苦難は続くよ何処までも

 僕の平穏な日々はどこへ行ってしまったのだろうか。


 新学期が始まるまでの僕は、学内でも目立たない、至って普通の高校生であった。オタク趣味があるから、多少敬遠されるきらいはあったが、そんなことを気にする僕ではない。寧ろ自分の時間にどっぷり浸かれるから歓迎すべきことであった。


 だが、まずは昨日だ。うちの学生に化けたイルシーが現れたことで、クラス内は騒然。性格はどうあれ、イルシーは美女で巨乳だ。人目は惹くし、しかも僕とただならぬ関係だという噂が立ってしまった。


 今朝もそうだ。カノンと登校していると、背後から美緒のタックルを喰らい、危うく失神しそうになったのだ。どうして美緒がタックルを繰り出してきたかは謎だが、今までそんなことはなかったのに……。


 そして、今日のカノンだ。


 カノンは貧乳だが、美少女である。年恵先生に連れられてカノンが入ってくると、クラスの男子どもは総立ちになり、大歓声でカノンは迎えられた。僕はカノンがすんなり受け入れられたことに安堵する一方、不安もあった。


 もしカノンが僕と同居していることを口走れば、間違いなく僕に目掛けて消しゴム、シャープペン、カッターナイフなどが飛んでくる。そんな事態は絶対に阻止しなければならない。僕のこれからの平穏な生活が、というよりも生命が危ない。だから、自己紹介をする時にくれぐれも僕と同居していることを言うなと釘を刺しておいた。カノンは、真剣に僕の言葉を聞きながら、任せておけと言わんばかりに頷いていた。


 しかし、カノンは本当にこちらの期待を裏切ってくれる。クラスの一人の男子が『何処に住んでいるの?一人暮らし?』と質問してくると、


 「シュンスケの家に世話になっているけど、言うなと言われたわ」


 と馬鹿正直に答えやがったのだ。


 瞬間、僕は座った状態で小さく身を屈めた。すぐさまシャープペン、ボールペン、消しゴム、カッターナイフ、肥後守などが飛来してきた。い、痛い!人死が出るぞ、マジで。


 「やめなさいよ!」


 カノンが一喝し、男どもの攻撃が止む。カノン、珍しくグッジョブだ。


 「シュンスケは私の大事なパートナーなんだから、やめてよ!」


 流暢な日本語で堂々と宣言するカノン。こいつは火に油を注ぐ名人か。 


 さらに激しさを増した攻撃が再開された。僕は身を屈めながら、カノンに晩御飯抜きの刑罰を執行することに決めた。




 その後は何事もなく時間が経過した。


 カノンはちゃんと授業内容に付いていけているし、休み時間の度に男子生徒に囲まれて質問攻めに遭っていたが、それについても如才なく応対していた。ちなみに僕もクラスの男子に囲まれ、質問という名の罵声を浴びせられていた。


 「よし!飯だ、シュンスケ!」


 四時間目終了後、弁当を引っさげたカノンが僕の所まで来た。カノンを昼飯に誘おうと考えていた男子どもの嫉妬と怨嗟に満ちた視線を僕に突き刺さる。


 「飯だな。だが、僕は一人で食べる」


 「そんなことを言うわないでよ。一人よりも二人で食べた方が美味いでしょう」


 席を立とうとする僕を強引に座らせるカノン。自らも持ってきた椅子に座り、弁当を広げる。僕も仕方なく弁当を開け、そして後悔した。


 同じ柄の色違いの弁当箱。中身は寸分狂わず同じ内容。これは完全なフラグだ。


 『早速愛妻弁当かよ』


 『作ってもらって、はい、あ~んとかしてもらっているんだろ!』


 『リア充め、タヒれ!』


 聞こえないはずのみんなの心の声が聞こえる。あ、本当に口に出してやがる。待て待て、肥後守を握るんじゃない。


 「おっす!俊助、お昼一緒に食べようぜ」


 そこへさらなる火種、美緒が降臨してきた。くそっ、次々から次へと本当に。


 「あ、ちょっとどいてね」


 美緒が僕の前に座っていた成田君を強引に退かして、席に収まる美緒。


 「なんだ、あいつ。楠木にも手を出していたのか……」


 「どうしてだ!なんでオタクのあいつがもてるんだ!」


 「この肥後守で刺したら痛いかな……?試してみようかな?」


 周囲に空気がさらに悪くなっていく。もう心の声を隠そうともしていない。わー、刺すのだけは勘弁してくれ。っていうかやったら完全に犯罪だぞ。


 「いっただきま~す。あ、二人、お弁当の中身、一緒なんだ……」


 元気よく弁当箱を開けた美緒が急に声のトーンを顰め、僕とカノンの弁当箱を交互に見る。


 「当たり前だろ。両方とも僕が作ったんだから」


 僕はアピールした。これで愛妻弁当とか言われる必要がなくなる。


 「そうだよね……。一緒に住んでいるんだもんね。当然だよね……」


 暗い顔をした美緒が、さも当然のように僕の弁当箱からアスパラベーコンを摘まみだし、口の中に掘り込んだ。


 「あ、何をする!」


 「大丈夫、私のをあげるから。ほら、卵焼き」


 今度は美緒が自分の弁当箱から卵焼きをひと摘まみし、僕の弁当箱に収めた。焼きむらのない綺麗な黄金色をした卵焼きは、実に美味そうだった。


 「お、すまんな」


 僕は早速食べてみる。やや甘めの味が卵の濃厚さと相俟って口の中に広がっていく。こいう、本当に料理美味いな。


 「どう?」


 「うん。美味いよ」


 「よかった……。ところで、カノンちゃんは料理できるの?」


 矛先を急に向けられたカノン。美緒の卵焼きをもの欲しそうに見ていた顔が急にこわばった。


 「で、できない……」


 「できないんだ。俊助の所に世話になっているんだったら、ちゃんと作れるようにならないとね」


 喜色満面に言う美緒。悔しそうに口を曲げるカノン。


 「おいおい、美緒。そんな風に言うなよ。カノンはこっちに来てまだ日が浅いんだ。そういうことは追々……」


 ばきっと木が折れる音がした。美緒が自分の箸を一本、へし折っていた。


 「俊助は、カノンちゃんのことを庇うんだ……」


 「庇うとかそんなんじゃないぞ」


 「シュンスケ、料理できないと駄目か?しばらくはずっと傍にいるんだから、できることなら何でもするわよ」


 ばきっ!二本目の箸が折れた。美緒、どうやって弁当を食うんだ。


 「作らんでもいい。お前は、とりあえず自分のできることからやれ」


 「分かった。とりあえず、ちゃんと一人で寝られるようにする」


 「うわぁぁぁ!馬鹿ぁ!」


 「キッシャァァァァ!」


 僕が悲鳴を上げるのと、美緒が奇声を発しながら空手チョップで机を真っ二つにしたのはほぼ同時であった。幸いにしてカノンの問題発言を、他のクラスメイトに聞かれた様子はなかったが、美緒にあらぬ誤解を与えた上に、折角の弁当も空中ダイブした挙句、床に落ちてしまった。


 カノン。明日の晩飯も絶対抜きにしてやる……。

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