第209話「誘惑」

 千切れた鎖にため息をつく。お札が破けて部屋の封印が解けたらしい。クククと響いてくる声へデタラメに呼びかける。

「行かないからな」

『遊ぼうよォ。不思議の国へ連れてってあげるよォ』

「一匹だけで帰ればいいだろ」

 不満げな様子を無視して目を閉じる。シロウサギはその後もしばらく語りかけてきたが、急に静かになった。

「……シロウサギ?」

「何なの、俺チャンのハイティー邪魔しないでくれよ……。ん? その声聞き覚えがあるなぁ」

 障子の向こうからだ。素早くベッドの陰に身を隠した時、大砲が頭上をかすめた。

「なんッだ、ここォ!? シロウサギ……あんのイタズラ小僧かッ、大砲で木っ端微塵にしてやる!」

 このままではお札が剥がれるどころではなく、天井まで崩れ落ちてきそうな気配だ。砲弾がのめり込んだ柱が傾き始めたのを見計らい、ベッドの下に身体を滑らせる。腕の鎖を大砲に巻きつけて手繰り寄せ、耳元をひゅんと風が切るのをかわした。

「オマエ、あの時の」

「これ多分、私が怒られるんだが。どうしてくれようか、帽子屋ハッタ」

「物語をおしまいに導いておくれって言ったのに、何してるわけ? ああ、どうしてカラスと」

「物書き机は似てないから。そんなおかしななぞなぞをしたいんじゃない、とにかく撃つのをやめてくれ」

 縁側の方から人の気配が近づいてくる。ハルは慌てて帽子屋の手を引いて逃げ出した。

「呼び寄せるにしてももっと上手くやれないのか、あの兎は」

「ああもうッ、俺チャンはこの国の物語に関わる気はないんだけど。紅茶を飲ませておくれ、ブチ切れそうだから」

「何してるんですか、あなた達!」

 遼が血相を変えて式神を飛ばす。化け狸の中にふらりと現れた影はクスクスと笑っていた。

「うちは「思い出して」言うただけやんか。大暴れして、あかんよ」

「アンタ……確か旧都の道案内で」

「あられ、やで」

 さて、とひと段落ついたようにパチンと手を叩き、その途端に狸達の目つきが変わる。

「ぶちのめす覚悟で行くで、あんたら」

「勘弁してくれ、まったく」

「狸が成長して二十歳になると、何になると思う?」

「ええっと……分からん、そんなことよりこれをどうにかしなきゃ」

 軽くパニックに陥ってしまい、頭が真っ白になった。そんな中で帽子屋に引き寄せられたと思うと、帽子を被せられる。

「いってらっしゃい」

 目の前でタグが揺れ、身体が吸い込まれた。

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