第267話「偽りの頂点」

「誰だ、テメェ!」

「おやおや、名乗りをあげたというのに。言うなればわれは妖怪の親玉のうちの一匹であるものじゃ」

「何だと……!?」

 一斉に変わった顔色を見て、千愛はにやりと低く笑った。大層楽しげにしている彼女の様子に周囲の人々は戸惑う。そんな中で黒い霧が一気に視界を覆い隠していった。

「見えねえぞ、くそッ」

「死屍子が全ての悪とされ、われら人ならざるものの長と呼ばれた。しかし妙ではないかのう? どうして長い間閉ざされた闇に眠るあやつが長などになり得ようか」

 暗闇に千愛の声が響き渡る。人間の目には何も映らず、耳も街の崩壊する音ばかりを拾った。しかし翠やリリィ、妖怪達にははっきりとそれを捉えることが出来る。

『助けて……』

 霧が泣いていた。空腹に、死への恐怖に、数多の悲しみや憎しみに声を震わせている。いくつものやせ細った手がもがいて虚空を掴もうとし、乾いた口が喘いだ。

「死屍子とは人間の負そのもの。お前さんらの生み出したどの妖怪より、人間が忌み遠ざけた人々の魂じゃ」

「妖怪が知った口を──」

「黙るのはお前さんらであろう! われの話に耳を傾けよ、愚か者どもッ!」

 そのひと言に水を打ったように静まり返る。六歳ほどの身体から出た威圧的な声に、もう誰も口を開こうとはしなかった。

「人間は他者を陥れ生き残る種族じゃ。その反面、潰えた者からの報復をひどく恐れておった。お前さんらの遠き祖先はそうした魂が現世へと舞い戻らぬよう、器を拵えた。初めのそれが卑弥呼であった」

 それ以来、半ば生贄のように卑弥呼の祖先が天明の子として役目を果たしてきたのだと、千愛は言葉を続けた。

「天照大御神も、死屍子も、人間の生み出した偽りの頂点なのじゃ。もう──解き放ってやらぬか」

「何、を」

「彼女らの運命じゃよ」

 暗闇を穿つ光がどこか遠くを貫いたのを皆が見た。黒霧が吹き飛ばされ、夕陽が射す。目を細めた人々とともに千愛達の顔が照らされていった。

「ここからは二人の選択次第かのう。おっと、まだ動いてはいかんぞ小僧」

「あ、はは」

 翠が夕陽に両手を伸ばした。

「やっぱり植物には、光だよね……」

「そうじゃのう」

 玉菜前の七尾に抱き込まれた翠に千愛が優しく触れる。頬まで深く伸びた根を指先でなぞり、そっと微笑む。

「われらのもとへ来るかえ? 青葉の子よ」

「……うん。二人を、見届けたら」

 翠は大きなあくびをした。

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