第289話「言えなかったこと」

「私とはいつかまた顔を合わせることがあるかもしれない。人間が神サマになんて縋らなくなった時か、ひかりが人間に絶望した時に」

 あかりが出した条件であり、ハルとひかりの約束でもあることだった。ハルはそれをもう一度ゆっくりと言い含める。

「私が意識を持ったまま死屍子として封じられ、二度と外には出ない。その代わりにひかりにはアマテラスになってもらって、私と永遠のつがいになる……。私は少しの間眠るだけだよ」

「そう、ですね」

「でも母さん達やジャスとリリィ、翠、マチネや奎介なんかはそうじゃない。輪廻があったとしても、現世から抜ける私達とは死んだら関わりがなくなる」

 強い語調にひかりは静かに顔を上げた。色素の薄い長髪がさらさらと揺れ、ハルを見つめる。

「ハルも嫌なんですか。人を、殺すのは」

「うん……そりゃね。ひかりを護るためなら一切躊躇はしないけど、この先はもう死屍子の領域だから」

「大戦争は止められないんでしょうか」

「……多分な」

 ハルがゆっくりと身体を起こした。それは無理に押さえつけようとする力に抗っていて、表情が歪む。それも一瞬のことでハルはすぐに笑顔を作ってみせる。

「もう行くよ。ひかりが導いてくれ」

「はい」

 左腕を空に掲げた瞬間、そこへ吸い込まれるように結界内の水が渦巻いた。頭から降りかかった黒い津波に押し流されそうになりながらも、ハルはそれらを受け止める。まっさらになった結界の内側にはハルと祠があるだけだ。波に翻っていた着物の袖が収まる。

「この世では最期になるかな、ひかりと会うのも」

「……そう、ですね」

「あの森でアマテラス様と出会えたおかげで色んな場所に一緒に行って、たくさんのことをしたな」

「やめて……」

 白い袖をぎゅうと握り締めて、ひかりが喉を詰まらせた。ハルは困り眉で目を細める。駄々っ子を見つめる母のようなあたたかな目線だった。ひかりは結界の色が滲んだ視界を真っ直ぐに上げる。

「一生さようならは嫌です! そんなお別れの言葉は、やめてください……っ」

「だったら、私は何を言えばいいんだ? ──そうだな、この際だしいっそ」

 ハルがゆったりとした足取りで近づいてきて、結界に片手を触れた。甘えるように擦り寄ってひかりを呼び寄せる。夕陽の赤に包まれて二人は薄い光の膜越しに手を重ねた。

「ずっと言えなかったことがあるんだ」

「それは、わたしもです」

 互いの唇がすぐ近くだった。

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