助けなさいよ!
どろっとした眠気から解放された時、自分が妙な姿勢で寝ていることに気がついた。
足を崩し、壁に凭れかかるようにして座っている姿勢。
あれ?なんでこんな姿勢で寝ているんだろう?そもそも、寝ていたっけ?
まだはっきりとしない意識の中で、あれやこれやと考えてみたものの、うまく纏まらなかった。
とにかく立ち上がろと思った。しかし、いざ立ち上がろうとすると、何者かによって両手を引っ張られた。
「い、痛い!」
その痛みで完全に覚醒したカノンは、初めて気がついた。壁から吊るされた鎖によって自分の両手が拘束されていたのだ。
一体、どうなっているんだ?
両手首につながれた鎖と背後の壁、そして石畳の地面以外は、何も見えない真っ暗闇。ここは何処なんだ?
確か、シュンスケの家の居間にいたはず……。いや、待て。シュンスケが帰ってきたと思って、玄関のドアを開けてしまったのだ。そこまでの記憶があり、そこから先の記憶がない。
「お目覚めのようね、カノン」
人を嘲るような、不愉快極まりない女の声が闇に響いた。カノンにとっては聞き覚えのある、というよりも忘れられない声であった。
「サリィ……。サリィ・ブラウね」
魔王配下の四天王のひとり。数々の戦いでカノンを苦しめてきた、不倶戴天の敵であった。
「覚えていてくれたのね、嬉しいわ」
闇の中からサリィが姿を現す。相変わらず、自分のプロポーションを見せびらかすような露出の激しい衣装を着ている。本当に不愉快な女だ。
「びっくりしたわ。エビルパレスから突然いなくなるんだもの。逃げたのかと思ったわよ」
サリィが顔を近づけてくる。真っ赤な紅を引いた唇がいやらしく歪む。
「逃げるわけないじゃない!」
「そうよね。誰が来たのか確かめもせず、玄関を開けてしまうほど勇気のあるカノンちゃんが、逃げるわけないものね」
けらけらと小馬鹿にしたように笑うサリィ。殴りかかってやろうと体を動かすが、鎖に引っ張られた。
どさっと倒れるカノン。それを見てサリィは大爆笑した。
「サリィ!ぶっ殺してやる!」
「あらあら。女の子がそんな物騒なことを言わないの」
サリィがさらに顔を近づけてきたので、唾をかけてやった。
「こ、このクソ女!」
唾をふき取ったサリィが、平手でカノンの頬をぶった。魔法を使うことしか能のない人間のびんたなど、カノンにとっては痛くもなんともなかった。だからニヤッと笑って余裕のあるところを見せつけたのだが、それがサリィの逆鱗に触れてしまった。
「立場分かってんのか!カス!」
サリィは、右足の靴裏をカノンの顔面に押し付けてきた。ヒールの先が喉元にあたり、流石に痛みを感じた。
「う、うううう!」
「さっさと『白き魔法の杖』を出しない。お前が持っているのは分かっているのよ」
「持っているわけない……じゃない」
カノンは魔法が使えないのだ。だから大賢者達の試練も受けられず、『白き魔法の杖』も授かっていない。
「ああ、そうよね。あんた魔法が使えないから、持っていても意味ないんだ。キャハハハ。胸だけじゃなくて、魔力もないなんて、本当に惨めね」
キャハハハ、と嘲笑したサリィであったが、急に真顔になり、さらに力強くカノンの顔面を踏みつけてきた。
「うっぐっ!」
「でもね、大賢者どもは、『白き魔法の杖』を手放したと言っているのよ。しかも、あんたに渡したって。これってどういうことなのかしら?不思議な話よね」
「し、知らないわよ!」
知らない。本当に知らないのだ。
「最初は大賢者どもが『白き魔法の杖』を隠すために嘘を言っているんだと思っていたんだけど、どうもそうじゃなかったみたい。で、こうして調査に来たわけよ」
サリィが足を引っ込めた。口の中に溜まっていた血をぺっと吐き出す。
「強情ね。まぁいいわ。ちょうど私もこんな意味不明な世界に来て退屈していたの。可愛いカノンちゃんを苛めて、せいぜい退屈しのぎさせてもらうわ」
ドSめ。心の中で悪態をつきながらも、サリィが荒縄と蝋燭を取り出してきた時には流石にぞっとした。
「ねぇ知っている?こっちの世界では、この荒縄で体を縛って、溶けた蝋を垂らすという儀式があるんですって。不思議な儀式よね。でも、何故でしょう?想像するだけで、興奮してきたわ」
と言ってカノンに詰め寄るサリィ。
『嫌だ!来ないで!』
身をすくめ、サリィと距離を取ろうとする。しかし、背後は壁であり、カノンは繋がれている。一歩も動けるはずがなかった。
『誰か!助けて……!』
助けなど来るはずもない。この世界にカノンの味方はいないのだ。
シュンスケは、助けに来てくれるだろうか?
いや、来ないだろう。学校に行っているシュンスケが、カノンが拉致監禁されていると知っているはずないし、そもそもシュンスケは、カノンのことを嫌っている。
自分ではない別のカノンのことを引き合いに出し、ぺったんことか大平原とか馬鹿にしている。そんなシュンスケが自分を助けてくれるはずがない。むしろ、消えて欲しいと思っているぐらいではないか?
暗澹たる気持ちと絶望。それらがカノンに覚悟を決めさせた。
「ひと思いに殺せ!」
「いやよ。私、人殺しは嫌いなの。いたぶっていたぶって、苦痛に歪む顔が見たいだけなのよ」
サリィがカノンの服の襟元に手を掛け、一気に服を引き裂いた。
「い、嫌っ!」
「本当に情けない乳ね。同情したくなるわ」
と言いながら、魔法で蝋燭に火を入れるサリィ。爛々と光る目の奥に蝋燭の灯火が揺れていた。
「さぁ、何処にかけて欲しい?太もも?腕?それともその貧相な胸かしら?」
選ばしてあげる。サリィは愉快そうに囁いた。
覚悟をしていたのに、生かされていたぶられるとなると、恐怖が沸き立ってきた。
生きたい!助けて欲しい!
『助けて!助けなさいよ!そしたら、あんたの望むカノンに近づいてあげるから……。シュンスケ!』
「助けなさいよ!」
バンッ!
ドアが開くような音がした。その証拠に、暗闇の中から光が広がっていった。
「カノン!」
「シュンスケ!」
紛れもなくシュンスケの声であった。
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