんと美緒の肩を抱き、強引に外へ連れ出そうとしてくれた。


 「な、何をするんですか?私にはカメラの設置が……!」


 美緒、やっぱりカメラの設置に来たのか?油断ならない奴。


 「な、夏子さん。私は、先輩達のくんずほぐれつを見たいんですが……」


 紗枝ちゃん、それは何時間、いや何日経っても見られないぞ。


 「駄目駄目。これ以上邪魔したら、本当に原稿を落としかねないからね」


 「何の原稿か知りませんけど、私は関係ありません!」


 抗弁を諦めた紗枝ちゃんに対し、同人誌作成に関係のない美緒は、あくまでも強気だった。


 「は~ん?いいのかな?美緒ちゃん。私にそんなに楯突いて?」


 「ど、どういうことです?」


 うふふ、と笑った夏姉が美緒の耳元で何事か囁いた。刹那、ひっと短い悲鳴を上げて、顔を紅潮させる美緒。


 「な、なななな、何でそれを知っているんですかぁぁ!」


 「うふふ、ひ・み・つ。それよりも言っちゃおうかなぁ。美緒ちゃん、帰らないのなら言っちゃおうかなぁ」


 「わーわーわー!帰ります!帰ります!」


 慌ててツタンカーメンを僕から奪い返した美緒が、そのままドタドタと逃げるように帰っていった。粘着質ストーカーの美緒を一撃で退散させるなんて……。


 「夏姉……。何を言ったんですか?」


 「ふふん。な・い・しょ。さぁ、私達も帰りましょう、紗枝ちゃん。妄想の続きは私の部屋でやるといいよ」


 「は、はい。夏子さんの部屋にはプラモが一杯ありますから、それを先輩に見立ててくんずほぐれつ……」


 紗枝ちゃん、その妄想は流石にまずいと思うぞ。と言うよりも、二人についていってそのふざけた妄想をぶち壊したいのだが……。


 「じゃあ、カノンちゃん。引き続き俊助の監視をよろしく。流石に尻に火が点いただろうから、今度は邪魔しない程度に応援してやってよ」


 「う、うん。分かったわ。邪魔はしないわ」


 「ではでは。俊助、原稿楽しみにしているわよ。締め切り厳守だからね」


 カノン、紗枝ちゃんと一緒に部屋を出ていった夏姉。自分が発端のドタバタだったのに、上手く場をまとめていきやがった。釈然としない気分になったが、これでよくやく静かになった。




 「ん……ん。だいぶん進んだなぁ」


 僕は瞼を軽くマッサージした。かれこれ数時間、ずっとパソコンの画面を凝視していたせいか、眼球の疲労は激しく、肩のこりも尋常ではなかった。


 しかし、それだけ原稿が進んだということだ。黄金郷へ辿り着くための副産物だと思えば、たいしたことではなかった。


 カウント機能で確認してみると、原稿用紙で十枚分。ノルマまではあと五枚。ゴールが見えてきた。


 「よし!飯を食って、最後の追い込みといきますか!」


 時刻はすでに午後六時を回っていた。このまま原稿を書き進めたい気もしたが、カノンを餓死させるわけにもいかなかった。きっと今もひもじいとか何とか唸っていることだろう。


 「料理もいい気分転換だ」


 テキストファイルを保存し、パソコンをスリープ状態にする。一応、フリーのクラウドサーバーにも保存しておいたから、データが消えました的なオチも回避されたはずだ。もう悲劇はいらないのだ。


 「カノン。今から飯を作ってやるから、待っていろよ」


 階段を下りながら、リビングにいるだろうカノンに声をかける。しかし、返事が返ってこない。


 まさか本当に餓死でもしたのか、とリアルに焦ってリビングを覗くと、テレビは点いていたが誰もいなかった。物音がキッチンの方からするので振り向いてみると、キッチンであたふたと作業をするカノンの姿があった。


 「お前、何をしているんだよ?」


 「見て分かるでしょう?料理よ、料理。あんたの手間を少しでも省こうと思って、ナツネエとサエに教えてもらったのよ」


 食卓にはすでにカレーが二つ並んでいた。具の野菜のサイズが異様に大きく、ルーが水っぽい感じであったが、食べるのに問題はないだろう。


 「まぁ、カレーなら失敗しないだろう」


 「し、失礼ね。この程度なら私にもできるわよ」


 カノンがサラダを食卓に置く。やはり切り方が雑で、トマトなどは完全に潰れていた。しかし、初めてにしては上出来だと褒めるレベルではあった。


 「ルーが紫色とか、サラダに未知の生命体が入っているとかは流石にないらしいな」


 「そんなことあるわけないでしょう!食べてみなさいよ、美味しさのあまり飛び上がるわよ」


 そこまで言うのなら、相当自信あるのだろう。僕は、スプーンを手にし、カレーをひと掬い。口の中に入れた。


 「あ、あれ?」


 カレーって辛いんじゃなかったけ?いや、辛いのは辛いんだけど、その他にも妙な味がする……。


 「ぐうっ!」


 僕は、吐き出すのを堪え、口の中の物をなんとか飲み込んだ。


 「お前、何を入れた……」


 お腹を押さえる。どういうわけか、急にお腹がいたくなってきた。


 「え?眠くならないためにコーヒーでしょう?それから元気になるようにと、ナツネエがもってきたこのドリンク……」


 カノンが見せてくれた小さな瓶には『小さな瓶でも夜はビンビン。超絶赤マムシドリンク』というラベルが……。


 「あとは何だったかな……。体に良いからっていろいろ入れたわよ。覚えていないわ」


 でも、カレーってそういうものなんでしょう、と完全に間違った知識を疲労するカノン。


 こういう場面に相応しい台詞で、突っ込みを入れてたかったが、もう限界だ。


 「カノン……。後の始末は頼む!」


 「えっ?どういうことよ?」


 「さらば遠き日!」


 僕はそう叫び終えた瞬間、胃の中のものを存分にぶちまけたことだろう。それすらも覚えていないほど、僕は急転直下に意識を失った。


 ちょっとシュンスケ!というカノンの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた気がしたが、もう僕には関係のないことだ。

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