第106話「主達」

 厠への案内ついでに屋敷を見て回っていた翠達とようやく書物の世界から帰ってきたマチネに、アマテラスが社地の話を繰り返した。三人は首を傾げる。

「じゃあ社地は死屍子の味方ってわけなの?」

「うーん。でもそうだとしたら、こんな詳細な文献なんて見せないと思うけどなー。あれとかこの本、現世じゃ状態が悪くて読み解けなかったものだよ」

「半分死んだ本、というわけデスね。死者の国に近い利点でショウか」

 マチネのメモしていた内容は社地の話とほぼ同じだった。ハルにはその書物の文章は全て、糸の横たわった姿にしか見えなかった。

「ご夕食の支度ができました。運んでもよろしいでっしゃろか。湯の方も沸いてございます」

「そんな、泊まるつもりはなかったのですが」

「皆様はあてらの大切なお客様どすさかい。どうぞ長旅の疲れを取っていっとおくれやす」

 おとめは柔らかな訛りを使い、五人へ語りかける。ハルは試しに聞いてみた。

「さっき街中で捕まえて妖怪退治を手伝ったわけだが、普段はこんなに退治の依頼なんて来ないんじゃないか」

「そうどす」

「普段は何をしてるんだ」

「あてらは死者に限りのう近い存在どすさかい、根の国で主様の手伝いをしとります」

 アマテラスがその言葉の何かに反応したらしい。顔色を変え、いやに緊張した面持ちで訊き返した。

「その主というのはもしかして、須佐之男命すさのおのみことでは」

「ええ。社地家も一応、神の声を聞ける一族どすさかい、眷属として仕えてるのんどすえ。アマテラス様とは姉弟やて聞いとりますよ」

「……会える、でしょうか。彼と」

 アマテラスが拳を握りしめるのを隣で見つめていた。ジャス達もその様子を傍観している。おとめは困ったように眉を下げ、ゆっくりと首を振った。

「主様は今、大変ご立腹してはるさかい、ややこしい思いますえ。なんでも他の神様達に怒られたようで」

「怒られるとかあるの。書物では有名なきかん坊がー?」

「マチネはん、主様かてあのお方なりの御考えと行動があるんどす。確かに文献の記録も大切やけど、そら必ず正しいとは限らへんのやよ」

「ご、ごめんなさい」

 尖った視線はフッと緩み、両手を畳について丁寧に頭を下げる。

「ちゅうこっとすさかい、対面はまたの機会に。根の国は現世の混乱で大忙しなもので、申し訳あらへんのどすけど」

「分かりました。では暇がありましたら、弟にお伝えください。──改めてもう一度、記憶のないわたしに顔を見せてほしい、と」

「はい、必ず」

 おとめは夕食を持ってこさせると告げて大座敷から立ち去っていった。複雑な気持ちを抑えきれないアマテラスの肩をそっとハルが叩いた。

「このゴタゴタが終わったら、ちゃんと会いに来よう。その時仲直りすればいいよ」

「そう、ですね」

 顔さえ覚えていない弟のことを思うと、胸が痛かった。

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