好きなんでしょ?

 お昼休み。自分の席でお弁当を広げようとしていると、やはりカノンがやってきた。また一緒に飯を食べるために来たのかと思っていると、


 「ちょっと話があるんだけど……」


 らしくない深刻な表情でカノンが言い出した。いつもなら即座に断るか、文句や皮肉のひとつでも言ってやるのだが、カノンのただならぬ雰囲気に僕は呑まれてしまった。


 「何だよ、改まって……。兎に角座ったらどうだ?」


 「ここじゃいや」


 人に聞かれたくないということだろうか。ひょっとして魔王デスターク・エビルフェイズやサリィの気配でも感じ取ったのかもしれない。


 「分かったよ」


 随分と腹が減っていたので心残りではあったが、僕は開けたばかりのお弁当の蓋を閉じた。


 僕とカノンは、校舎裏に場所を移した。シチュエーション的にはヤンキーに絡まれた気弱な生徒が焼き蕎麦パンを買って来いと脅されそうな場所だが、うちの学校にはそういう品行下劣な生徒はいないらしく、まったく人影がなかった。


 「ここならいいだろう?で、サリィかそれともあの禿頭サラリーマンか?戦うんなら、さっさとしてくれよ。午後の授業もあるし、飯だって食わないといけないんだから」


 「そんなんじゃないわよ……」


 不貞腐れたように言うカノン。僕は、そんなカノンの態度に苛っとした。不貞腐れたいのはこっちのほうだ。わざわざお昼を食べるのを中断してまでカノンの言うとおりにしてやったのに。


 「じゃあ、何だって言うんだよ」


 「あの子、チグサさんだっけ?どうして私に似ているのよ?」


 千草さんの名前が出てきたので、僕は例のごとく鼓動が早くなった。


 「どうして千草さんが出てくるんだ?」


 僕は動揺を隠すように声を荒げた。しかし、それこそがまさに動揺している証拠であった。


 「あの子、私のモデルなのよね?」


 カノンは鋭かった。いや、僕がカノンを生み出したと知ったうえで、千草さんと似ていると言われれば、そういう結論に行き着いても不思議ではなかった。


 「そうなんでしょ?」


 「そ、そうだよ。別に創作するうえで、キャラにモデルがいてもおかしくないだろ!」


 こうなったら開き直るしかなかった。が、何やら逆ギレしているみたいで、自分自身に対して不快感を感じてしまった。


 「好きなんでしょ?あの子のこと?」


 カノンはさらに鋭く切り込んできた。それに関しては感づかれる要素など微塵もなかったはずだ。


 僕のようなオタクが、美人でお嬢様で女神のような千草さんのことが好きだなんて畏れ多いので、ずっとひた隠しにしてきたのに。カノンはどこで気づきやがったのだろう。


 「べ、別に好きとかそういうんじゃなくて、憧れていると言うか、見ていてドキドキするって言うか……」


 そういうのを好きって言うんでしょ、と冷静に言い返された。僕はすぐに二の句が出なかった。


 「そ、そうだとして、何が悪いんだ!お前に迷惑かけていないだろ!」


 ようやく出てきた台詞は、実に子供じみたものだった。しかし、今の僕にはこの程度の言葉しか出てこなかった。


 「迷惑?本当にそう思っていわけ?」


 僕がヒートアップしていくに連れ、カノンの方はどんどんと冷静になっていっている気がする。


 「そうだよ!関係ないのに、突っかかってくるな」


 いちいちプライベートなことに口を入れられては堪ったものじゃない。僕が誰が好きで、誰に憧れていようと、カノンには関係のないことだ。


 「関係ない?ですって……」


 カノンが目を怒らせ、ずいっと一歩踏み込んできた。


 「関係あるわよ!あんたの好きな人がモデルなのよ、私は!そういうことを意識するなって言われてもしちゃうわよ!私は、所詮あんたの妄想の産物でしかないんでしょっ!」


 今度はカノンがヒートアップする番であった。僕は、どうしてカノンがそこまで激昂しているのかまるで理解できなかった。


 「何を言いやがる!千草さんをモデルにしているんだ。あんな天使のような人がモデルだぞ?もっと喜べよ!」


 もうカノンは何も言わなかった。その代わり、彼女の平手が僕の頬を激しく打った。ぱちんという乾いた音が耳元に響き、じわじわと叩かれた頬が痛くなってきた。


 「な、何をしやがる!」


 「うっさいアホ!豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」


 カノンは、足元にあった雑草を引きちぎると、僕に向かって投げつけた。草の青臭さが鼻をついた。


 上機嫌でちょっとしたことなら許そうと思っていた僕だが、流石に堪忍袋の緒が切れた。


 「ふざけんな!」


 顔にへばりついた草を払いのけた。しかし、もうカノンの姿はなかった。


 「あいつ!何考えているんだ!」


 まるで訳が分からなかった。勝手に一人でキレて、人にビンタするなんて。とんでもない暴力女だ。


 「あーあー!やってられん!飯だ飯」


 僕は気を取り直して、教室に戻った。休み時間は残り少ないが、お弁当を食べるだけの時間はまだ充分あるだろう。


 しかし、机に上にあったお弁当は、何者かによって綺麗に空になっていた。一体誰だよ、と声を荒げたくなったが、犯人はすぐに知れた。僕よりも先に戻っていたカノンが、お腹一杯とばかりに腹をさすっていた。


 もう駄目だ!本当に我慢ならん!僕は空になったお弁当箱を手にとって、自分の席で寛いでいるカノンの眼前に突き出した。


 「これはどういうことだ!お前には自分の弁当を渡しただろ!?」


 冷ややかに一瞥するカノン。口が微かにもぐもぐと動いていた。


 「わらしじゃないお」


 明らかに口の中で何かを咀嚼している。人が真剣に怒っているのに、カノンの態度はどこまでもふてぶてしく、人をおちょくっていた。


 「こいつ!!」


 僕は、右手を振り上げた。さっきびんたされたんだ。お返ししてやる。


 しかし、僕の右手はそれ以上動かなかった。大声を出したことで、教室内に緊張感のある静寂が広がる。そして、クラスメイトの視線は、声の発生源である僕に集中する。当然、その中には千草さんも含まれている。


 いくら相手がカノンとはいえ、千草さんの目の前で女の子に手をあげるわけにはいかなかった。僕は、振り上げた手を静かに戻し、自分の席に戻った。


 僕は荒々しく椅子を引き、どかっと腰を下ろした。その一部始終を見ていたのか、カノンと一瞬目が合ったが、すぐに逸らした。


 僕もわざとらしく顔を背けたが、その先で心配そうな顔をした千草さんと視線がぶつかってしまった。


 どうしてそんな表情をするんだろう。


 そう思うと、今までの怒りがすっと消え、後ろめたいような心苦しさが湧き上がってきた。いつもならずっと正視していたい千草さんのご尊顔であったが、僕は耐え切れずに彼女の視線からも顔を背けた。

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