第97話「決め事」

 足を止めて、今更裸足だと気づく。コンクリートの破片がまだ残る地面だが、やけに葉が散ったらしく痛みはなかった。

「呼び出してごめん。ありがとな、来てくれて」

 逃げ出す前に声をかけられ、立ち上がるのをジッと見るしかない。パーカーの長い裾が翻り、ハルが振り向く。

「妖怪や人を殺すことについて、私なりに考えてみたんだけど、聞いてくれないか。本当に一生懸命悩んだから」

「……はい」

 ハルがパーカーを脱いで根の上に敷き、ポンポンとそれを叩いて示す。ためらいながらもそこに座ると、ハルが正面に立った。

「聞きたいんだけど、ひかりはどうして人間や妖怪の命を大切にしたいと思うんだ」

「どんな人達でも、家族や一緒にいたい相手がいると思うんです。その願いが絶やされてしまうのが納得いきません」

「だったら、人間からそれを奪う妖怪は殺しても構わないんじゃないのか。被害が増える前に」

 言葉が詰まり、黙って首を振る。ひゅうと風が体温をさらって身震いした。ハルが静かに脇から腕を回し、パーカーの余りを掴んで肩にかけてくれる。シャツの普段は見えない部分がところどころ、赤黒くなっていた。

「食べないでと懇願する相手に対して、心苦しくはならないんですか?」

「昔はならなかった。ただのエサが何を言ってるんだろうと思ってた。多分、母さんに育てられたおかげで、後から申し訳なく思う気持ちが増えただけだ」

 その眼は真っ黒な中に鮮やかな赤を浮かべている。大きく裂けた口や鋭い爪先はまさに、肉を食いちぎり骨を砕くために造られたものだ。ハルがそれを見せるように両手を広げた。

「こんな姿だが、私は人間でも妖怪でさえもない。どっちつかずの中途半端な生き物だ」

「何を、言って……?」

「本当に心から妖怪でいられたなら、アンタの言葉でこんなに考え込むこともなかっただろうし」

 二本の牙がカチカチと音を出し、その奥から独特な低い声が響く。

「私はこう考えることにした。人間の気持ちとして、仲間を守るという大義名分を掲げる。そして妖怪の本能として、相手を喰べる。さっきひかりが言った通り、私にも護りたい人がいるからさ」

「自分勝手な!」

「そう、これは身勝手な考えだ。でもそういうものだ、妖怪は悪なんだから。……少なくとも、アンタの中では」

 ハルは困り顔にうっすらと頬笑みを浮かべた、なんとも言いがたい表情になった。

「これからはひかりに文句を言われても、今決めたことに従う。でもいつか、その理想を理解できたらとも思ってるよ」

「分かるもんですか」

 根から飛び降りると肩に引っかかったパーカーがついてくる。ボロボロと溢れ出した涙を強引に拭って、目いっぱい声を張り上げた。

「ハルのそれはどっちつかずでも何でもない、ただ人間や妖怪を食べるための言い訳です! アマテラス様の命令で守ってるだけなんですから、わたしの理屈には当てはまりませんよ。あなたがわたしを守るのは退屈だったからと、前言って──」

「違う!」

 ああ、またこの顔かと、ひかりは胸の奥が痛むのを感じた。何にそう怯えているのか分からない。顔を見ていられなくなり、ハルを押しのけ妖樹の中へ駆け込んだ。

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