第279話「喰」
「くッ……!」
「俺を見くびった貴様の負けだ」
膝をついた茨木に剣の切っ先を向け、スサノオは静かに笑う。今にも沈みそうな夕陽に照らされながら、おとめは唖然としていた。
「あの、茨木童子を」
憑依した途端に一度の反撃も許さず、瞬く間にあの鉄のような茨木の肉体を斬り裂いたのだ。枝のようにしなって攻撃をかわしつつ、的確に力が最もかかる状態で剣を出している。短気で荒々しいというスサノオの評判に反した、それは繊細な技だった。
「俺達は所詮、人間どもの作った強さには逆らえない。妖怪は神に勝てず、制裁を与えられるという規則にも当然──抗うことは出来ない」
「その上に胡座をかく間抜けというわけか」
「いいや……もう、そうしちゃいられねえ」
剣が黒い霧に変わって散っていき、元の鈴に戻る。喉元の傷口から血が再び流れ始めていた。
「陽の下に出た以上は相応の覚悟を決めなきゃならねえ。素体がいる三貴子以降の神は自分が何者なのか、分からねえからだ。荒くれ者とされる俺に多少技の扱いがあるのも、その人間の素体のおかげかもしれない」
「主様」
「社地おとめ。……借りるぞ」
喉をそっと押さえ、一瞬神楽殿の下を見やった。彼女は唇を噛み締めて頷くだけだ。スサノオはゆっくりと鈴を頭上に掲げる。
「鬼の妖茨木童子。このスサノオが直々に祓ってやる、姉貴のようにはいかねえだろうが」
「大祓など……!」
「根の国はいいところだ。特別に母上に会わせてもいいぞ、小鬼どもに
りん、りんと涼やかな音がするのとは裏腹に黒霧が茨木へと群がっていく。暗闇に飲み込まれた巨体は低く響いてくる唸り声をあげた。
「死屍子め、俺を喰らう気かッ」
「よく味わえ。散々欲望を我慢した後の珍品はさぞ美味いだろうよ」
「俺は負けない、絶対に!」
めちゃくちゃに手足を振り回していた茨木の声が絶叫に変わり、神楽殿を覆い尽くすほどの霧が蠢いた。おとめの隣に降りてきたスサノオはそれを黙って見上げている。
「お前は自分の妻の顔も知らないんだったな。褒美をくれてやる」
スサノオは目元へ手をかざし、おとめの正面に跪いた。喉からの出血が増していく中、社地がまぶたを開く。
「あんさん」
「お、とめ」
はっきりとした黒目がおとめを映し、潤んでいた。
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