第128話「立場など」

 翠の説明に胸騒ぎがする。そんなことも露知らず、翠はジュースのプルタブを開けた。

「何をそんなに慌ててるのさ? 相手は馬だよ、ハルが危ないわけ」

「彼らは獰猛なのです。人間に噛みつき肉を喰いちぎり、時には同種さえ手にかけるような妖怪です……!」

「ワタシが助けに出マス」

「待ってください、わたしも」

 ジャスがアマテラスの唇へ人差し指を当て、柔らかく笑みを見せる。肩をそっと押して後ろを向かせると、そこには不安げな顔をした民衆がいた。

「アマテラス様、何か問題ですか……?」

「貴女の使命は彼らを安堵させることデス。ワタシに任せて、さァ」

 喉奥を突いて出てこようとする言葉の多くを飲み込み、両手を広げて声を張り上げる。

「いいえ、何も。わたしの仲間が必要なものを運んできましたから、列になって受け取って下さい。決して取り合いなどしないように」

「ありがとうございます!」

 自身の持っている言葉と行動の重さがあまりに邪魔だった。従えた者のもとへも走っていけない、見えない枷がうっとおしい。しかし目の前の人々を眺めていると、やはり自分は誰よりも彼らのため尽くすべきだという気になる。

「マチネも手伝ってください」

「分かってるよー。じゃあ水と食料が欲しい人はこっちに来て、さっきのリストをもとに名前を呼ぶからねー!」

 円滑に回り出した人の動きに胸を撫で下ろす。しかしアマテラスには見えていないと思っているのか、人から物を奪い取る人間の姿もややあった。

「そこの者、全て没収します」

「何故ですか、アマテラス様。私はただ必要だから、少し乱暴してしまっただけで……」

「口答えなどみっともない! わたしは意地汚く他者を想えぬ人間など守るつもりはありません。文句があるのならば聞きますが、その後にこの場を立ち去ってもらいます」

「そッそんな、ご勘弁を」

 妖怪であるハルやジャスの方がよっぽどいい。人間の見苦しさを含めてこの千年間愛でてきたが、今はいら立ちが募るだけだった。

「ちょっと、邪魔! もっと詰めて並びなさいよね」

「んだとくそアマ……!」

「そこの二人、争いなど──」

 掴み合う男女の間へ音もなく割って入り、それぞれの手首を押さえた姿に目を見張る。色鮮やかな赤眼が宙へ漂う光の玉に照らされていた。

「アマテラス様が困ってるから、そこら辺にしてくれないか」

「ハルっ」

「ただいま、アマテラスさ……わッ!?」

 周囲の目も驚いた様子も目に入らない。頭を両手で引き寄せて胸に抱くと、ハルの両目がこちらを見上げる形となった。

「ど、どうしたんだ。何かあったのか」

「いいえ。おかえりなさい」

 行き場に迷っていたハルの両手が緩く、緩くアマテラスの背に触れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る