第299話「選」
ビルの隙間から射す光がゆっくりと祠にかかっていく。あの冬の日が遠い出来事のように思え、しかしハルは隣にいない。混乱しそうな頭を抱えて、ひかりは祠の前にうずくまった。
「わたしだって……離れたくなかった……!」
この祠が本物であるなら。いっそ飛び込んでどこまでも続く暗闇に飲まれてしまいたかった。十年間、あの決断に悩み続けてきた。世間は確実に特殊な者達を受け入れ始めている。それが調和をもたらし、戦争は終わったのだ。
──ハルを現世から追い出すという形で完成した平和な世だった。
「誰も死ななきゃいいと思ってました。だからあなたが人や妖怪を殺すのが、恐くて。誰も傷つけないでと無茶なことを言って駄々をこねて……」
結局それを尊重したハルはこうして、眠りについている。
「あなただけがいないんです」
皆、どのような形になってもまだ現世の繋がりは結ばれている。霊となっても、植物人間であったとしても、最後には皆が笑う未来がやってきた。
「わたしが選んだ結果なのに──。わたし、もう……ちゃんと笑えなくて……ッ」
何の因果か今日、あの争いに関わった者達と触れ合ってここへ来た。彼らに投げかけた笑みは形を保つので精いっぱいだったのだ。胸の奥まで寂しさで満ちていた。
「本当にあなたの自我を護ったのか、わたしには分かりません。ほんの少し心は軽くなりましたけど、やっぱりわたしは間違えたんじゃないかって。……でも、周りの皆さんがわたしにありがとうと言ってくれるので、正しいのかもしれないって」
脳漿が煮え立ってどうにも混乱してしまっていた。大人になっても振り切れない影が、じっとりまとわりつく。
「──あらあら」
朗らかな声が背後でくすりと笑った。強引に目元を拭って顔を向けると、あかりがハンカチを差し出していた。
「そんなに泣いたら、そこの扉からあの子がひょっこり顔を出してしまうわよ?」
「お母さん」
「やっぱり苦しいのね。一人か大勢かを選ぶのは」
あかりは隣へ歩み寄り、ひかりと同じくしゃがみ込んだ。凛とした横顔はしっかりと祠を見つめていた。
「わたしは大勢を見殺しにする道を選んで、そうしたわ」
「うん」
一人の娘を運命から逃がすために。死ぬはずではなかった大勢の人間が死に、多くの血と涙が流れた。あかりは手にしていた白い便箋をひかりへ渡す。
「あなたは、悔いているの? それともどっちも欲しがる幼い子供なだけかしら」
いつになく母の目は厳しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます