君の選んだ未来

第281話「どちら」

 ドーム状にひかりを覆った黒い霧は激しく渦巻く。マチネの呼び声も誰かの悲鳴も消え、その空間には無音が満ちた。

「いるんですよね」

 反響する声を聞きながら、静かに鼓動が高まっていくのが分かる。熱を孕んだ全身が心地いい。両手を広げて息を吸い込むと、むせ返るほどの瘴気が入ってきた。

「姿が、見たいです」

「──ああ」

 霧の壁からするりと影が滑り出てきた。それは形を浮き上がらせ、ひかりを抱き寄せる。長い前髪が視界を覆い隠した。赤眼いっぱいに映り込んだひかりの表情がくしゃりと歪む。

「ハル……っ」

「久しぶりだな」

 冷たい肌が離れていくと、長い袖先が霧となり揺れた。ハルは黒い着物に身を包んでいた。彼女もひかりを見て目を丸くしている。

「どうしてこんなに仰々しいんですかね。わたし達が背負っているものは重たくて、背反して」

「それがこの衣装、か」

「わたしの実力じゃまだ、この重荷を支えきれません……」

「なら、提案がある」

 霧と化したハルが消え、その姿は背後に回っている。ひかりの耳元に近づいてきた唇がゆったりと動いて冷たい吐息を這わせた。

「再会の感傷に浸っている暇はないんだ。アンタには二つの選択肢がある、長く一緒にいると判断も鈍るだろうから先に言うが」

「……はい」

「一つ。天明伝絵巻物と同じように死屍子わたしを封じること。ただし、これは母さんから出された提案付きなんだ」

 囁かれた言葉に息を飲む。ハルは努めて感情を殺しているようだったが、霧の流れがわずかに早まっていた。

「──もう一つ。それはアンタが天明の子としての役割を捨てることだよ」

「役割、を……?」

「ひかりはここから逃げるんだ、もちろん母さんや晴明さんや私が手を貸す。自由の代わりにこの国を見捨てるってことだ」

 妖怪は勢力を増し、人間を虐殺してきた。そして祠が開いたことでその力はより強くなり、人間側に多大な影響が及ぶ。それに対抗すれば行き着く先は戦争だ。ハルは淡々と事実だけを並べ立てた。

「私はどちらでも従うよ。アンタが逃げたいなら、それを追う全てを壊し尽くしてやる。だけどこの国の人間達を護りたいなら、あの条件のもとで眠りにつこう」

「どうしてわたしにそんな判断をさせるんですか。そんな……そん、な……」

「この物語を紡ぐのは人間だ。そして彼らを動かせるのは、ひかりだけなんだよ」

 ハルにも余裕がないようだった。後ろから肩に手を置いて、低く声を押し出す。

「どちらを選ぶ?」

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