安息の地、その名は部活

 午後の授業が始まると同時に、僕はある決意をしていた。


 放課後はカノンに構わない。


 午前中、カノンの発言のおかげで、僕はクラスの連中から『アニメの世界を現実でやろうとしている鬼畜王』というありがたくもないレッテルを貼られた上、美緒にはまたとんでもない誤解を与えてしまった。美緒への誤解はなんとしても解かないと、秋穂に通報されてしまう。しかし、机を破壊した挙句、目の光彩を失い、ふらふらと教室を出ていった美緒に何を言っても無駄であろう。話をするのは明日以降にするしかなかった。


 以上のことから、もう今日は家に帰り着くまではカノンに構ってやらない。また取り返しのつかないような悲惨な目に遭う。家に帰るのも一人で帰れ。それに僕には部活動もあるのだ。


 放課後。目を真っ赤に充血させて寝不足アピールをしている年恵先生の実に短いホームルームが終わると、僕は脱兎の如く教室を飛び出した。


 「あ、シュンスケ」


 相変わらず男子生徒に囲まれていたカノンが、すがるようにこっちを見た。多少の後ろめたさを感じながらも、心を鬼にして無視した。


 僕はそのまま渡り廊下を通り、各クラブの部室が集まるクラブ棟へ向かった。


 私立の高校で、文武両道を旨としているだけに、クラブ活動用の施設も充実していた。その代表的なのがこのクラブ棟であろう。


 しかも、野球やサッカー、文化系なら吹奏楽と言ったメジャーなクラブ活動だけではなく、アングラな活動さえも要件さえ整えば部活動として認められ、部室が与えられるのだ。


 ただし、歴然とした差はつけられる。大会やコンクールで活躍しているクラブについては、広くて綺麗な部室が与えられ、場合によっては付属設備―専用グランドや練習場―までもが用意される。そうではないクラブについては、どうみても前は倉庫だっただろ、と言いたくなるような窓なしのコンクリート打ちっぱなしの狭い部屋などが与えられる。ちなみに僕が所属しているクラブは、当然ながら『そうではない』側である。


 クラブ棟に入った僕は、階段を使って最上階である六階を目指す。最上階と言えば聞こえはいいが、移動のことを考えれば下の階の方が良いに決まっている。実際、大手クラブのほとんどは一階か二階に集結していた。


 ようやく六階に到達する。ここには小さなクラブの部室が数多く集結していて、その中に僕が所属する『動画及び動画遊戯研究会』略して『動動研』の部室もあった。字面から想像つくかもしれないが、要するにアニメとかゲームを愛する者達が集まるクラブだ。


 「お疲れ様です」


 僕が入ると、窓ガラスが全開になっていて、冷たい風が容赦なく部室に吹き込んできていた。そして、鼻腔を突くほのかなシンナーの臭い。


 「お、俊助。乙!」


 プラスチック片とスプレーを持った人物が挨拶を返してきた。机の上に新聞紙を広げ、数本のカラフルなスプレーとプレスチック片が点在している。見てのとおりプラモデルを作っているわけだが、作っているのは男子ではなく女子なのだ。


 ベリーショートの髪型に、やや釣り目ながらもくりっとした眼に、すらっと通った鼻筋。身長も高く、女性としてのプロポーションもいい。制服を水着に着替えれば、グラビアアイドルとして天下取れるんじゃね、と思わせるほどの美少女、いや美女だ。


 名前は足利夏子。僕は『夏姉』と呼んでいる。一年先輩の三年生で、僕のオタクの師匠でもある。両親同士が知り合いということもあり、幼稚園時代から付き合いがあった。幼馴染という点で言えば、美緒なんぞよりもよっぽど幼馴染らしかった。


 「夏姉。また大佐専用ブーフー?」


 「そうだよ。いや~、大佐専用機は何度作っても飽きないね」


 夏姉は、BLとか乙女ゲー好きの所謂『腐女子』ではなく、ロボットアニメ、特撮ヒーローものを愛して止まないタイプのオタクであった。実際、夏姉の部屋には特撮ヒーローの変身クッズや、ロボットもののプラモデルが所狭しと並べられている。


 特に『高次元戦士バルダム』に出てくるガラミティー大佐の専用機『大佐専用ブーフー』に異常なまでの愛着を持っており、すでに十体以上も作り上げていた。


 「今度は砂漠でバルダムと戦ったシーンを再現するよ」


 嬉しそうにプラモデルのパーツにカラースプレーを吹き付ける夏姉。僕は、シンナーが臭ってこないように風上に移動し、席に着いた。


 「お疲れ様です。悟さん」


 「うむ。お疲れ」


 僕の斜め前に座っているのが『動動研』の部長、醍醐悟だ。僕は悟さんと呼んでいる。


 きりっとした顔立ちの男前で、目の前のノートパソコンを食い入るように見ている。見た目だけで言えば、いかにも優等生といった感じで、実際に勉強もできる優等生なのだが、この人も超ど級のオタクなのだ。


 「悟さん、それ……」


 僕は、悟さんが左手に抱えているものを指差した。身長大の柔らかそうな円柱の物体。そこには肌蹴たセーラー服を着た女の子の絵がプリントされていた。


 「うむ。『スクールホイップ』のメイちゃん抱き枕だ。DVD全巻購入特典で、昨晩届いたのだ。あまりにも嬉しく、離れたくないから連れてきてしまった」


 「え?ずっと、持っていたんですか?」


 「当たり前だ」


 ははは、と笑い飛ばす悟さん。僕も、自分で重度のオタクだと思っているが、どうにもこの人には勝てそうになかった。


 「『スクールホイップ』って二期やるんですよね?」


 「うむ。今、そのホームページをチェックしているんだが、君が好きな野矢ちゃんが新キャラの声を当てるらしいぞ」


 「え?マジですか?」


 僕は慌てて立ち上がり、悟さんの背後からノートパソコンを覗き込んだ。確かにそこには『新キャラクター三沢樹理(CV野矢麻衣子)』の文字と共に、新キャラクターの絵が載せられていた。三沢樹理は、ちょっときつい感じのする女の子であった。野矢ちゃん、こういう役も合うんだよなぁ……。


 「ほら、もう声も入っているぞ」


 悟さんが『サンプルボイス1』のボタンをクリックする。すると、ちょっと声のトーンを落とした野矢ちゃんの声が聞こえてきた。うん、やっぱりいいな、野矢ボイスは。


 悟さんが次々とサンプルボイスを再生してくれる。野矢ボイスが心地よく耳に響く。そしてノートパソコンの向うでは昔なじみの夏姉がニヤニヤしながらプラモデルを作っている。なんて至福な一時なんだ。これこそ僕が望んでいた平穏である。


 「ん?どうしたんだい?俊助君。涙なんか流して?」


 「いやね。こういう何でもない時間が、凄くありがたく思えてきて……」


 僕は涙を拭いて改めて着席した。

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