第264話「父の傘」
彼が居なくなった後、標的となったのは翠だった。人外だけでなく擁護する者もほとんどがそういった迫害を受けていた。初めは机の中に虫の死骸を詰められたり水をかけられたりしたが、何も思うところがなかった。周りに対して関心さえも失い、ただ彼の机に毎日会いに行くために学校へ通った。
「み、翠」
「何」
晩秋も近い頃、教室の雰囲気がいつもと違い妙に張り詰めていた。声をかけてきたクラスメートの横を通り過ぎて席に着いた時、いつもの嫌がらせが綺麗になくなっていることに気づく。机の落書きや泥、虫の死骸が消えていた。
「今までごめん……」
「ふぅん? 今さら仲良くしようってわけ、馬鹿じゃないの」
「本当にごめん!」
その言葉を皮切りに次々と謝罪の言葉が向けられる。いかにも不本意という雰囲気のものから真剣なものまで多様だったが、とにかく翠の機嫌を取りたがっているのは察せられた。
「うっとおしいなあ。ぼくに近寄らないで」
「分かった。もう、何もしないから」
その時は一時の偶然だと思っていた。しかし冬になっても、二年に上がっても、クラスメート達は翠を恐がっていた。それは人外だからではなく、翠に何かした時の報復に怯えているらしい。リビングを通り過ぎた時、翠はその理由を目にした。
「──パパ?」
地方議会の首長席に父の姿があった。この街では行政を行う議会において、首長が強い権限を持っている。その席に座るということは、住人全てを従えているのと同義だ。
翠は冷静に、聡く現状を解析した。つまりあのクラスメート達が恐れていたのは翠の父からの意趣返しだったのだ。あの父がそんな強権を発動するとは思えなかったが、翠に降りかかる石礫を払う傘にはなり得る立場だ。幸か不幸か、翠だけは守られた。
「ぼくじゃ、ダメなんだよ……。もっと傘を欲しがってる人はいたはずなのに」
テレビの電源を切る。静まり返った部屋で植物達の呼吸がゆっくりと空気を動かしていった。自室に戻ると木枯らしが吹き込み、葉が落ち始めている。その中でベッドに身を投げ、必死にこぼれ出しそうな声を飲み込んだ。
そして父の傘の下で育った翠はあの日、空へ広がる真っ黒な霧を見た。
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